20
「えっ…?、なにこれ?」
一瞬で視界が見知らぬ室内に切り替わった。
余りに非現実的だが、ここは魔法が存在する異世界だ。
自分が宿屋から別の場所に転移したんだと理解した。
部屋を見回すと全ての物がアンティーク調で統一されている。
室内に明かりを取り込む大きな窓の前にはプレジデントデスクのような立派な机が鎮座していた。部屋の両脇にも同じような机が置かれていて、それぞれの卓上にはペンなどの文房具っぽい物が置かれていた。
部屋の中央には革張りソファの応接セットがあり、どうやらこの部屋は執務室のようだ。
ちなみに俺とウィルさんは革張りソファの横で向き合って立っていて、何故か俺はウィルさんに顔を覗き込まれているような状況だ。
…というか、これ、近すぎやしないか?
「もっと驚くかと思ったが…。転移した経験はあるのか?」
「あるわけない…じゃ、ない、ですか…」
ホント、顔も良ければ声もいい。
これで20歳とは末恐ろしい…、いや、完成されているというべきか。
相手が男だとわかっているのに俺の心臓がうるさい。
ウィルさんは美しすぎるご尊顔を近付けてきたので、俺はたじろいでしまい、思わず一歩下がってしまう。
いまだ俺の腕は彼に掴まれたままなので、充分な距離を取ることはできず、ウィルさんはにこやかに一歩前進したので結局は元通りだ。
いや、寧ろさっきよりも接近していて、鼻先が触れそうなほど近い。
俺はかなりの動揺で後方確認もしないまま、勢いよく一歩下がった。
そのせいでソファの肘掛けに派手にぶつかってしまい、そのまま背中からソファに倒れ込んでしまった。
俺の腕を掴んでいるウィルさんも巻き込んでいることは言うまでもない。
(なんだこの状況???)
知らない部屋に転移させられ、この状況を作った張本人に揶揄われて、今は壁ドンならぬソファドンされている俺…。
「えーっと…?そろそろどいてもらえませんかね?」
なんかデジャヴ。
いや、最近こんなやり取りをしたわ。
何故か真剣な顔で俺をガン見してくるウィルさんに内心戸惑うが、視線を外したら負けな気がして俺も負けじと見返した。
そんな中、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
闇夜の提灯!
渡りに舟!!
俺は部屋の主ではないが、この状況に終止符を打つ好機を逃すまいと「どうぞっ!!」と声を上げた。
扉が開く音がして室内に誰かが入ってくる。
そしてその人の溜め息が聞こえた。
「殿下…、一体何をしているのですか?イツキさんが困ってますよ」
その声に聞き覚えがあった。姿は確認できないが多分テオさんの声だ。
しかもウィルさんを諌めてくれている。ありがたや。
だがホッとしたのは一瞬だけだった。
(…あれ、今テオさんなんて言った?
確か…殿下って言ったような…。
殿下ってあれだろ?王族とか皇族の敬…称……)
俺はテオさんのセリフを思い返して血の気が引いた。
俺の顔色が変わる瞬間を目の当たりにしたウィル…殿下が漸く俺の上から退いてくれた。
「ったくテオバルドは余計なことを…」
そう言いながらウィル殿下は、体を起こそうとする俺に手を貸そうとしてくれたが、俺は必死に固辞した。
ソファから立ち上がると目の前にウィル殿下とテオさんが並んで立っていた。同性の俺が見惚れてしまうくらい二人とも絵になっている。
テオさんの服装も宿屋で会った時と違って【The貴族】といった感じだ。テオさんもいいとこの御子息なのだろう。
「イツキさん…いえ、イツキ。改めて紹介します。こちら…」
「テオ、いい。私がする。
イツキ、私の名はウィリアム・スティオニス・ジオニール。ジオニール王国の王太子だ。
テオの正式な名はテオバルド・コンウォリス。コンウォリス公爵家嫡男で私の側近だ。
我々が姿を偽りハジメリ村にいた経緯はアルバンから聞いているだろう?」
「はい…」
ウィル…ではなく、ウィリアム王太子殿下とお仲間は、現在進行形でこの国の中枢を担っていることは容易に想像できる。
やんごとない筆頭である王族や貴族になんて関わりたくなかったのに、なんでこんな事になったのだろう。
俺は心の中で泣いた。
「きみに王城に来てもらったのは薬の件で話があるからだ。
私も鑑定してみたが、きみが調剤した薬は紛れもなく万能薬だ。今きみが持っている万能薬をすべてわが国で買い取らせてもらいたい。きみが望む額を支払おう」
ほぼ拉致に近い状態で連れてこられた場所が王城の一室だったとは…。
しかも王太子から直々に突拍子もない話をされ、俺の思考が追い付かない。
とにかく、返事をしなければと気持ちを営業に切り替えた。社畜時代に培った言葉遣いは王族相手にも失礼ではないはず…。と、思いたい。
「ちょ、ちょっと待って、じゃなくてお待ちください!王太子殿下からのお申し出は誠に恐縮至極ではございますが、すぐにはお返事を致しかねます」
「イツキ、私の事はウィルと呼べ」
「大変恐れ多いことでございますが、私は平民の薬師見習いです。何卒ご容赦ください」
「なら命令だ、異論は認めない。テオバルドもいいな」
「仰せのままに。それではイツキ殿、私の事も今まで通りテオとお呼びください」
「畏まりました。…ウィル殿下、そしてテオ様」
俺はリアル王子様との応酬にただでさえ心がすり減っていた。
命令通りに名前で呼んだのに、その王子様が明らかに不服そうな顔をしている。なんでや。
気にはなるが今はそれどころではない。
俺には聞いておかなければいけないことがあった。
「恐れ入りますがウィル殿下にお尋ねしたいことがございます。
私の薬を言い値でお買い上げくださるとのことですが、正直に申し上げますと【万能薬】という物の相場が私にはわかりかねます。
寧ろウィリ殿下は私の薬に如何ほどの値を付けてくださるのでしょうか?」
これぞ俺の得意技、The丸投げである。
この世界の物価や貨幣価値をまだよくわかっていない俺には最善の手だ。
アルバン様が『万能薬は国宝級』と言っていたので手持ちを売れば一気に大金持ちになれそうだ。
「アルバンの話では30包程あると聞いたが?」
「おっしゃるとおりでございます。宿屋の自室に保管してございます」
「そうか。だとすると、我が国の宝物庫にある宝が30程はイツキの物になるな。」
「は?」
「そのくらいの価値があるということだ。
万能薬の存在はおとぎ話の中にはあるが、現世では幻と言われてきた。
正直私にも値段は付けられない」
いや、幾ら何でもそれは大袈裟過ぎると言うかなんというか…。
俺のチートなカバンのせいか、チートな女性の恩恵かはわからないが、現在万能薬と呼ばれるものは宿屋に戻ればまだまだ作れるのだ。
正直、宝を現物支給されても換金するのに面倒くさそうだし、貰えるのならニコニコ現金がいい。
「大変恐れ入りますが、そこを何とかお値段を付けて頂けますでしょうか?
ウィル殿下…、この国が万能薬につけた額を私にご提示くださいませ。
ご提示いただいた金額を私の方で検討させて頂きたく存じます。
それから誠に恐縮では御座いますが、交渉が成立いたしましたら、私への支払いは貨幣でお願い致したく…」
「わかった」
「私の願いを聞き入れてくださり感謝いたします。ありがとうございます」
「きみの願いを聞き入れてやったのだ。私からも一ついいか?」
「勿論でございます。但し私如きがご希望に添えられるかどうか…」
「その口調はやめてくれ。
公式の場では我慢するが、我々だけの時は冒険者として話した時のように接して欲しい。
あと私を殿下と呼ぶな。敬称もいらない」
願いは一つではなかったのだろうか。
ウィル殿下はしれっと二つ目の願いもねじ込んできていた。1つ目は兎も角、敬称は必須だろう。
俺は王太子殿下の命令を泣き落としで譲歩してもらった結果、殿下を「ウィル様」と呼ぶことになったのだった。




