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 約束の時間ぴったりに、花梨と大沢は現在の最高裁長官・山口志郎をたずねた。

 仕事は有休をとったのだが、不覚にも今朝は朝寝坊をして、起きたときには十一時近かった。あわてて待ち合わせ場所に急いだのだ。大沢との約束には遅刻してしまったが、長官との約束には、こうしてなんとか間に合ったので、花梨は、ほっと胸をなでおろしていた。

 じつは当初の目的であった冴島については、もう話を聞く必要はなくなっていた。山口長官には、知り合った刑事──桐野が昨日の段階で聴取をおこなっていた。

 桐野からは、そのときの話を細かく教えてもらっている。

 しかし花梨には、それとはべつにどうしても聞いておきたいことがあった。

「おお、よく来たね、花梨ちゃん」

 長官の顔は、花梨が幼いときに知っている「山口のおじさん」そのものだった。

「ご無沙汰してます」

「大きくなったなぁ……すっかり素敵な淑女になってぇ」

 本気なのかお世辞なのか、山口は感動するような声になっていた。

「こちらは?」

「大沢さんです」

 記者ということは伝えなかった。立場上、良い気持ちはしないだろう。

「まさか、婚約者なんて言わないだろ?」

「ちがいますよー」

 冗談を言ってくれたので、大沢の職業はうやむやにできそうだ。

「いろいろ話したいこともあるんだが、なにぶん時間がそんなにとれないんだ。なにか聞きたいことがあるんだろ?」

 山口のほうから質問をうながしてくれた。

「冴島冬輝とうきが会いに来たんですよね?」

「ああ。昨夜、電話で言ったとおりだ」

「冴島は、七年前の裁判で、両親を殺害した犯人が無罪になった復讐をしようとしています」

「七年前? どんな事件なんだ?」

「犯人の名前はわかっていません、Aとしか……」

「あれか」

 その説明で、山口にも思い当たったようだ。

「あの事件は、よくわからない……」

 本当にわからないのか、口にすることのできない秘密があるという意味なのか……。

「教えてください。父は裁判の判決に手心をくわえたんですか?」

「……そんなことはありえない」

 しかし、山口の言葉には力がなかった。

「おじさん!」

 花梨には強く訴えかけることしかできなかった。

「……いまから語ることは、最高裁判所長官としての発言ではない。そのことを理解してくれるか?」

「……はい」

「君のお父さんが、そんなことをしたのか……それはわからない。ただ、そういうことがあってもおかしくはない」

「どういうことですか?」

「だれも犯人の名前を知らないんだ」

「だれもって……」

「裁判所は把握していない。裁判のときから“A”で通っていた……本名を知る者はいないはずだ」

「警察も?」

「もしかしたら、最初に取り調べた警察官には本名を語っていたかもしれないな」

 それはつまり、その名を耳にした警察上層部が、犯人の名前を隠蔽した。起訴をした検察にも、判決をくだした裁判所にも本名が伝わることはなかった──そういうことだろう。

 冴島も報道では『A』と呼ばれていたが、そのレベルではない。

「犯人Aは、国家権力によって守られるほどの人物だということですか?」

「わしの立場では言いにくいが、そうなるだろう……」

「父は、それに加担して……」

「それが理由で、君のお父さんが殺されたというのか?」

「そうです」

「こんなことは思いたくないが、たとえ裁判で不正をおこなったのだとしても、殺すなんて……」

 山口の表情には、複雑なものがあらわれていた。長官としての責任と、父を信じてくれる心情、そして法曹界にはびこる黒い噂──それらが混ざりあっているのだ。

「……冴島は、それでわしも狙った」

「ですが途中で、悪いのは当時の長官だったということがわかったのでしょう」

 これまでずっと黙っていた大沢が指摘した。

「だろうな。そうでなければ、殺されていた」

「当時の長官は、いまの神奈川県知事ですよね?」

「ああ」

「次に狙うのは、倉持健吾……」

「一応、電話で注意はうながしておいたが、まともにとりあってはもらえなかった」

「もう殺されているということは……」

 花梨は、自らの不吉な言動を途中で止めた。

「それならば、大きなニュースになっているはずです」

 大沢が、それを否定した。

「もしくは……襲撃したが、失敗した……」

 その意見には賛同できなかった。冴島という男が、犯行を失敗するということが想像できない。

 緻密で沈着冷静。すべてを計算ずくで殺人をかさねている……。

「冴島の最終目標は、犯人Aか……。そこにいきつくまでに何人を殺すつもりなのか」

「眼には眼を。冴島は、七年前の裁判の再現をしようとしてるんでしょう」

 大沢が言った。

「心神喪失で無罪……か」

 実際に冴島は、花梨の父親の裁判で無罪を言い渡されている。このまま心神喪失をよそって殺人を続けるつもりなのだろうか……。

「でも彼は、次に逮捕されたときは、同じようにはいかないと言っていました……」

「冴島と話したというのか?」

 山口は驚いていた。

「はい……」

「花梨ちゃんは、どうしたいんだ?」

 なにを聞かれているのか、一瞬わからなかった。

「お父さんの復讐をするつもりか? それとも、冴島の犯行を止めたいのか?」

「……」

 なんと答えるべきなのか……自分自身の気持ちさえもよく理解できていない。

「復讐するつもりなら、やめておきなさい」

「復讐ではありません」

 わたしは、あの男とはちがう──花梨は、心のどこかでそう叫ぶべつの自分を意識した。

「それならいいんだが……あの男は危険だ」

「わたしも、そう思ってました……」

「いまは、そう感じてはいないということだね?」

 返事に困る問いかけだった。

「これだけは、覚えておいたほうががいい。あの男は、一人ではなかった」

「え?」

 共犯者がいる、と言いたいのだろうか?

 それはないだろう。すべて冴島一人でやっていることだ。もしかしたら弁護士の戸倉が情報面でサポートをしているかもしれないが、あからさまな犯行への加担は考えづらい。

「あの男のなかには、べつの人間がいた」

「どういうことですか?」

「心のなかに──ということですか?」

 それを言ったのは、大沢だった。

 山口の表情が、それを肯定していた。

「多重人格……」

 花梨のつぶやきが、部屋のどこかに吸い込まれていく。

「それでは、冴島に責任能力がないのは正しかったということですか?」

 大沢の問いかけは、一連の事件の根幹にかかわることだ。

「それだけでは、判断できない。わしが裁判官でも判決に悩んだだろうな」

「でも実際に、冴島は無罪になってますよね? 多重人格だと裁判で証明されたわけでもない」

 心神喪失のなかに多重人格もふくまれるという解釈も成り立つが、裁判においてそこが争点になったことはない。被害者遺族としてすべての裁判を傍聴していたので、それはまちがいなかった。

「七年前の裁判で不正がおこなわれたかもしれないように、一年前の冴島の裁判でも、なにかしらの圧力がかかったのですか?」

 大沢は、そこを追求したかったようだ。

「圧力はなかった」

「それは、長官としての言葉ですか?」

「そういうことになる」

「では、一人の人間としては?」

「……」

 山口は、迷っているというよりは、考えをめぐらせているように花梨には見えた。

「そんなものはなかった」

 あらためて山口は言った。嘘を口にしているとは思えなかった。

「噂でも聞いたことがない……ただ、」

「ただ?」

「一連の流れをみていると、不自然なところがあるのも事実だ」

「たとえば?」

「簡単に不起訴となった」

 それは、検察官の上田殺害事件についてだろう。

「谷村正憲の事件も、そうです」

「谷村? あの事件も冴島なのか?」

 政治家・谷村正憲の事件については、まだ世間的には冴島の犯行であるとはわかっていない。

 大沢が、花梨に視線を向けた。

「本人が認めました」

 花梨は、その意をくみとって、続きを答えた。

「そうか……こっちには、なんの話もないから、警察は冴島の線で捜査していないんだろう」

 裁判所と警察の関係性がよくわからなかったが、トップともなると捜査中の事件について、ある程度の情報が入ってくるはずだ。

「昨日、わしのところにも捜査一課の刑事が来たが、どうやら一人だけで行動しているようだった」

「桐野さんですか?」

「ああ。知っているのか?」

「はい。昨夜、会いました。桐野さんから、おじさんの話も聞いていました」

「そうか」

 そこで、山口は壁にかかっていた時計に眼をやった。気がついたら、だいぶ話し込んでしまった。

「時間をつくってくださって、ありがとうございます」

 花梨は、おいとますることにした。

 大沢に目配せして、二人は立ち上がった。

「花梨ちゃんは、法律家にはならないのかい?」

「まったく考えたことはありません」

「せっかくお父さんが裁判官だったんだから、花梨ちゃんもめざせばいいのに」

「いまからじゃ……」

「遅いことはないよ。五十を過ぎてから弁護士になる人間だっているんだ」

「でも、わたしは法律にうといですから」

 だいたい大学は出ているが、法学部ではない。

「要は、司法試験に合格すればいいんだよ」

 それが難しいのだ。司法試験を受ける資格を得るだけでも大変だと聞いたことがある。たしか、法科大学院ロースクールに入学しなければならず、しかもそこに入るためには四年生の法学部に通わなければならない。

「わしのころにはなかったが、いまは司法予備試験というのがあって、それに合格さえできれば本試験を受けられるんだよ」

「予備試験を十八歳で、司法試験を十九歳で合格した人がいたんでしたよね」

 大沢も、この会話に加わった。

「君のお父さんは司法試験をトップで合格してるんだから、花梨ちゃんだってめざせると思うんだが」

 その話は初耳だった。それが優秀な裁判官である証明にはならないだろうが、ただの平凡な裁判官だと思っていたから、少し意外な感じがした。

 同時に、それほどの人物だった父が、判決を捻じ曲げたことに失望を抱いた。

「もし法律家をめざすのなら、いつでも言ってくれ。わしにできることなら、協力するよ」

 花梨は曖昧な笑顔を浮かべてから、退室した。

 最高裁判所を出たところで、携帯が鳴った。桐野からだった。このあと会う約束をしていたのだ。

 時間までは、だいぶあいていたので、もしかしたら急用で会えなくなったのかもしれない。捜査一課の刑事が多忙だというのは、有名な話だ。

 電話に出てみると、想像以上に重要な内容だった。

『戸倉が殺されました』

 戸倉……一瞬、だれのことだか頭が回らなかった。

「そ、そんな……」

「どうしたました?」

 大沢が、花梨の様子を心配していた。

「戸倉さんが殺されたって……」

「え!?」

 携帯の声に耳をもどした。

「だれに殺されたんですか……?」

『まだわからない……冴島の住居を教えてください』

 まだそれだけは伝えていなかった。冴島に義理立てしたわけではないが、桐野も追及しようとしなかったので、しゃべっていない。

「冴島なんですか?」

 慎重に問いかけた。

『それを捜査するために、直接話を訊きたい』

「でも、冴島ではないと思います……戸倉さんは、協力者のはずです」

『それはわかっています。ですが、いまはそんなことを論じている状況ではない』

 桐野の口調は強かった。

「……わたしもいっしょに行っていいのなら、教えます」

 大沢が、驚いたような顔をした。

『……危険です』

「そんなことは、百も承知です!」

 花梨も強く訴えかけた。

『……覚悟をしているということですね?』

「はい」

 数舜の間があった。

『……わかりました』


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