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40 ウィリアム視点


 影から報告が上がっていたハジメリ村の『温泉』は、私が知識として持っている『温泉』とはかなりかけ離れたものだった。

山中に湧き出た“湯の池”程度だと思っていたがなかなかどうして、質素だが“一枚の絵”のような美しい空間が目の前に広がっていた。


「この温泉全体の造り…すべてが初めて見る様式だが趣があって素晴らしい」


「ホントですね、このような様式は私も初めて見ました」


「これはイツキ殿の案なのか?」


 私の称賛にテオバルドが同意する。そしてアルバンは私達が思っていたことをイツキに尋ねていた。

 イツキは昔読んだ本の知識だと言うが、それだけでこれほどのモノを再現するとは…。益々イツキという人間に興味をそそられる。

アメリア嬢がイツキとの会話で得た情報をアルバン経由で聞いたが、彼は『遠方にあり、絶えず国名が変わる国』出身らしい。

 私が記憶している範囲では該当する国は無く、もっと研鑽を積まねばと思う。


 それにしてもイツキが生まれ育った国か…、かなり興味がある。

恐らく内戦が絶えぬ国だったのだろうが、そのような中でも一平民が学べる環境があったのだろう。

人間の知識というものは周りの環境によるものが大きい。いくら地頭が良くても『本』『師』『体験』など知識の元となるものが無ければただの持ち腐れだ。



「温泉に浸かる前に、ここで一度身体を洗い流してください。これが温泉に入る時の作法…というかマナーですね。これは体を湯に慣らす意味もあります。

あと湯の中にタオルを入れる事はご遠慮ください、これもマナーです。あとは特にございません。

 もし体や髪を洗うのでしたらこの泉の湯をこちらの桶に汲んでいただいて、このスペースでお願いいたします。ここの椅子も自由に使っていただいて構いません。

私からの説明は以上になります」


 イツキは浴場に入ると腰に巻いていたタオルを外し、『かけ湯』という作法を実演してくれた。

備え付けてある柄杓を手に取り、腰を落として片膝をつく。

そして温泉から引き入れた湯をすくって静かに体に掛けていく様は、周囲への配慮もさることながら所作の一つ一つが美しい。イツキの体を流れ落ちる湯さえ煌めいて見えるのは、かがり火の揺らめきと立ち込める湯煙の演出(せい)だと思いたい。

おかしな気分になる前に、私は説明の方に意識を集中させた。


 本で読んだだけという割に、イツキは温泉の『マナー』を淀みなく説明してくれた。まるで『長年そうしてきた』とでもいうような説得力がイツキの言動にはあった。

その後説明に関して質問がないか聞かれたが今のところは特に無く、私と側近二人はかけ湯を行う為に着ていたローブを脱いだ。

テオバルドが私の脱衣を手伝おうとしたが、手で制して不要の意思表示をする。身分を取り払った“裸の付き合い”はもう始まっているのだ。

 各々がローブを畳み、『さてローブ(これ)をどうしようか』と思い悩む前にイツキが回収してくれた。感謝を述べてから柄杓を手に取り、私達は湯を全身に掛けていった。


 源泉から距離があるからか湯はやや温めだが、体を慣らすのには丁度いい温度だ。そして不思議なことに、かけ湯をする度に蓄積された疲れが癒えていくのを感じた。

これは私だけでなくテオバルドやアルバンも感じたようで、その効果に瞠目している。

 ふと影からの報告が脳裏を過る。かけ湯でこの効果なら『温泉』はどれ程のものなのだろう。


「イツキ、湯を掛けるのはこのくらいでいいだろうか?」


温泉への期待を胸にイツキに確認を取ると、私達の姿を見た彼が『スン…』と無の表情になる。

それを見て我々のかけ湯の作法に問題があったのかと思ったが、イツキからは「いいと思います」と返事をもらえたのでそれが原因ではなさそうだ。


 イツキは私達に1枚ずつタオルを渡し、温泉へと歩いて行く。

我々と比べれば小柄だが、その後ろ姿からは均整が取れた体をしていることが分かる。湯気のせいで濡羽色の髪が艶を増し、その白い肌を一層際立たせていた。


(同じ黒髪でもこうも違うものか…)


私より半歩分斜め後ろにいるテオバルドに視線を向けると当然の如く目が合った。するとテオバルドは苦笑しながら「見過ぎですよ」と小声で私に言って寄越した。

無論これはテオバルドではなく、イツキの姿を追う私の視線への忠告だ。

自分では気付かなかったが、どうやら彼を無遠慮に見つめていたようだ。


「確かにイツキ殿を見ていると庇護欲を掻き立てられますね、アメリアの次点になりますが」


 婚約者至上主義の側近も小声で追随してくるが、彼は少しばかり斜め上の意見だった。


(庇護欲か…)


 確かにその欲は私にもある。だが、イツキはそれを良しとしないだろう…、“男”なのだから。

 

 自分について話しているとも知らず、イツキは「こちらへどうぞ」と私達を温泉の縁まで呼び寄せた。

そして自身の右手を湯に入れて温度を確認する。


「ここからはタオルを湯に入れさえしなければ、好きに入浴していただいて構いません。湯は少し熱めですか直ぐに慣れると思いますよ。私からの温泉入浴の説明はこれで終わりです」


そう締め括った後にイツキは我々をそっちのけで温泉に体を浸していく。

依頼を終え、彼の行動を縛るものは無くなったのだからそうなるのは頷ける。


 さて、ここからが真の()()だ。

身分の垣根を超えた“裸の付き合い”とやらを愉しませてもらうとしよう。


やんごとなき御方々は侘び寂びの精神もお持ちのようです。

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