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記A1.林檎酒と栗鼠の夢

2021/09/20 第一話のエピソード順を変更、および推敲を行いました

      旧二話が新一話に繰り上げとなります

      推敲は主に同EPの後半部をボリュームアップしております

 十年前、幼き日のこと――。


 木樽のジョッキに注いだ林檎酒シードルを盆に乗せ、サヴァは慎重に歩く。


 波打つ琥珀色の果実酒は嗅ぐと少々くらりとする、甘い、けれど大人の匂いで。まだ金勘定もままならない幼子のサヴァは懸命に、与えられたお仕事をこなそうと気を張った。


 仄明るい酒場の中を、ぶつかったりこけたりしないようにと。年季の入った木床に転がっている酒瓶をひょいとまたぐ。お客の腰に帯びた剣の革鞘の先っちょを、これまたひょいとまたぐ。酒気にまみれた冒険譚が頭上で朗々と語られる中、サヴァもまたちいさな冒険者のようだった。


 バーカウンターから一番奥の席へと林檎酒を運んでいく。

 たったそれだけの、はじめての小冒険。頼んだ当人である父親もグラスを拭きつつ見守っている。


「おま、まちどーさまです」


 卓上によいせとお盆を置いて、重荷から開放されたサヴァはふぅと額の汗を拭う。

 ちらと父親の方を振り返ってみれば、固唾を呑み、グラス磨きの手が止まってしまっている。


「んゆっ」


 サヴァはとてとてと、どこか逃げるように帰ろうとする。

 急ぐあまりに、行きには気をつけていた剣の鞘に足をひっかけ、「わ!」と声をあげた。


 ……やってしまった。


 サヴァは転んで痛い思いをすることよりも、はじめてのお手伝いで失敗することへの恐怖に目をつむり、床板につっこむその一瞬を、十数秒の長い出来事かのように感じていた。

 いつまでたっても、その痛みはやってこない。


「……あれ?」


 不思議がっているうちにサヴァは床板より遠ざかり、上へ上へと吊り上げられていく。


「あたいの得物が悪さしてしまったようだねぇ、いや、ごめんよお嬢ちゃん」


 胴体をぐるりと、ふわふわとした大きな茶栗色の尻尾が巻きついて支えている。

 おひさまにたんまり濡らした上質な布団のようにやわらかく、香ばしい。


「怪我は……なさそうだね」


 空き椅子にゆっくりとおろされたサヴァはようやく状況を理解することができた。

 眼前の、このリス獣人の女性に助け起こされて事なきを得たのだ。剣の鞘に足をひっかけてすっ転んでしまい、気づいた持ち主である彼女はその茶栗の長尾をとっさに伸ばしてくれたわけだ。


「あ、あの、ありがと……うございます」


「あたいはウーニィ。礼なんていいさ。これも身から出た錆。悪いね、どうも物の管理が苦手なんだ。種族柄か、隠しておいたお宝の在り処を忘れてしまうだなんて日常茶飯事なくらいでさ」


 ウーニィは赤ら顔で自分を笑ってみせる。

 すると彼女の仲間であろう他の大人たちも笑いながら口々に彼女のエピソードを語る。


 曰く、鍛冶屋へ修理に出している間にレンタルした借り物の武器を、返却日をとうに過ぎても返しにこず、そのまま冬ごもりしてしまって三ヶ月分の延滞料金を請求されてしまった、だとか。


 曰く、とある隠された財宝の地図を盗まれないように森に隠す。いざ掘り起こそうとしたら秋の落ち葉まみれで目印がわからず、冬は雪にうもれて、春先にようやく見つかった、だとか。


「なんだい、なんだい! あーもー皆してさぁ!」

 ウーニィは気恥ずかしい話を酒の肴にされて口をもごもごさせ、頬をぷっくりふくらませる。

 栗鼠族はほっぺたがとってもふくらむ。

 食い意地が張っていて、誰も横取りはしないのにほっぺにごちそうを詰めるクセがあるほどだ。


 ウーニィの腰に帯びた剣は幼いサヴァの背丈をゆうに越える大きさ。この酒場には大柄な大人は少なくないが、ウーニィはとりわけ大きくて逞しい。木樽のジョッキより太そうな二の腕をみれば、長剣を軽々と振るって勇ましく戦う姿は、子どもでも心のスケッチブックに描くことができた。


 ウーニィは強く、優しく、美しかった。


 着飾ってはいない無骨な旅装い、魔術の力を宿した実用と装飾を兼ねる雷鳥の髪飾り。

 座り方は品よく背筋を伸ばしてシャンとしており、栗茶色の体毛に覆われたカラダはふっくらと丸みがある。その大玉の林檎を詰めたように豊かな胸元は、ギルドマスターである母親の慎ましい胸とはまるで違って、気立ては男勝りといわれてもウーニィを男と見間違える人はいないだろう。


 酒場の客は少々、怖いものだとサヴァは思っていた。

 家業となる冒険者ギルドの地下一階にあるこの酒場は、父親が担当している。武器を肌身離さず、酒を酌み交わす大人たち。


 父親がすぐそばで見守ってくれている。自分から手伝ってみたいと願い出たとはいえ、恐怖心はある。なくても困るが、緊張しすぎていた。

 けれど、恐怖と緊張はふんわり泡と消えていく。


「なぁお嬢ちゃん、名前はなんていうんだい?」


「……サヴァ」


「おいでよ、サヴァ」


 まねかれて、ウーニィの膝上にサヴァはおそるおそる座る。

 ふっくらとした胸を枕に、被毛の下に隠しきれぬ腹筋を背当てにして。


「お詫びと汚名返上を兼ねて、ひとつふたつ、あたいの冒険を聞かせてやろうかね」


 朗々と語られる冒険譚。

 それは絵本よりも壮大で、時にとりとめもなく要領を得ず、時に手に汗握る迫真の語り口で。


 ――サヴァは暗き森の中、エルフの弓矢から逃げ惑った。。


 ――サヴァは戦いの真っ只中で、怪物と剛剣をぶつけ合わせた。


 ――サヴァは迷宮の奥深くで、金色に輝く宝箱を開いた。


 ともすれば酔っぱらいの与太話、自慢話。されども、されども、幼き日のサヴァには特別で。


「おーや、やっとかわいい笑顔をみせてくれたね」


「わたしの、笑顔……」


 接客の基本は笑顔だという母の言葉を、今の今まで忘れていたことに気づく。


 サヴァは、父母は接客というものを、嫌な顔ひとつせず笑顔を忘れず、怖いことや辛いことを我慢して耐え忍んでいる。えらい、と思っていた。

 もちろん嫌なこと悲しいこともあるだろうけれども、笑顔で接客できる理由は、ただただ忍耐強いからだというわけではないと、この時、なんとなく幼心に理解できた。


 父母はシンプルこの上なく。

 楽しいから笑っているのだろう、と。

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