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二一

       二一


 Aが弁護側の証人として、次回の公判で出廷することが決まった。

 あの流れでは、その日のうちに証言台に立ちそうな勢いだったが、そういうわけにもいかなかったようだ。

 証人のルールを冴島は詳しく知っているわけではない。が、事前に証人尋問を請求するむねを書面で提出しなければならなかったはずだ。その人物の氏名と住居を書かなければならない。

 Aについては、なんと記すのだろう。

 本名は、過去の裁判でも明かされていない。明かされていないだけで、裁判所や検察は知っているのだろうが、すくなくとも当時Aの弁護士だった戸倉は把握していなかった。名前も知らずに弁護をしていたことになる。

 今回もAが名乗らなかったら、氏名不詳で証言台に立つことになるかもしれない。なによりもAの後ろにいる権力者は、その実名が広がるのをなんとしても防ごうとするだろう。

 そして、あの老いた弁護士が襲撃された。

 結果、彼女があそこまでの行動をとったのは、Aですら予想できなかったはずだ。

 いや……あのタイミングで登場したということは、最初から証人として法廷に立つことを目論んでいたのだ。

 つまり、そこまで深く読んでいた……。

 だとすれば、想像以上の怪物だ。

 おれでは勝てない──冴島は、それを覚悟した。

 対抗するには、全能者をぶつけるしかない。

 だが、彼をコントロールすることはできない。すべての人格を彼に支配されたとしたら、それはもう一人の絶対的なモンスターを生み出すことにつながる。

 Aと全能者が世に放たれたら、それこそ混沌とした闇が広がるだろう。

 その光景を見てみたい衝動がある……。

 危険は、蠱惑だ。

 冴島は次回公判まで、底知れぬ恐怖と興奮に耐えなければならなかった。


     * * *


 おれはあのあと、裁判所の廊下であの女の前に立ちふさがった。

 女のほうも、それを待っていたようだ。

「トラブルは解決してくれましたか?」

 おれは声をかけた。

「……佐藤さん、あなたのおっしゃっていたアパートは、存在していませんでした」

「そうですか」

「あそこにはむかし、べつの家が建っていたそうですね」

 おれは、笑みを浮かべていた。

「そこには、だれが住んでいたのですか?」

「あなたが殺した人物です」

「それはだれですか?」

「被告人、冴島冬輝とうきの両親です」

「なぜ私は、その人たちを殺したのですか?」

「その答えを知っているのは、あなただけです」

「私の正体は、なんですか?」

「……」

 女の口から答えは出てこなかった。

「もう一歩だ」

 彼女は意味がわからないようだった。

「あなたの上司は、災難でした」

「……」

 彼女の眼光には怒りがこもっていた。

「だれにやられたのか私は知りませんが、きっと最初から殺すつもりはなかったのでしょう。その気になれば、殺せたはずです」

「傷害も重罪ですよ!」

「そうですね」

 おれは、ますます興味をそそられていた。女は、なにも覚えていない。

 おもしろい。こんな愉快なことはなかった。

「これを」

 おれは、携帯の番号を記した紙を女に渡した。これから必要になるだろう。

 これまでは位置を特定されるおそれがあるから、携帯電話を所持したことはなかった。はじめての契約だ。

「……」

 無言で女は受け取った。

 おれは、歩き出そうとした。

「待って。もう一歩とは、どういう意味ですか?」

「そのままの意味です。もっと踏み込むことですね、私の正体が知りたいのなら……いえ、それはあなた自身のことかもしれない」

 そう言い残して、その場を去った。ヒントをあげすぎたかもしれない。それだけ、あの女と冴島という男に魅了されているということなのだ。

 あれから三日が経った。

 遠峰が、またおれをのことをさがしだしていた。自宅にしているボロアパートの近くだった。ただし今回は部下がいない。どうやら捕まえるためではなく、ただ話がしたかったようだ。

「おふざけがすぎますね」

「情報統制が大変だったか?」

「それは、うちの仕事ではありません」

 それを専門にする部署がほかにあるということだ。

「これ以上、注目をあびてもらっては困ります」

「いいじゃないか。こんなにおもしろい娯楽はないぞ」

「その娯楽のために、この国がひっくり返るかもしれません」

「この国がひっくり返るわけじゃないだろう。しがみついて甘い蜜をすする権力者だけだ」

「……」

「おれの存在が、この国にとっては爆弾か」

 つぶやくように、おれは口にした。

「いいえ。あなたのやったおこないが爆弾なんですよ」

 ただ黙して石のように生きていれば、害はなかった──遠峰は、そう皮肉を言ったのだ。

「観客は、だまって見てろ」

「……冴島という男、あなたがそんなにこだわるほどですか?」

「どうだろうな……」

「あなたは、それを望んでいるようですが」

「やつだけじゃない」

「?」

 遠峰には、意味が理解できなかったようだ。あたりまえか。

「おもしろいのは、ほかにもいるんだ」

「だれですか?」

 おれは、答えを言わなかった。

「この裁判が終わるまでの約束だ。おれはもう行くぞ」

 前回、遠峰は、終わりまで待つつもりはない、と口にしていたが、おれはかまわずに伝えた。

 返事を待たずに、おれは歩き出した。ここに来たということは、すでに部屋もわれている。小細工して遠回りする必要もない。そのまま帰った。

 おれの血筋をかんがみれば、こんなボロアパートに住むなどありえない。べつのタイミング、状況で生まれていれば、いまごろは豪勢な邸宅に住み、うまい食事、酒、あまたの美女を抱き放題だっただろう。

 だが、そのことを呪ってはいない。

 そんな贅沢など、ただ退屈でしかないのだから。

 この翌日、あの女弁護士から正式に証人としての要請をうけた。教えておいた番号が、さっそく役に立った。今度は嘘ではなく、本物の番号だった。

 裁判の日までは、まだだいぶある。はたして、あの女はおれの素性をどこまでつきとめることができるか……。

 高みの見物といこうか。


     * * *


 児玉花梨が接見にきた。

 老弁護士はまだ入院しているのか、彼女一人だった。

 Aに襲われた──それを言葉として耳にしたわけではないが、それぐらいは状況を分析すればわかる。

「冴島さん、もうあなたの目的は果たせました。心神喪失をよそおわなくてもいいでしょう?」

 彼女がそう呼びかけた。

「弁護士の接見には、刑務官もいない」

 ここは二人だけの空間だ。

「Aの正体は、だれなんですか?」

「……」

 吟遊詩人は、むろん答えない。

 冴島は、自らの意識を浮上させようとした。

 うまくいくかわからない。すべての人格は、いまでは完全分業になっている。その役目役目が決まっていて、なかば自動的に切り替わるようになっている。

 最初からそうだったのか、いつのまにかそうなっていたのか、いまとなってはさだかでない。たとえば、いまの歩き方はいつそういう形になったのか、という質問に近い。

 両親の事件からべつの人格があらわれたと当時は考えていたが、本当にそうだろうか? もしかしたら物心ついたときには、べつの人格がいたのかもしれない……。

 好きなときに好きな人格に入れ替わるのではなく、必要な人格に必要なときに入れ替わる。だから、いまここで変化することができるかどうか……。

 冴島自身の意思は、反映されない。

「そんなことは、どうでもいいことだ」

 その声に一番驚いたのは、冴島のほうだった。吟遊詩人がしゃべることはない。

 では、だれの声だ?

 冴島ではない。

「あなたは……だれ?」

 花梨も瞬間的に異質なものを感じたようだ。

 花梨の瞳に映る、その姿は……。

「いえ、あなたのことは知っている……わたしを殺そうとした」

 道化師。

 バカな──殺人の場面でしか発動しない人格なのに。

「殺す? おれがその気なら、裁判のときにおまえは死んでいた」

「……では、なんのためにわたしを襲ったんですか?」

「プログラムだ」

「?」

 その疑問符は、冴島にとっても共通のものだった。

「おれたちは、だれかに組まれたプログラムによって動かされている」

「なにを言ってるんですか?」

「おれは、殺したいから人を殺す。だが、それすらもだれかの思惑だ」

「あなたの罪を、そのだれかのせいにするつもりですか?」

「ちがう。おれは殺しが好きだから、人を殺している。それはだれのせいでもない。自分の欲望を満たすことが罪なのなら、おれは大罪人なんだろう」

「わたしの父を殺したことは、絶対に許しません!」

「ならば、おれを殺せばいい」

「わたしは、あなたとはちがう」

 キッパリと彼女は言った。

 道化師は、ニヤけているだけだった。

「話をもどしましょうか……そのだれかというのは?」

「おれは知らない。おれは、おれのことしかにしか興味がない」

 らしいセリフだった。

「自分勝手な人ですね」

「そうじゃなきゃ、殺人鬼なんかやってない」

 彼女は、ため息のようなものを吐き出していた。

「おれは、おれのやりたいように動いている。だが、それすらもだれかの書いたプログラムなんだろうよ」

「ですから、それはだれのことを言っているのですか?」

「おまえは知らないのか? この身体のカラクリを」

「どういう意味ですか? 多重人格……のことですか?」

「やはり、あんたは選ばれたんだ」

「……だれに? わたしを選んだのは、だれですか?」

 結局は、堂々巡りになる。

「だから、おれにはわからない。わかるやつに訊け」

「……でしたら、わかる人に代わってください」

「それもできない。おれの意思で出たり、もどったりできるわけじゃないんでな」

「……わかりました。最初の質問にもどりましょう」

 埒が明かないとあきらめたのか、彼女は言った。

「Aの正体は?」

「おれは、考えることは嫌いだ。だが、殺そうとしたときに、声を聞いたな」

「声? だれのですか?」

「だから、殺そうとした男だよ」

「殺そうとした……つまり殺していない……神奈川県知事?」

 彼女にも理解できたようだ。

「なにを聞いたんですか?」

「だれかに答えていた」

「だれですか?」

「おれではない、だれかだ」

「べつの人格ということですか?」

 道化師は、あえてなのか答えなかった。

「なにを聞いたんですか?」

「なんだったかな」

 彼女は怒ったような顔になった。

「覚えてないんだ。あのときは、入れ替わりが激しかった。殺そうとしたのはおれだが、尋問はほかのやつがやってるんだろう。だから、断片だけが耳に残ってる」

「思い出してください!」

「左派の議員がどうとか……」

「なんですか、それ?」

「だから、おれに訊くな」

「だれに訊けばいいんですか?」

 ほかの人格に訊け、と突き放すのかと考えたが、道化師は想定外に気の利いたことを口にした。

「本人に訊けばいいだろ」

 これには、彼女も納得したようだった。これまでのターゲットとはちがって、チキン=倉持健吾は殺しそこねている。

「……そうね」


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