3
ヘレネはもう暫く母親に掛り切りになりそうだったので、俺は外出する旨を伝えて家を出た。
せめて自分の食料くらいは調達せねばと森へ戻ることにする。
本当は動物を狩ったりできればいいんだろうが、そんな技術は持っていないし動物を殺生するなんて今の俺には到底無理だ。精々食べられそうな植物を探すことしかできない。
だが哀しい哉、知識は乏しく山菜と雑草の区別など出来ない。そもそも知識があったところで異世界の植物に応用できるのかは疑問だけどね。
こうなったら採取するのは、木に生っている食べられそうなもの一択しかない。
で、思い浮かぶのは林檎や蜜柑など果物ばかり。林檎のすりおろしとか病人には食べやすそうだと思ったが、正直俺は元の世界で自生している林檎の木は見たことが無かった。
林檎=農家さんのイメージだ。
ましてやこの世界に有るのかすらわからない林檎を食べるなんて夢のまた夢……。な、はずだった。
「う〜ん…この木にはどう見ても林檎っぽいものが生ってるよな…?」
食べ物を探し彷徨っていた俺は、紅く色づいた実を幾つも付けた木を発見した。
(あれ、ヘレネちゃんの家に行く途中この付近を通ったと思ったけど…こんな木あったっけ?俺の勘違いか?)
まぁいいかと思いながらいそいそと実を1個もぎ取って匂いを確認する。
その匂いで確信し、皮ごと囓ってみるとやはり紛れもなく林檎だった。
(甘味と酸味が絶妙で美味しい!この世界にも林檎があるんだな)
あっという間に1個食べきり空腹がやや落ち着いた。
さて、ヘレネと母親の為に幾つか持ち帰りたいが手持ちの俺のカバンは2WAY仕様なビジネスバッグだ。容量はある方だが、元々の荷物もあるので林檎は精々2個入れるのが限界だ。
明日の分も含めて、もう少し持ち帰りたいところなのだが…。
(異世界といえばあれだな、アイテムボックスとかの便利能力生えてたりしないかな?)
ものは試しと空間にしまうイメージで林檎をゆっくり前に差し出していく。すると、驚くことに仕舞えたのだ。
(能力生えてたよ!すごいな異世界!!)
異世界といえばファンタジー、そして魔法だ。
火や水系の魔法なんかももしかして使えるのでは?と思い、ウキウキしながら前方にビシッと指を差し「ファイヤー」とか「ウォーター」など言ってみたが何も起こらなかった…。
マンガなら し〜〜〜ん という擬態語が書かれている状況だ。
周りに誰も居ないとはいえ、いい年をした自分の行動を振り返り激しい羞恥心に襲われた。
穴があったら入りたい…。
俺はこほんと咳払いをして、手が届く範囲の林檎を一心不乱にアイテムボックスに入れていった。
数は数えてないが結構な量を放り込んだところで冷静さを取り戻した俺は、このアイテムボックスの能力は他人には秘密にしよう思った。
思い掛けず便利なギフトを授かっていた事は僥倖だが、この能力の価値がわからない。
在り来りなものならいいが、そうでなかった場合俺という存在にどういう影響があるのかわからないからだ。
俺はまだこの世界の事を何も知らないのだ。
(まずは情報収集しなきゃな。そういえば、そもそもなんで俺はこの世界に来たんだろうな…)
考えても時間の無駄になりそうな疑問は早々に切り上げる。
当初の【食料調達】という目的を果たした俺はアイテムボックスから林檎を2個取り出してカバンに入れ、足早に帰路についた。
◆
村に戻ると村の入口で二人の男性が立っていた。年配と青年の二人組みだ。
遠目でも険しい顔で俺をじっと見ているのがわかった。
(どうやら俺に用がありそうな感じだな)
そう思った俺は笑顔を浮かべながら彼らに近付き挨拶をする。笑顔と挨拶は円滑にコミュニケーションをとる第一歩だ。
「こんにちは、私はサトウイツキと申します。ここは良い村ですね」
元の世界で定評があった俺の極上営業スマイルに、一瞬2人が息を呑んだようだった。
自他ともに認める平凡な顔の俺だが、この笑顔は魔性(笑)らしい。上司からは「俺にはするなよ、ライフが減る」とまで言われた、営業で相手を落とす手段の1つだった。
だが、年の功なのか年配の男には効き目が弱かったようだ。雰囲気からして村長とかかな?
ちなみにもう1人には効いてるようで表情が柔らかくなっている。
「っ、…アンタ、何者だね?あの母娘に無体なことはしてないだろうな?只でさえ母親のほうが寝込んどるのに」
「無体だなんて…そんな事しませんよ。俺は偶々この付近を歩いていた、えっと…薬屋、というか薬師の見習いです。ヘレネちゃんに頼まれてお母さんの容態を診てました。ヘレネちゃんはこの服装のせいか俺を神父だと勘違いしてますけどね」
男の失礼な物言いにカチンときたが、それだけ二人を心配しているのだろうと思い、笑顔は崩さないままグッと怒りを抑えた。
神父のフリなど到底できないので、現在の状況を考えて支障の少ない職を言っておく。後で忘れずにヘレネ母娘に訂正しておこう。
薬を扱ったのは事実であり、更に見習いと言っておけば多少問題が起きても逃げ道はできるはずだ。
「もういいですか?そろそろヘレネちゃんのお母さんの様子を確認しないといけないので失礼します」
年配の男が何か言いたそうだったがこれ以上話してボロが出ても困るので、構わず俺は男達の横をすり抜けてヘレネの家へ向かった。
「ヘレネちゃん、俺だけど」
ヘレネの家に着きドアをノックしてから声を掛けた。流石に知り合って間もない人様の家に図々しく入っていくのは憚られ、ドアが開くまで外で待つ。
直ぐに家の中からバタバタと音がして勢いよくドアが開き、涙を流したヘレネが飛び出してきて俺は動揺した。
もしかして母親の容態が悪く…
「神父様!お母さんが元気になったんです!ありがとうございます!」
「そ、そうか、よかった!薬が効いたみたいでホントよかった!」
最悪の事態が頭を過ぎっていたが、間逆の状況で俺は胸を撫で下ろした。
半分は優しさでできている解熱鎮痛薬スゴイな!
ただ、その回復ぶりが俺の予想を超えていた。
母親の様子を確認する為に、ヘレネに寝室までの案内を頼もうと思ったところへ母親が奥の部屋から顔を出した。
「神父様のお陰で元気になりました、本当にありがとうございました」
ヘレネの母親は少し前まで儚げにベッドに横たわっていたとは思えないほど顔色が良くなり、足取りもしっかりしていた。
彼女は俺を見るなりお礼を言いお辞儀をしてきたが、病み上がりなのだから無理はしないで欲しい。
「無理せずまだ寝てたほうが…」
「大丈夫ですよ、寧ろ病気になる前よりも元気になった気がします」
ニッコリと笑う美人母の笑顔でありがたく目の保養をさせてもらい、ついでに俺の営業スマイルの参考にさせてもらおうと思った。
そして今更だが、俺の名前を伝えてから母親の名を尋ねるとアイラだと答えてくれた。
アイラは「何かお礼をしたいのですが生憎金銭的なものは…」と、申し訳無さそうに言ってくる。
現在一文無の俺だが流石にこの母娘からお金を貰うつもりは無かった。
ただ、お金がなければ宿を取ることもできず俺は今晩寝る場所が無い。丸腰な状態での野宿は極力回避したい為、母娘だけの家に…とは思ったが俺は彼女にダメ元で一晩だけ泊めてもらえないか頼んでみた。
「お礼は要らないので代わりにというか…、実は今晩泊まるところを確保できてなくて。ホント部屋の隅でいいので一晩だけ泊めてもらえないでしょうか?」
「部屋の隅なんてとんでも無い!大したおもてなしもできませんがこんな家で良ければ泊まって行ってください」
アイラは悩む素振り一つなく快諾してくれて、それを横で聞いていたヘレネは「神父様お泊りするの?やったー!」と嬉しそうにしている。
一応俺も男なのだが、恩人+神父と勘違いさせているせいか、ひとつ屋根の下でも警戒されてないようだ。
勘違いされたままで泊まらせてもらうのは不味いと思い、二人に神父ではなく見習い薬師だと打ち明けたのだが、「こちらこそ勘違いしてしまってすみません」と逆に謝られてしまった。
結局断られることもなく、一晩お世話になることが確定した。よかった〜。
寝床を確保できたことに安堵しつつ、俺はカバンの中に林檎があることを思い出し二人に夕飯のデザートにと差し出した。
「わぁ!すごく紅くてキレイ!」
「まぁ!なんて珍しい!リンゴは高級品ですよ、本当に頂いてもいいのですか?」
「え?ヘレネちゃんと出会った森に林檎の木がありましたけど?」
「あら、あの森にリンゴの木は無かったはずですが…」
「「………」」
なんとなく変な空気になる。
いや、確かにあったよ!そうでなければここに林檎はないから!
「お母さん、リンゴって美味しいの?」
「ヘレネは初めて見る果物よね、とても美味しいわよ」
「あ、2人とも折角だから食後と言わずに今から食べたらどうですか?お腹が空いてるでしょう?アイラさんも林檎なら病み上がりのお腹に負担にならないのでは?
俺はコレを採る時に1つ食べたのでお腹は満たされてますからお気遣いなく」
「本当に…よろしいのですか?」
「勿論です、この林檎はアイラさんとヘレネちゃんでどうぞ!」
ヘレネの問いかけで変な空気が拡散されホッとする。まぁ、林檎の木が有ろうが無かろうが正直俺にとってはどうでもいい。この村は通過点であり、生涯暮らす訳ではないのだから。
それよりも林檎がこの世界で高級品と聞き、お金が稼げる手段が出来て俺は心の中でガッツポーズをとっていた。
世の中お金があれば大抵はなんとかなる。
とりあえずこの村で林檎を元手に最低限の身の回りの品を揃えて大きな街を目指すとしよう。
身の振り方が決まると溜まっていた疲れがどっと押し寄せてきた為、俺はアイラが用意してくれた部屋で一足先に休ませてもらうことにした。