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 元最高裁長官であり、神奈川県知事だった倉持健吾は、すでに一般人となっていた。再選をかけた昨年の知事選で敗北してしまったのだ。

 政治活動の引退を宣言し、落選直後はテレビのコメンテーターをやっていたが、傲慢な態度と発言が視聴者から反感を買い、いまではあまりメディアでみかけることはなくなっていた。

 ネットで情報を集めてみたところ、サンライズという芸能事務所に所属しているらしいので、そこへ連絡してみた。弁護士という肩書を名乗っても、おいそれと住所は教えてくれない。

 なんとか会って話をしたいので、連絡をしてくれるように番号だけは伝えておいた。その三日後、マネージャーだという女性から電話があった。

 直接会うつもりはないが、電話なら可能だと返事をもらった。むこうが指定する時間に、花梨の携帯にかけてくれるということだった。

 約束の時間から、すでに二十分が過ぎている。

 あきらめかけたとき、着信があった。

「もしもし?」

『児玉花梨さんの携帯でよろしいですか?』

「はい、そうです!」

『倉持です。なにか話があるとかで……』

 冴島冬輝とうきについて、と事前に伝えてある。

「はい。倉持さんは、冴島冬輝と会っていますよね?」

『ええ……思い出したくもないが』

「知事室に侵入してきたんですよね? そのとき、彼になにを告げましたか?」

『どこまで知っているのですか? あなたは、担当弁護士なんでしょう?』

 本人から聞いているはずだ、と言いたいようだ。

「確認のためです」

『裁判に必要なことですか?』

「内容によります」

 とにかく、この男からそれを聞き出したかった。

『犯人は、むかしの裁判について知りたいようでした……私には、なんのことやらわからなかったが』

 かつてどこかの勢力の要請で裁判を捻じ曲げたことは、やはり隠しとおしたいようだ。

「裁判官だったころに、あなたがしたことを問うつもりはありません。冴島には、なんと答えたのですか?」

『公判で発言されては……』

「それについて口外することもありません」

『本当ですね?』

「はい」

 一拍置いてから、倉持は語りはじめた。

『当時、私は最高裁の長官だった。そのときに、ある筋から便宜をもちかけられたのではないかと、あの犯人は疑っていたのだ。私に心当たりなどなかったが、もしかしたらあれのことかな、と思ったことがある』

 自らの疑惑について、うまいぐあいによけている。

「結局、なんと答えたのですか?」

 まわりくどい駆け引きはどうでもよかったので、話をせかした。

『山野だよ』

「山野? その人から便宜をもちかけられたということですか?」

『人聞きの悪きことを言わんでくれ。そんなことは知らん。とにかく、山野だ』

「わかりました。山野という人のことを冴島に告げたのですね?」

『そうだ』

「どんな人なんですか?」

『山野幸助だよ。私よりも有名だろ?』

 その人物は左派系野党の国会議員で、テレビ出演も多く、政権批判といえば、この人の顔を連想する視聴者は多いだろう。

「どういうことですか?」

『なにがだね?』

「与党の政治家ならわかりますけど……野党でしかも……」

 山野幸助は、知名度のわりに重職についているわけではない。

『いろいろあるんじゃないのかね』

「でも倉持さんは、その要請に従ったわけですよね?」

『なんのことかわからないが……もしそうだとしよう。私に覚えはないが、そういうとき、きまって動機になるのは一つしかないだろう?』

「お金ですか?」

『それは人それぞれだ』

 つまり、なにかしらのご褒美をもらった……そういうことだ。

 が、野党のいち議員が高額な賄賂を出せるとも思えない。かといって、重要なポストを提示することもできない。

「聞けば聞くほどわかりません」

『官僚や政治家に一度でもなればわかる』

「もっと簡潔に教えてください」

『むこう側だよ』

「むこう側?」

『それは自分で調べたまえ。では、もういいかな?』

「あ、いえ…まだ!」

 しかし、切られてしまった。

「……」

 ヒントのようなものを聞くことはできたが、肝心のことはわからずじまいだ。これなら、冴島(別人格)と同じではないか。

 こういうとき記者の大沢が身近にいてくれたら、的確なアドバイスをしてくれたはずだ。だが大沢の番号は、すでに通じなくなっている。

 自分の頭で考えるしかない……。

 左派政党の議員が、最高裁長官にあたえることのできるご褒美などあるのだろうか?

 ここはやはり、同じ立場についたことのある人物から意見を聞くべきだ。花梨の頼れる知り合いのなかに、そういう大物がいる。

 たがいまの時間は司法修習所にいるだろうから、夜になるのを待ってから、連絡をいれた。

『おう、花梨ちゃん』

 山口のおじさんは、屈託のない明るい声で応じてくれた。

 花梨は、倉持健吾との会話を伝えた。

『山野幸助か……』

「左派議員が裁判所に圧力というのが……想像できないんです」

『なるほどな』

「どういうことか、わかるんですか?」

 声音からは、本質を見抜いた響きがあったのだ。

『日本の政治家や官僚にとって、つねに顔色をうかがうのはアメリカだ。まあ、それはよくわかるわな』

「え、ええ……」

『だが、ほかにも気をつけるべき国がある』

 そう問われて頭に思い浮かべる国は、一つしかなかった。

「中国ですか?」

『そうだな、その筆頭だな。むかしはロシアを警戒していたが、いまは中国だ』

「では、中国からの圧力がかかったということですか?」

『その可能性が高いな。左派とパイプのある国は、三つある』

 山口のあげるであろう国名を、花梨は瞬時に頭のなかに思い描いた。

 答えは同じだった。

『中国と北朝鮮、そして近年レッドチームに片足をつっこんでいる韓国だ』

「そのなかだと、やっぱり中国ですか?」

 チャイナマネーが莫大なものだということは、もはや常識だ。

『どうだろうね……これが普通の贈収賄や利益供与なら中国だろうな』

「では……」

『まあ、いずれにしても、その国にとっては隠したいということなんだろう』

 Aの素性……。

『法廷に呼んだのだろう? そのことは聞いているよ』

 最高裁長官までつとめたのだから、そういう情報を集めるのは簡単なはずだ。

『無茶をしたね……でも、それは君の個性でもある。信じた道を進むといい』

「はい……」

『危険なことがあったら、すぐに警察を呼びなさい。わしにできることなら、口添えでもなんでもするよ。利用できるものは、なんでも利用するんだ』

 すでに危険なことはあったが、深く語るつもりはなかった。これ以上、おじさんに心配をかけたくはない。

 電話を切った花梨は、頭のなかを整理した。

 Aは、アジアのレッドチームに属する国と関係する人物であることが濃厚だ。

 その国とつながる左派政治家が、かつての裁判で圧力をかけた。ここでAを裁判に引きずり出したことで、なにが動き出すか……。

 もし本当に外国のVIPがAの親だとしよう。いくら左派の政治家が働きかけたからといって、裁判を捻じ曲げるほどの圧力になるはずがない。もっと大きな日本国としての承認があるはずだ。

 どこまで関わっているのだろう?

 政治家であれば、それこそ総理大臣まで行き着くのか。財界人であれば、経団連の会長や世界的有名企業の社長だろうか。普段は表に出ないフィクサーのような人物なのかもしれない……。

 花梨は、ため息とともに、そういう思考を吐き出した。とにかく次の裁判で、いろいろなことがわかるはずだ。ああだこうだ考えるのは、それからでもいいだろう。

 そして数日が経ち、公判の朝が来た。



 久世は、まだ復帰できない。

 花梨だけが弁護士として席についていた。

「本来であるならば、前回、論告求刑と最終弁論、そして本日、判決言い渡しの予定だったのですが、弁護側の申し出により、新たな証人の尋問をおこなうことになりました。検察側も、それを認めています」

 裁判長が説明もかねて発言した。傍聴席には、いつもより多くの人間がいる。といっても、満席ということはない。席はまばらだ。おそらく、傍聴マニアの口コミで人が増えただけだと思わる。報道関係に注目されいるわけではない。

 冴島は、いつものように夢見心地の表情だ。

「裁判長、そのまえに一つよろしいですか?」

 検察官が手をあげた。

「なんでしょう?」

「裁判のまえに、確認しておかなければならない事実がわかりましたので」

「どのようなことですか?」

「弁護人である児玉花梨についてです」

 まるで犯罪者のように呼び捨てにされ、正直、気持ちのいいものではなかった。

「続けてください」

「児玉花梨は、事件関係者です」

「どういうことですか?」

「児玉花梨の父親は、当裁判の被告人・冴島冬輝の被害者である児玉信三です」

 どういう意図の発言なのか、花梨は冷静に耳をかたむけた。

「事件被害者の親族が弁護人をやっているのです!」

 高らかに検察官は声をあげた。

「本当なのですか? 弁護人?」

「そのとおりです」

 花梨は認めた。

 これまで久世には意図して隠していたが、べつに後ろめたいことがあるわけでもない。

「ですが、それになんの問題があるのですか? 被害者の娘が弁護人をやってはいけないという規則はないはずです」

 真っ向からそう言われて、検察官は鼻白んだようだ。

「……そのとおりですね。検察官、その発言の趣旨を明確にしてください」

 いままでに前例がないであろう事柄だったので、裁判官も困惑したようだが、花梨の発言で冷静になれたようだ。

「い、いえ……ですから、弁護人はなにかの思惑があって被告人に近づいたのではないのか……と」

 口ごもるように検察官は言った。

「そんな憶測をおっしゃられても、迷惑です」

 キッパリと花梨は言い放った。

 検察官は、意気消沈したように着席した。

 花梨が被害者遺族だということを追及すれば、動揺すると考えたのだろう。しかし、そんな浅はかな覚悟でやっているのではない。

「では、あらためて公判をはじめましょう」

 その宣言で、法廷内の空気が入れ替わった。

 本日の主役である証人Aが呼ばれた。

「証人は、証言台へ」

 Aは、あきらかに楽しんでいた。

「氏名と職業を言ってください」

 裁判官も緊張しているようだった。

「Aとでも呼んでください」

 少ない傍聴席にも、どよめきがおこった。

「……職業は?」

「無職です」

 異質な空気に支配されていた。

 結局、裁判長は本名を追及することはしなかった。

「では弁護人、質問をしてください」

 証人尋問が急かされるようにはじまった。花梨は立ち上がる。

「Aさん、実名はなんとおっしゃるのですか?」

「それを知る覚悟はできているのですか?」

 逆に問いを投げかけられた。

「質問するのは、わたしのほうです」

「黙秘します」

 Aは、笑みをみせながら言った。

「それでは、べつのことをお聞きします。どうして、今日は来てくれたのですか?」

「おもしろいことを言いますね。私は、あなたにお願いされたから証言しに来たんです」

 白々しいセリフだった。

「では、被告人・冴島冬輝との関係を教えてください」

「関係? とくにありません」

「あなたが、かつて殺害した夫婦の息子ではありませんか?」

 その発言に、裁判長が敏感に反応していた。

「弁護人、この裁判に関係のない発言はひかえてください!」

「関係はあります」

 花梨は引かなかった。

「それとも、過去の事件を言及してはいけない“なにか”があるのですか、裁判長?」

「い、いえ……わかりました。弁護人、続けてください」

 仕方なしに、といった様子だった。

「Aさん、あなたは被告人の親を殺害した過去がありますね?」

 あらためて確認した。

「ありますよ」

 朝食を聞かれたときのように、さらりと答えた。

「もちろん、その裁判であなたが無罪判決をうけたことは承知しています。ですから、その犯罪について非難するつもりはありません……」

「では、なにが聞きたいのですか?」

「あなたは、刑法三九条において、無罪判決をうけたました。ですが、あなたは詐病でしたよね?」

「過去の事件については非難しないのではなかったですか?」

「糾弾しているのではありません。ただ、事実を確認しているのです」

「答えは、NOです」

「詐病ではなかったというのですか?」

「精神疾患を偽装したことはありません。だいたい、それを判断したのは私ではなく、精神鑑定をした医師です。そして、無罪判決を出したのは裁判所です」

 殺人鬼が道理にあったことを口にしている。

 かりに詐病をくわだてたのだとしても、それを見抜けなかった裁判所の責任だ。

「もし私がいま、あのときは正常でした、と告白したところで、もうどうすることもできない。それはおわかりでしょう?」

 弁護士にそれを言うことは、ある意味、侮辱だ。一事不再理は、裁判における基本中の基本になる。心神喪失で無罪をうけた彼を裁く方法は、もうない。

 ただし、それは過去に裁判にかけられた事件にかぎる。

「先日、わたしの上司が何者かに襲われました。奥さんもいっしょに。その犯人は、あなたではないですか?」

「さあ、なんのことでしょう」

「では、三年前の戸倉弁護士殺害についてはどうですか?」

 検察官が異議を唱えようと手をあげかけたが、思いとどまったようだ。

「私には関係のないことです」

「そうでしょうね。いまのあなたは、正常な人間です。いえ、異常ではあるのかもしれませんが、これがあなたの裁判だったなら、刑法三九条で守られることはない」

「ははは」

 Aは、軽やかに笑った。

「被告人の犯罪は、あなたを真似たのです。三九条を利用して無罪となったあなたを」

「では弁護士さんは、冴島冬輝は無罪だと思いますか?」

 思いがけず、逆に質問をうけていた。

「はい。Aさんが無罪なのなら、被告人も無罪だと考えます」

 暴論なのは承知していた。

「弁護人……」

 裁判長がたしなめの言葉を出そうとしたようだが、途中で消えていた。

「弁護士さん、私もそう考えます。彼は無罪です」

 その発言で、不穏な空気が流れた。

「彼のなかには、そうだな……三人、いや、四人がひそんでいる」

 人数までは断言できないが、そのことは花梨も感じとっていることだ。

「殺害したのは、そのだれかでしょう」

 別人格による犯行だから無罪である、という主張だ。

「彼自身なのか、彼のなかのだれかなのか……私への復讐をしたいのでしょう」

 Aは、冴島の顔を見て言った。

「おれを殺したいか?」

 それまでの丁寧な言葉遣いから、力強く乱暴な口調に変わっていた。こちらのほうが、この男の本性のはずだ。

 語りかけられた冴島の顔は、変わっていない。

 いや……。

「くくく」

 愉悦したような笑い声がした。

 最初、Aの声なのかと思った。だが、ちがった。笑っていたのは、冴島だった。

 面会のときの人格ではない。

 すべてを超越したような存在感があった。

「そうか……ついに、会えたな! 本当のおまえに」

 歓喜したようなAの声が響いた。

 しかし、その直後だった。

 けたたましい警報音!

 法廷内は、だれもがその音に気をとられた。

 しだいに煙たくなっていく。

 どこかで火災が発生しているのだ。

 数人が駆けこんできた。扉を開けたときに、大量の煙が入り込んできたから、急に眼が痛くなった。

 法廷内に入ってきたのは警備員なのだろうと最初は考えたのだが、そうではなかった。

 彼らは、冴島についていた刑務官を一瞬にして組み伏してしまった。

「な、なんだ君たちは! ゴホッ」

 だれかの怒声がしたときには、煙で視界はさえぎられていた。

 ハンカチで口をおさえながら、姿勢を低くした。突然、だれかに手を引かれた。

「だれ!?」

 警戒の声を放った。

 避難を誘導するような握り方ではなかったのだ。

 だが、煙と炎のなかで死にたくはないので、何者かの腕についていった。

「だれなの!?」

 花梨は、腕の主を冴島ではないかと考えていた。この混乱に乗じて逃亡しようとしているのかもしれない。彼なら、それぐらいのことはやってのけるだろう。

 煙が薄れていった。

 安全な場所にまで離れたようだ。

 相手の顔が眼に飛び込んできた。

「なぜ、わたしを?」

 素直に助けたわけではないだろう。

 その人物は、Aだった。

「決着をつけておこうと思ってな」

「……これは、あなたの仕業なの?」

「ちがう。だが、この状況を利用させてもらうことにする」

「なにをするつもり?」

「だから、決着だよ」

「……」

「おまえは、餌だ。最強の獲物をおびきだすための」


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