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 朝起きたら、政治家の谷村正憲が殺害されたというニュースで、テレビは騒がしくなっていた。

 自宅ではないマンションの一室で死亡していたという。

「……」

 最初に浮かんだのは、愛人の部屋、という言葉だった。だが選挙が近いこの時期に、そんなことをするだろうか……。

「……」

 いや、ちがう。そんな下世話なことではない。花梨は、もっと心の奥底から湧き上がってくる不吉な予感に気がついた。

 政治家の殺害。

 ただ事ではない。

 そして花梨は、そういうことをしそうな人間を知っている。

「これも……」

 冴島が関与しているのだろうか?

 いてもたってもいられず、大沢に連絡をとった。

 大沢とは、戸倉を尾行したあの夜以来、会っていない。あのあと電話で、途中で見失ったとだけ伝えた。暴漢に襲われたことも、冴島に助けられたことも、部屋の住所を教えられたことも報告はしていない。

 なぜだか、話せなかった。

『どうしましたか?』

「ニュース観てますか?」

『谷村正憲の事件?』

「はい」

『これが、どうかしましたか?』

「まさかとは思うんですけど……」

 言いよどんでしまった。確証があるわけでもない。

「この事件も……」

『冴島の犯行だと思ってるんですか?』

「はい……」

『だとすると、谷村正憲も冴島の両親が殺害された事件にかかわっていることになる』

「可能性はないですか?」

『いや……あるかもしれない』

 大沢は、重々しく言葉を吐き出した。

『谷村正憲は、なにかと悪い噂があった』

「汚職ですか?」

 花梨は、政治には詳しくなかった。それどころか、父親が裁判官だったにもかかわらず、法律にも無関心だった。むしろ、そういうお堅い職業を嫌悪すらしていた。

 裁判官の家族も、模範的な生活を強要される。すべての裁判官の家族がそういうものかわからないが、花梨の父親は生活態度に厳しかった。

 だから花梨は法曹界や政治関係、警察官、それらの職業につくのだけはいやだった。一般の公務員にもなろうと思ったことはない。

『そういうのではありません。法律を犯すような真似はしないでしょう』

 ではほかに、なにがあるだろう?

『なにか政変やスキャンダルがあったとしたら、その裏では谷村正憲が動いている……記者なら有名な話です』

「裏で?」

『根回しや段取りにたけている。とはいえ、策略家ではない。陰謀をめぐらせる頭脳の下で働くタイプです』

 途端に、悪いイメージが心に広がった。

 悪の親玉に仕える子悪党、といったところだ。

「本当に冴島の犯行だとして……今回は、どうなると思いますか?」

『未知数ですね。どう転ぶかわかならない。逮捕されるのか、逮捕されても不起訴になるのか……』

 もし冴島が過去の復讐で動いているとして、その復讐相手が真相の究明をよしとしない……もっといえば、過去の事件との関係を蒸し返してもらいたくないと考えれば、冴島のことは無視をするかもしれない──。

 大沢は、そのように説明してくれた。

『ですが、現職の国会議員殺害ということになれば、はたしてそれが通じるのかどうか』

「今度こそ有罪になるかもしれない、ということですか?」

 大沢は、曖昧な返答をしただけだった。どうなってしまうかは、本当にわからないようだ。

「あの……まだ戸倉弁護士を見張っているんですか?」

 花梨は話題を変えた。大沢に、あの夜の出来事を黙っていることに罪悪感をおぼえていた。

『いえ……いまは』

 尾行がまかれたということは、戸倉に勘づかれている可能性がある。そうであれば、戸倉は尻尾を出さないだろう──そのようなことを大沢は語った。

 じつは、当初の目的である冴島との接触については、達成していることになる。というより、冴島の住まいを知っているのだ。

 それを言おうか、花梨は迷った。

『では、谷村正憲の事件について調べてみます』

 迷っていたら、切られてしまった。

「……」

 この事件も冴島がおこしたものなのか……それを確かめる方法を、花梨は知っている。

 本人に訊けばいいのだ。

 教えられた住所に行ってみようか……。

 しかしそこは、気軽に行けるようなところではない。それこそ身の危険を覚悟しなければならない。

 せめて、だれかを誘っていっしょに行くべきだ。そんな相手は大沢しかいないが、なぜだか一人でなければいけない──そういう思いが心のどこかにある。

 いつものように仕事へ行き、いつものように仕事を終えた。しかし心のなかには、そのことが大半をしめていた。

 就業後、花梨はついに行くことを決めた。

 夕刻。陽はまだ残っている。たとえ夜になったとしても、すでに闇を怖いと思う感情はなくなっていた。

 冴島によって植えつけられた恐怖は、冴島によって克服された。なんと皮肉な……。

 花梨は、教えられた住所に向かった。足取りは、想像していたよりもしっかりしていた。もっと迷いや怖さがあると思っていた。

 戸倉を尾行して降りた駅。そして、あの公園を通った。一瞬だけあのとき襲われたことが脳裏をよぎったが、よくよく考えれば、裁判で冴島に襲われたときのほうが、よっぽど恐怖だった。あれにくらべれば、あの犯人は滑稽なほど小物感があふれ出ていた。

 ついたのは、まだ真新しいアパートだ。扉に表札はついていない。覚悟をきめて、ノックした。

 数秒間、世界が静寂に包まれたような錯覚をあじわった。ガチャとオモチャのような音がして、ドアが開いた。

 冴島は、無言だった。表情も無だが、眼が笑っているようにも思えた。ただの思い込みだったかもしれない。

「あの……」

 さらに大きく扉が開いた。それを花梨は、入れ、という合図だと解釈した。

「お邪魔します」

 まるで吸い寄せられるように、なかへ入った。

「で?」

 部屋のなかは、ガランとしている。テレビどころか、日用品すら見当たらない。

「……」

「なにか聞きたいことがあるんだろ?」

「あれも、あなたがやったんですか?」

「あれ?」

 おたがいが立ったまま会話をしていた。

「政治家の殺害です」

「物騒な話だ」

「そういうことをするのが、あなたでしょ?」

「ふふふ」

 愉快そうに冴島は笑った。

「真剣に答えてください」

「やったと言ったら、どうするつもりだ?」

「……」

 どうするつもりなのだろう……。

 花梨にも、それはわからない。

 自首してください──それは、ちがうような気がする。では、ほかに?

「どうしてなんですか?」

「どうして?」

「なんで政治家を? あなたのご両親が殺害された事件と関係があるんですか?」

 勇気をもって、花梨はたずねた。

「あなたの目的は、復讐なんでしょう?」

「おれの頭はイカれてるんだ。だから殺す。裁判でもイカれてるから無罪になった」

「そんな嘘が聞きたくて、ここ来たわけじゃありません!」

 強く訴えた。

「……おれが復讐しているとして、あんたはどうする?」

「これだけは、はっきり答えて」

 冴島の瞳をみつめた。

「わたしの父は、本当にまちがったことをしたの!? まちがった判決を出したの!?」

「そうだと言えば、おれのことを許せるのか?」

 まるで試すように、冴島は問いかけた。

「許すわけないわ……」

 それを聞いて、冴島が笑った。いや、そのように見えた。

「なにが可笑しいの?」

「人の憎しみが、そんな簡単に消えるわけがない」

 そう言われて、自分もこの冴島と同じだと思った。

「……次は、だれを殺すつもりなの?」

「教えると思うか?」

 花梨は、再び冴島の瞳をみつめた。

「……最高裁長官」

 冴島の声は、つぶやくようだった。

「その人を、狙うということ?」

「狙う?」

 あざけるような笑みが浮いた。

「狙うというのは、これから殺すために準備をするということだ」

「……」

「おれに準備はいらない。つまり、狙うこともない」

 よく意味はわからないが、冴島が殺すときは「狙う」という動作が必要ない、ということを言いたいようだ。

「もう殺しているのも同じということ?」

「そうだ」

「何人殺すつもりなの?」

「さあ」

「最後が、あなたの両親を殺害した犯人なの?」

 冴島は、それについては答えなかった。

「次の殺人で──」

「え?」

 べつのことを口にしはじめた。

「おれは、今度こそ逮捕される。そして、再び裁判にかけられる」

 まるで、すべての道筋が見通せる占い師のように……いや、それこそ全能の神のように、冴島の言葉には真実味があった。

「それから……どうなるというの?」

 結末を聞きたくなった。

「わからない」

 拍子抜けした。

「どうなるかは、おれでも想像はつかない」

「……」

 冴島は、まだなにかを語ろうとしていた。言葉を挟まずに、それを待った。

「どんな結末になったとしても、きみはおれと同じものを追うことになるだろう」

「……どういう意味ですか?」

「言葉どおりの意味だ」

「……」

 視線で続きをうながしたが、冴島はもうなにも発言しようとはしなかった。


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