十三
十三
冴島は、戸倉の事務所の周囲を無造作に歩き回った。
あの男にみつけさせる──もしくは、こちらがみつけるためだ。
戸倉は、おそらく殺されている。そして、それを冴島に知らせるために、戸倉の事務所内に凶器を置いておいた。
「……」
戸倉という弁護士は、不思議な男だった。かつては両親の殺害された裁判で、あの男の弁護をしていた。
いわば、戸倉はあの男の無罪を勝ち取った弁護士ということになる。だが冴島は、その敵側の戸倉に会いに行った。
戸倉は、冴島の心情をよく理解していた。
冴島の復讐は、そこから第一歩がはじまっていく。直接的に犯行への加担はなかったが、戸倉は復讐のためのサポートを提供してくれた。戸倉にとって、なんの得があったのか……。
冴島は戸倉を利用し、戸倉は冴島を利用した。
ある意味、共存関係がなりたっていた。
あの男は、戸倉を消すことで、冴島の両翼をもいだと考えている。しかし本当の翼は、冴島のなかにいる。
数台の覆面パトカーが戸倉の事務所の前で停まった。どうやら、どこかで戸倉の遺体が発見されたようだ。
凶器は、あのままにしておいた。事務所のなかが犯行現場ではないが、もうじきこの一帯は封鎖される。
冴島は、あの男の捜索を断念した。
アパートにもどった。予想が正しければ、すぐにも部屋をたずねてくる人物がいるはずだ。
遠慮がちなノックが響いた。
念のため、周囲の状況を把握する必要がある。愚者にかわる。潜入と逃走だけでなく、微細な気配を感知する能力にもたけているのだ。
ドア前には、三人がいるようだ。
想定よりも一人多い。
が、ドアを開けても大丈夫だろう。
冴島にもどって、応対した。
「だれだ?」
「児玉です」
ドアの隙間から、不安げな表情が見えた。
大きく開けると、初めて見る男が二人いた。そのうちの一人は、記者の男だろう。戸倉から話は聞いていた。
もう一人の素性は、その眼つきで明白だった。
「刑事か?」
「警視庁の桐野だ」
身分証が提示された。この女と行動をともにしているということは、逮捕しにきたというわけではないはずだ。
「いろいろと話を訊きたい」
「……」
冴島は、三人を部屋に招いた。男二人はだいぶ緊張しているようだが、児玉花梨は落ち着いたものだった。こういうとき、女のほうが肝が据わっているものらしい。
「適当に座ってくれ」
と言っても、だれも座ろうとはしなかった。けっして広くはない室内に四人が立っていた。つまらない前衛的なオブジェのようだ。
「まず、最高裁判所長官の山口志郎氏を襲おうとしたのは、おまえだな?」
桐野という刑事が切り出した。
「素直に答えると思ってるのか?」
「ああ」
拍子抜けするような返事だった。
ならば、素直に答えるとしよう。
「そうだ」
「とりあえず、おれはその件で動いているだけだ。だからその他の事件についての犯行を告白しても、ここで逮捕するつもりはない」
それを最初に言っておきたかったようだ。
「これまでにおまえが殺したのは、何人だ?」
「……」
「すでに無罪、もしくは不起訴となっているのが二件」
いまこの部屋にいる児玉花梨の父親──児玉信三。
検察官の上田。
この二件については、すでに発覚していることであり、この罪で裁かれることは二度とない。たとえ心神喪失が詐病であると発覚しても、一事不再理が適用される。
ただし、不起訴処分のほうは一事不再理の適用外となるので、再捜査は可能だ。が、検察が一度くだした決定を覆すわけがない。検察審査会も精神疾患のからむ案件では、再起の決定をくだすのは及び腰になるだろう。
「そして、政治家の谷村正憲」
ハンディマンのことだ。
これについては、罪を認めた時点で逮捕されることになる。
とはいえ、児玉花梨には殺害を告白しているし、桐野という刑事は、いまここで逮捕することはないと誓ったのだから、真実を伝えるべきだ。
「そうかもしれない」
そう言うにとどめておいた。
「その後、山口志郎氏を襲おうとしたが、やめた」
それについては、いま認めたばかりだ。
「それだけか?」
「どういう意味だ?」
心当たりが多すぎて、なにについての質問なのか不明だ。
「殺したのだよ」
「ほかは知らない」
いまのところは。
殺し以外では、ハンディマンの女への傷害がある。死んではいないだろうが、警察への届けもしていないようだ。
それと……チキンを殺そうとしたが、途中であきらめた。
こちらのほうは警察に通報されているだろうから、この刑事がまだ知らないだけなのだろう。動くのは神奈川県警のはずだ。だから警視庁は蚊帳の外なのだ。
「弁護士の戸倉を殺したのは、おまえか?」
桐野という刑事が、ストレーに尋問した。
「おれだと思うか?」
「それがわからないから訊いている」
冴島は、児玉花梨の顔を見た。異論があるような表情をしていたからだ。
「戸倉さんとこの人は、協力関係にあったはずです。殺す動機がありません」
「この男が本当に精神疾患のある殺人者だとすれば、動機なんか必要ないだろう?」
桐野の言うとおりだった。
冴島は思わず笑っていた。
「この人は、異常をよそおっているだけです。すべて計画的に殺人を続けています」
この言動にも、苦笑するしかなかった。彼女は、かばっているのか貶めているのか……。
「戸倉は、どこでみつかった?」
「内幸町の路上だよ」
東京地方裁判所の近くになるはずだ。
「アリバイはあるか?」
それには答えず、冴島は児玉花梨へ告げた。
「今後一切、おれにかかわるな」
「え?」
「死にたくなければな」
「あなた以外に、だれに殺されるというの?」
「犯人だ」
「戸倉さんを殺した?」
「……」
「だれなの?」
それを口にしなくても、この部屋にいる人間なら察しはついているだろう。
「まさか……七年前の?」
冴島は、うなずいた。
「事務所へは?」
桐野に質問した。
「どういう意味だ? 戸倉の弁護士事務所へ行ったか、ということか?」
うなずいた。
「いや、行ってない。おれは、その事件を直接担当しているわけではないからな」
「事務所の机には、血で『A』と書かれていた」
「A……児玉さんから昨夜、七年前の裁判について聞いてはいるが……正直、おれはその事件を知らないんだ。そのときの《犯人A》が戸倉を殺したというんだな?」
確認するように刑事は問いかけていた。
「当時、おれはすでに捜一にいたが、その事件のことは知らない。殺人なら、おれらが捜査にあたっていたはずだ。ちがう係の担当だとしても、話はまわってくる」
「Aは、国家権力によって守られているんだ」
「そのAが、どうして戸倉を殺したんだ? なんのために?」
この刑事にしてみたら、そんな現実味のない犯人よりも、冴島の犯行であると考えるほうが簡単なのだ。
「おれが、やつを追っていることに気づいたんだ」
だから、通じているであろう戸倉を殺すことで、警告を放った。
もしかしたらそれは警告ではなく、挑発なのかもしれない……。
「わかった。戸倉の殺害は、Aだとしよう。で、おまえはまだ殺戮を続けるつもりか?」
「……」
「どうした?」
「続ける。だが、一つ大きな問題がある」
「なんだ?」
「おれは、逮捕されるだろう」
「あたりまえだ。罪を犯せば逮捕される。心神喪失が、次も通用すると思うなよ」
「いや、そういうことじゃない」
桐野の顔が、疑問で歪んだ。
「おれのことが邪魔な勢力が、おれの動きを封じるために動き出している」
「勢力?」
「これまでにおれが無罪や不起訴になったのは、むかしの裁判をむしかえされたくないやつらがいたからだ」
「それならなぜ、Aとやらが戸倉を殺した? それこそ、その勢力のやつらからしたら、よけいなことだろ? Aを守るために、おまえを野放しにしている理由がなくなる」
「だから、それが問題なんだ」
「わかりやすく説明しろ」
尋問口調で桐野は迫った。少しイラついているようだ。
「Aは、だれからもコントロールされていない。好きなように生きて、好きなように人を殺している」
「……そんな人間が本当にいるというのか?」
その思いは桐野だけのものではないようだ。児玉花梨と記者の男も、似たような顔をしている。
「おそらく、おれの両親の事件だけではないだろう。もっと以前から殺しを続けているし、そのあとも続けているはずだ」
「そ、そんな人間が野放しになっているはずがありません!」
児玉花梨の声は、強く抗議をしているようだった。
「おれが、いまこうしていることが証拠だ」
冴島は簡潔に言い放った。
三人は、ぐうの音も出ないようだった。
「……Aが独自の意思をもって、好き勝手に生きていることはわかった。で、勢力とやらは、どういう原理で動いてるんだ? Aを守ろうとしている、ということでいいのか?」
その言葉にうなずいた。
「Aを守るために、おまえのことは傍観していた。が、さすがにおまえのことを邪魔だと思いはじめた勢力は、ついにおまえを拘束しようと考えた──こういうことか?」
またうなずいた。おおむね、桐野の語ったとおりだ。
「AとAを守ろうとする勢力は、おたがいが申し合わせたわけではなく、偶然にも双方ともがおまえを排除しにかかった……ということだな?」
その結論づけには、うなずくことはしなかった。
「捕まったら死刑、もしくは長期刑が待っていて、捕まらず野にいたら、Aが殺しにくる……」
桐野はそこま口にして、笑みをみせた。
「どっちも悪党にふさわしい末路だな」
つられて冴島も笑ってしまった。
そんな二人の笑みを不謹慎にとらえたのか、児玉花梨が厳しい眼つきになっていた。
「で、おまえはどう出る? このまま復讐を続けて、おまえを排除しようとする『A』たちも殺してまわるか?」
「必要とあらば」
「それじゃあ、ただの大量殺人鬼だ」
吐き捨てるように、桐野は言った。
そんなことは、最初からわかっていた。
「……一つ案がある」
そう続けた桐野の表情は、冷然としていた。
「案?」
「おまえをAからも、勢力からも守る……そしてなおかつ、おまえの復讐を続ける方法だよ」
この刑事は、なにを提案しようとしているのか……。
「いまここで、おれが逮捕することだ」
警察官としては、あたりまえの考えだ。が、そういうことではないのだろう。なにかの思惑があって口にしたのだ。
「どういうことですか、桐野さん?」
児玉花梨の問いかけだった。
「たしかに逮捕されれば、Aからは身を守れるだろうが……」
記者の男も疑問をもったようだ。
「それでは勢力とやらの思うつぼになる」
「いや、そいつらの好きにはさせない」
「どうするつもりですか?」
「おれが逮捕すれば、捜査一課の威信にかかわってくる。自分で言うのもなんだが、おれは捜一の顔だからな」
「……」
児玉花梨も記者も、どこまで真に受けていいのか判断できないようだった。冴島も、同じ気持ちだ。
「でも、それこそ有罪にできるよう、警察としては捜査を進めるんじゃないですか?」
記者の言うとおりだった。
「それはあたりまえだ。ちゃんとした証拠を検察にあげる。べつにおれは、この男のことを無罪にしようなんて思っていない」
いまの会話の流れとしては矛盾しているが、刑事としては至極真っ当な発言だ。
「だが、圧力によって有罪にしたり、無罪にしたりなんて狂ったことはやらせない。おれがあげた証拠は、イコール、警視庁としての誇りだ。それを検察はむげにはできない。検察はプライドをもって裁判に挑む。もし汚れた裁判官がそれを裁こうというのなら、検察が黙ってはいない」
「でも裁判所は、独立した機関ですよね? 政治家でも介入はできない……検察ではなおさらじゃないですか?」
児玉花梨の指摘を、桐野は真っ向から論破した。
「これまでのあんたらの話を総合すれば、すでに七年前の裁判で、裁判所も検察も圧力をうけている。つまり、どこかの権力によって介入されているということだ」
桐野の声には、強烈な毒がふくまれていた。
「そんなことをしておいて、こっちの圧力にだけ屈しないのは我慢がならん」
どんな手段をもちいても、公正な裁判をうけさせる──そういう決意が感じられた。
「ちゃんとした裁判の結果なら、おまえが無罪になろうと死刑になろうと、おれの知ったことではない」
豪快な物言いに、冴島は再び笑ってしまった。
「いいだろう……逮捕をすればいい」
桐野は、ため息のように呼気を吐き出した。
「わかった。ならば明日、警視庁に出頭しろ」
うなずきかけたところで、冴島の脳内に異変がおこった。
これは……。
3、9、15、39……。
愚者、道化師、吟遊詩人、全能者。
彼らからの警告だ。
「おそかったようだ……」
「どうした?」
「ここの場所は知られている」
「知られている? だれにだ?」
桐野が、周囲に視線を走らせるように眼を動かした。
「Aですか?」
児玉花梨も緊張を表情に出した。
「いや、Aではない。戸倉を殺したのも、おれへの忠告だけではなく、おれの居所を聞き出そうとしたんだ」
「戸倉さんが口を割った可能性は?」
冴島は、記者に首を振った。
「それはない。もし、しゃべっていたら凶器は事務所の机ではなく、この部屋に置かれていた」
「では……」
「そうだ。もう一つの勢力だ」
まずいな、と桐野がつぶやいた。
「どうなるんですか?」
「おそらく、勢力の息のかかった兵隊が押し寄せてくる」
「兵隊?」
「捜査一課ではないだろうな。公安なのか、いや……警視庁の人員では、なにかとむこうにも不都合が生じる。おれが動いているからな」
桐野が、児玉花梨の疑問に答えていく。緊急事態にアドレナリンが出ているからか、饒舌になっていた。
「他県系の公安……警備部が出張ってくるかもしれない」
「ここは東京ですよ?」
「そんなのは、そいつらにとってどうでもいいことだ」
どうするのか、という空気が室内に流れた。
「身柄をよそへもっていかれるわけにはいかない……」
そのとき、ノックの音がした。
トントンではなく、ドンドンと攻撃的な音だった。
「出頭してもらう時間はない」
桐野は言った。
「緊急逮捕する」
「容疑は?」
「谷村正憲の殺害だ」
「それでは弱い」
冴島は主張した。
「……そうかもれん」
桐野も認めた。
これから踏み込んでくる連中は、なにかしらの逮捕状は持っているだろう。ヘタをすると、そのハンディマン=谷村正憲殺害容疑の逮捕状かもしれない。
そうだった場合、冴島の身柄はそいつらのものになる。緊急逮捕よりも、由緒正しい逮捕状のほうが優先されるはずだからだ。
たとえ、べつの容疑だったとしても、おそらくそうなる。
「でも、警視庁ではないかもしれないんですよね? 彼がおこなった犯罪は、すべて都内のはずです」
記者の指摘に、桐野は首を横に振った。
「殺人は、そうかもしれんが……」
そして、視線を冴島に合わせた。続きは、自分で言え、と催促されたようだった。
この刑事は、そのこともすでに把握していたらしい。あえて、そのことには触れなかったのだ。
「県知事だ」
記者も児玉花梨も、それだけでなんのことなのかわかっていた。
「やっぱり、元最高裁長官も襲ってたんですね?」
「手は出しちゃいない」
いずれは殺すがな。
その言葉は、心のなかだけでつぶやいた。
「殺していないのなら、殺人での逮捕が優先されるはずです」
また記者の意見は、桐野によって否定された。
「あくまでも、おれが単独で動いているだけだから、逮捕状をみせられたら、こっちの立場は弱い。警視庁として、確固たる証拠をもっているわけじゃないんだ」
ノックの音はやんでいた。
なかにいることはわかっているはずだから、もうまもなく強行突入してくるはずだ。
時間がない。
「一つしかない」
桐野にみつめられた。
数字が変わる。27から、9へ。
「さ、冴島さん!?」
異変を児玉花梨が察知したようだ。
道化師は、腕をのばした。
花梨の首に手をかける。
「あ、あなたのなか……やはり、べつの……」
その声は、途切れた。道化師が首を絞めているからだ。
そのとき、強引に扉が開け放たれて、室内に捜査員がなだれ込んできた。
「冴島冬輝! 倉持健吾神奈川県知事襲撃の容疑で──」
勇ましく先陣を切った刑事は、あまりの出来事に絶句していた。
「やめるんだ、冴島!」
どこか演技がかった桐野が、言った。
記者と共同で、花梨の首にかけた手をはがそうとする。
「神奈川県警の方も手伝って!」
桐野の厳しい声で、動きを止めていた先頭の刑事は、思い出しように加勢した。
「やめんか!」
道化師の力でも、さすがにそれだけの人員がいれば、ひきはがされた。
「冴島冬輝、殺人未遂の現行犯で逮捕する!」
桐野によって手錠をかけられた。




