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ウィル様と転移した先は村の外れの森の中だった。
『宿屋じゃないんかい!』と、心の中で突っ込んでおく。
「貴方が宿泊している宿屋でなくてすまない。
アルバンとテオバルドとは温泉で落ち合う事になっているのだが、私は場所を知らないのだ。そこまでの案内を頼めるか?」
「…わかりました、ご案内します。しかしながら温泉に行ってないとは意外でした。この村に来る人は温泉目当ての人が多いので…」
そう言ってしまってから失言だったと気付く。そもそもこの人達は人探しに来ていたのだ。
それにいくら村の名物とはいえ、高貴な方々が平民と一緒に入浴するのは色々問題がありそうだ。
それに半日ほど王都でこの人達を見ていたが、俺の社畜時代以上に多忙を極めていたと思う。そもそも温泉に入る時間すら取れなかったのかもしれない。
そこかしこに転移出来るのも良し悪しだな…。
そう思っていると、案の定ウィル様から帰ってきた答えは「何分忙しくてね」だった。
「そうだったんですね…。あ、でも今夜“検証”とやらを兼ねて入浴するんですよね。村の温泉は本当にお勧めですよ。気に入ってもらえると思います」
「温泉の評判は私も聞き及んでいるが、貴方がそう云うのなら楽しみだ」
正直なところ、俺はこの人達とこんなにガッツリ絡む事になるとは思っていなかった。そして今後もこの縁が続くのは確定している。
(まとまったお金が入るのはいいとして、なんでこうなったかな…。はぁ…、王太子殿下をさっさと温泉まで案内して俺は宿に戻ろう。腹減ったわ…)
それから他愛ない話をしながら歩き、温泉まで数十メートルとなった所で村長とジャックが門番の如く立っていた。
温泉を貸し切りにしたいという公爵令息の命令で、二人が直々に部外者の立ち入りを制限しているのだろう。
「村長、ジャック、立ち番お疲れ様です。その…この方はアルバン様のお連れ様なのですがこの先の温泉までお連れしてもいいですか?」
「これはサトー殿。アルバン様から君とお連れ様の事は聞いている、通ってもらって構わない」
「あ、おいアンタ、一昨日食堂でサトー様に絡んできた冒険者だよな? サトー様大丈夫なのか?俺も一緒に行こうか?」
せっかく村長から許可を貰ったというのに、ジャックが俺の後ろのウィル様に敵意丸出しの視線を向けている。なるほど、ウィル様は指輪を装着中なのか。
…って、そうじゃない!
俺がジャックに「大丈夫」と返事をしようとした時、ウィル様が俺を腕で制して一歩前に出た。
「なにか誤解しているようだがその必要はない。私とイツキはアルバン様の依頼を受けてここに来ている。そうだろう?イツキ」
「う、うん、だから大丈夫だ。心配してくれてありがとなジャック」
いや、別にウィル様にフォローしてもらわなくても大丈夫だったのだが…。
ウィル様が「先を急ぐから」と俺の手を引いてズンズンと歩き出した。
「ちょ!ウィルさん!?」
悔しいかな、足のリーチが違うために俺は小走り気味にならざるを得ない。そのお陰でモノの数秒で目的地に着いた。
ハジメリ村の温泉が開業した当初は、温泉の前にはテントを用いた簡易的な脱衣スペースがあるだけだった。だが、今では脱衣場として使う建物が建てられている。
建物は男女別で入り口が分かれており、それぞれの脱衣場から温泉へ直行できる仕様だ。昔懐かし銭湯をイメージしてもらえると分かり易い。
そして温泉にいたっては男女の仕切りをさらに高くし、雨の日でも入浴できるように屋根を付け、更にその周囲には柵と目隠し用の樹木を植樹して、防犯と風情を両立させていた。
この景色は俺が知る野天風呂に近く、なんとなく“和”を感じることが出来る。俺がそうなるように助言したからだ。
短い期間で此処まで整備が出来たのは村長を始め色々な人の協力があったからで、本当に凄いし有り難い。
「殿下、お待ちしておりました」
建物の前にはアルバン様とテオ様、それにメイドと護衛と思われる騎士や兵士が総勢10名ほどいて、アルバン様の一声で一斉に頭を垂れた。
その様子を見て俺も慌てて頭を下げようとしたが、ウィル様が俺の肩に手を置いてそれを制止した。
「貴方まで頭を下げなくていい」
いや、そういうわけには行かないでしょうに…。
お陰で側近2人以外は、顔には出さないが『何者?』という視線を俺に向けてきている。
そんな微妙な空気を読んだのか、ウィル様は俺を彼らに紹介してくれた。
「いい機会だ、皆に紹介しておこう。
彼は薬師見習いのイツキ・サトーだ。とても優秀な人材なので数刻前に私が後見人となった。彼には礼節をもって接して欲しい」
「只今ご紹介にあずかりましたサトーです。
恐れ多くもウィリアム王太子殿下が私の後見人となってくださいました。私は薬師を生業とおりますが見習い故に至らぬ点もあるかと思います、どうぞよろしくお願い致します」
俺が挨拶を終えると、テオ様が侍女と騎士の方々を順に紹介してくれた。
てっきり侍女=メイドだと思っていたが、明確に “≠” らしい。侍女=貴族なので、今後失礼のないように接するとしよう。
ちなみに俺に紹介してくれるということは、恐らくこの人達とは今後も顔を合わせることがあるのだろう。
ただ、物覚えはいい方だが流石にこの人数全員を一度で覚えるのは自身がない。この世界に“名刺”の文化があればいいのに…と、つい思ってしまう。
とにかく各々の職種ごとに紹介順1、2番目の人は確実に顔と名前を頭に叩き込んだ。この辺は多分役職付きだろうと思ったからだ。
後の人は俺の記憶力と要相談だ。
「この者たちは殿下直属の配下です。王城でも顔を合わせる機会があると思われますのでお見知りおきください」
「畏まりました…」
とは言ったものの、全員はやはり厳しかった。既に中盤の人の名前が微妙だ。
だが俺には会社員時代に培ったスキル、【どうしても相手の名前が出てこない時の失礼にならない名前の聞き出し方】がある。良くも悪くも営業をやっててよかった。
「殿下、そろそろ…」
「そうだな、では検証を始めるとしよう」
「あ、では私はこれで失礼させていただきます」
アルバン様がウィル様を促した。
タイミング的に丁度いいので、俺は此処から御暇することにする。ウィル様を温泉まで送り届けたので俺は用済みだ。さっさと帰って宿屋で夕食にありつこう。
俺はウィル様達に一礼をして踵を返した。
「待てイツキ、誰が帰っていいと言った」
「イツキ殿、帰るのは待ってほしい。我々はこの“温泉”とやらに入るのは初めてなのだ。貴方にはその作法を指南して欲しいのだが頼めるだろうか?」
ウィル様とアルバン様に呼び止められ、仕方なく振り返る。折角帰れると思ったのになぁ。
…というか、こうなると最初からそのつもりだったのでは?と、思わざるを得ない。
それにしても……
「作法…ですか?」
そんなものはない。
強いて言えばマナーとして“湯に浸かる前にかけ湯をしろ”、くらいだろうか。
このマナーは既に村民には浸透していて、他所からの入浴客にも徹底させている。お互い気持ちよく温泉に入りたいからな。
このことを説明しておけばいいかと俺が口を開きかけた時、ウィル様はにこやかに笑いながら言い放った。
「そんなに考えることではないだろう? 貴方は我々と一緒に温泉に入り、手本を見せてくれればいい」
一見、提案のようだがこれは命令だ。俺の夕飯がまた遠退いていく。
素直に承諾するのは癪なので小さな抵抗を試みる。この位は譲歩して欲しい。
「…わかりました、温泉に入る際のご説明はさせて頂きますが皆様との入浴はご容赦下さい」
一瞬周りの空気がピリッとしたが、俺は気付かないふりをした。




