序章
― とある異世界 ―
この世界最古に建国された国の1つであるジオニール王国では、神の導きで【神子迎の時】が来ると王城の奥深くにある召喚の間の魔法陣が光を帯びるという伝承がある。
魔法陣より異世界から聖女が召喚され、その聖女は世界に繁栄と安寧をもたらせたという。最後に聖女が召還されたのは遠い昔故に、今は親から子へ伝えられる寝物語として語られていた。
召喚される聖女は身体の何処かに必ず青い薔薇の紋様が印されているという。
それ故この国では故意に青い薔薇を身体に刻むことは禁忌とされていて、親は子に『青い薔薇は聖女様のお印だから無闇に描いてはいけないよ』と言い聞かせて聖女の物語を終えるのだった。
巷では物語として語り継がれているが、国の中枢である王族はそれは史実に基づいたもの、つまり過去に実際に起こったことだと認識している。
彼らはいつか来るとされている【神子迎の時】を天命と位置付けており、古来より召喚の間には陣を見守る魔術師を常に控えてさせていた。
そしてある時、前触れもなく異変が起こる。
今まで何事もなかった魔法陣が突如淡く光を帯び始めたのだ。
それを目の当たりにした魔術師は、己の身形が乱れるのも忘れて早急に国王陛下の元へ向かった。
この国の王であるルドルフ・スティオニス・ジオニールは魔術師からの報告を受け、直ぐに行動を起こした。
直轄の魔術師団から団長、副団長を始め、儀式に相応しい魔力と身分を有する者数名を王命で招集し、召喚の儀式である【神子迎の儀】を執り行うよう命じたのだった。
「王太子よ、召喚された聖女に心を配るように」
「心得ております、陛下」
儀式に先立ち国王は王太子であるウィリアム・スティオニス・ジオニールにこれから召喚される聖女の世話を命じた。
聖女は尊い存在とされている。
ゆくゆくはウィリアムの妻、即ち国の王妃となるよう囲い込めという意だ。
見目麗しい父と母のお陰で並外れて容姿が整っているという自覚はあり、自分に好意を抱かせるのは今までの経験から難しくはないとウィリアムは思う。
立場上、他人の感情を読む事に長け、生まれながらに非凡な才能を持つ彼にとっては女性の扱いなど容易いものだった。
ウィリアムには既に決められた婚約者がいたが、聖女が召喚された時点で婚約は白紙になる。これは婚約を結ぶ際の取り決めの一つで相手方も承知している。
自分の代で御鉢が回ってくるとは正直思っていなかったが、結婚は政略であり国を統べる上でのカードの一枚に過ぎない。
この国に繁栄をもたらせるであろう聖女とはそれなりに良好な関係を築きたいとウィリアムは思っていた。
「これより神子迎の儀を始める」
国王の声が召喚の間に響く。
魔法陣の上座に国王が立ち、その横に王太子であるウィリアム、そして魔術師達が等間隔で魔法陣の周りに配置された。
代々王の直系が口伝で継承される呪文を国王が詠唱し始める。それと同時にウィリアムを含めた他の魔術師達は魔法陣に魔力を注いでいった。
そして直ぐに違和感を覚える。
ウィリアムや魔術師たちは魔法陣に『魔力を注ぐ』というより『魔力を吸い取られる』という感覚だった。
国で屈指の魔力量を誇るウィリアムが既に半分以上を陣に注ぎ込んでいる。恐らく他の魔術師の魔力は残り少なくっているはずだ。
魔力の操作と消耗でウィリアムの額に汗が滲む。それが粒となり頬を伝ってぽとりと床に落ちた。
その瞬間、突然魔法陣が神々しく輝きを放ち光の粒子が人を型どっていく。
━━ ついに聖女が降臨される! ━━
その場にいた誰もがそう思った瞬間、召喚の間に轟音が響き、眩い閃光が人型の粒子を貫いた。そして粒子は閃光と共に跡形もなく消え去ってしまった。
召喚の間の誰もが絶句する。
その沈黙を破ったのは国王だった。
「何が起こったのだ!!!聖女は!!?」
国王の叫びに答えられるものは誰もいない。
「なんということだ…未曾有の事態だ…儀式に不備はなかったはずなのになぜ…」
愕然とする国王の横でウィリアムは思考を巡らせていた。
(陛下の言う通り儀式の手順に不備はなかったはずだ。
魔法陣に召喚されつつあった聖女が貫かれたのは恐らく雷だ…雷は神の御業とされている、聖女を害するとは考えにくい。
だが聖女の姿は雷とともに消えた…。
もしや聖女を隠された…?
いや、転移か?
だとするとその真意は?
この状況だけではわからない…か…)
憶測の域を出ず答えは出ないが、確実に言えることがあった。
ウィリアムは国王に進言する。
「陛下、発言をお許しいただけますでしょうか」
「許す、申してみよ」
「もしかして聖女は無事我が国に召喚されたのではないでしょうか。何よりの証拠が儀式前とは明らかに違う『マナ』です。
聖女がこの世に降臨される時、神の祝福でその周囲は浄化されるという文献を読んだことがあります。
そして突然の轟音と閃光は恐らく雷かと。
雷は神の御業の一つと云われております。
此処から先は私の憶測となりますが、雷と共に聖女が姿を消した…ということは何等かの神の意向で、別の場所に移された…という可能性が考えられるのではないでしょうか。
ただ、神の意向とはいえこのままという訳にはいきません。
一刻も早く聖女を探し出し、その御身を保護する必要があると思われます」
ウィリアムの進言を経て、国王が自身の魔力で周囲のマナ(この世界では魔力の源とされているもの)を探る。そして安堵するように深く息を吐いた。
「なるほど…確かに周囲が清められておる。これは恐らく国全土に広がっているであろう…、なんと尊き御方よ。
見知らぬ世界に来られ聖女は心細い思いをしておられるやも知れぬ。王太子よ、直ぐに捜索隊を編成し必ずや聖女を捜し出し丁重に城へ迎え入れるのだ!」
「御意!」
国王に進言したものの、聖女が転移しているかは憶測でしかない。そして姿形すらわからない状況だ。
文献によれば聖女の身体の何処かに青い薔薇が印されてるらしいが、どのように確認したものかと思案する。女性の肌を男が確認するわけにもいかない為、捜索隊に女性も入れなければならないと思った。
(とりあえずは情報収集だな)
ウィリアムは召喚の間を後にし、場内を足早に歩きながら捜索隊のメンバーを頭の中で選任していくのだった。