戸惑いだらけの新生活
学校が始まって一週間。
定時制高校は単位制で、生徒ひとりひとり時間割が異なる。
必修科目以外は、選択科目の中から好きに組み合わせて時間割を組める。
だから和香と完全に同じ時間割になる生徒は学年に二人しかいなかった。
和香は数学が嫌いで、できれば取りたくない。なのにその数学はⅠとⅡが必修。Ⅰを修得しないとⅡを選べない。
学校のルールに嫌だは通用しないと、小学生のときに学んでいる。
二年になったら好きな時間割にすると心に決めて、一年の時間割は必修で埋めた。一年で我慢すれば二年以降好きな科目が多い。
そんなわけで、和香は数学Iの授業をうけていた。
友だちと呼べる人はできていない。
一人で学校までの道を歩いて、一人で駅までの道をいく。
スカートをはかなくてよくなっただけであって、和香が別の誰かになれたわけじゃない。
相変わらず無愛想で男言葉をつかうし、服装はメンズTシャツにカーゴパンツ。
私服の女生徒たちに混じると、やはり少し浮いていた。
和香と同じようにスカートをはかない女生徒もいるけれど、彼女たちはちゃんと違和感なく女の人に見える。
先生が黒板に数式を書く音と、生徒たちがノートにシャーペンを走らせる音だけが聞こえる静かな教室に、とつぜん暴れん坊将軍のテーマが響き渡った。
途端に教室は笑いの渦に包まれる。
「誰だー。携帯はマナーモードにしとけと言っただろう」
先生が教室を見渡す。
「す、すみません、すぐ切ります!」
和香はカバンに手を突っ込んで、手探りで電源ボタンを探り当て、長押しして電源を切る。
マナーモードにし忘れたことを心の底から悔やんだ。
何事もなかったかのように授業は再開されて、授業の終わり、一人の女子に声をかけられた。
「さっきの面白かったー! なんで暴れん坊将軍なんて着メロにしてんの?」
この子は毎朝ホームルーム教室で見かけるけど、名前がわからない。同じ中学から来たらしい子たちとワイワイ喋ってる明るい子、ということだけ認識している。
中学時代のブレザー制服を改造して着ているのが、すごく似合っている。
「……昔、おじいちゃんと観てたから。メールが暴れん坊将軍で、電話は水戸黄門」
「あははは。ほんと面白い。えっと、同じクラスの水沢、和香だっけ」
「あなたは?」
「わたし希沙。ねぇ、和香は〜」
希沙は昔なじみの友だちかのようなノリで話し始めてしまった。
ついでにホームルーム教室に戻ったとき同じ中学出身の子に紹介される。
人類みな友だちというくらい底抜けに明るい。
希沙はこれまで会ったことのないタイプの人間で、和香はおおいに戸惑った。こんなに好意的な対応、亜利以外にされたことない。
それに、あることに気づいてしまってどうしようもなく背筋がゾワゾワした。
「ねぇねぇ和香はいつもN駅から一人で来てるよね。同じくらいの時間に乗ってんなら一緒に来ようよ」
「え、ええと、うん、あの……それは、かまわないんだけど、……自分の名前あんまり好きじゃなくて、できたら、名字で呼ばれたい」
咄嗟に口にして、自分の言葉にはっとする。
和む香りと書いて和香。
いかにも女の子っぽいこの名前が、ずっと嫌いだったんだと気づいてしまった。
失礼なことを言ってしまった、と和香が自分の言葉を訂正しようとしたけれど、希沙もその友だちも気にしなかった。それどころか、
「ん、それ言ったのミズっちで二人目。名前が嫌なら名字で呼ぶよ。ミズっちでいいでしょ」
和香で二人目、というのはどういう意味なのかしばらく経ってから知ることになった。