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重い体を起こしベッドの上から窓の外に視線を向けると、そこには春の気配を感じる温かな空の色が見える、立ち上がり窓の外を見渡せる場所まで行けば庭に咲き誇る春の花々を見ることもできるのだろうが、今日の体調ではベッドから起き上がることは無理そうだ。
生まれて十九年体調が良い日など数えるほどしかなかった、今までの人生の半分以上をベッドの上で過ごしている、無理をすれば立ち上がり散歩くらいはできるのだろうが、そんな事をすれば明日から一週間以上高熱を出し寝込むことになるので出来るはずがない。
ただでさえお荷物でしかない自分が無理をして周りに迷惑をかけることは望ましい事ではない。
この国エイスカ大国の第一王子として生まれた私だが生まれた時から病弱なため三人の兄弟の中で王位継承権が最も低いはずだ、いまだ廃嫡されていない事が不思議でならないくらいなのだが、父親である国王がまだ自分に継承権を残していてくれるので今も王位継承権はある。
国王になりたい訳では無い、できれば早く廃嫡されて王宮が保有している王都から離れた土地で余生をゆっくりと過ごしたいと願っているのだが、父親である国王陛下はそれを望んではいないようだ。
十九年間で何度か死にかけて公務もベッドの上で何とかできる程度の物しかこなせてはいない私に国王陛下は何を考えておられるのか分からないが勝手に婚約者を決めてしまった。
国王陛下の決定は息子であっても異を唱えることはできない、こんな私の婚約者にされた令嬢のことが不憫でならない、できれば相手から断って欲しいと思っているが陛下の話では相手はこの婚約に乗り気だというのだから断ってくることはないだろう。
私は起き上がらせた体を再びベッドに深く沈めて、今の体調でどこまでの執務が可能か考え始めた時部屋のドアがノックされ護衛騎士が部屋の外から声をかけてきた。
「ガブリエル殿下オリオール公爵令嬢様とリュバン侯爵令嬢が来られましたがお通ししてもよろしいでしょうか?」
私がその声に「通してくれ」とだけ答えるとドアが開かれ二人の令嬢が侍女を伴って部屋の中に入ってきた。
「ガブリエル殿下こんな朝早くから申し訳ありません」
ゆるくウェーブした燃えるような赤い髪に少し釣り目のエメラルド色の瞳の令嬢が私の三歳下の弟レジスの婚約者のフローラ=オリオールでその隣に立つ黄金色のストレートの髪にアメジスト色の大きな瞳の幼さの残る令嬢が今年十四歳になるアンセルムの婚約者ソフィー=リュバン二人の令嬢は第二、第三王子の婚約者だけあって見た目も申し分ないうえに教養も淑女の礼儀も完璧だ。
この二人がこうして朝早くから私の部屋を訪ねてきたという事は、レジスはもうすでに王宮を抜け出し王都の中心にある大聖堂に行き、アンセルムは部屋に閉じこもり出てこない事を意味する。
「気にしなくていいよ、レジスはまた王宮を抜け出して大聖堂に行き、アンセルムは部屋から出てこないのだろ?」
私の言葉に二人の令嬢が悲しそうな表情になる、どちらも笑顔がとても愛らしい令嬢だというのに不甲斐ない弟二人のせいでここ最近は二人が朗らかに笑っている姿を見なくなってしまった。
二人の弟は元からこんな不甲斐ない状態であった訳ではない、レジスは生まれた時から神童と言われるほど頭もよく冷静沈着最も王に近い存在と王宮に関係ある貴族だけでなく市井の者達でも噂するほどだったし、まだ十三歳の幼さの残るアンセルムも頭はレジスほどではないが騎士としての才能はずば抜けている、魔力量も多くその魔力を自在に操り建国記念日に行われる騎士の模擬試合では少年の部ではあるがここ数年負けなしだそれが今では婚約者以外の女に現をぬかす馬鹿と部屋から出てこない引きこもりになってしまった。
アンセルムが引きこもりになった原因は半年前の魔力暴走がきっかけなので、こちらはアンセルムが自信を取り戻してくれたらどうにか問題は解決する気がするのだが、問題はレジスのほうだ。
レジスとフローラの婚約は政略的な意味合いが強い婚約だ、だからと言って二人が仲が悪かったわけではない、私から見ればとても仲の良い婚約者同士だった、二人が私の体を気遣いこの部屋に見舞いに来てくれることも日常光景の一つと言っても過言ではなかった、だが約一年前に神官が神託により連れてきた平民の聖女ミアが現れてからそれは一変した。
私は病弱なため部屋からほとんど出ることが出来ない、だから直接ミアと会った事はないのだが、周りの話で聞くミアはそれは愛らしい少女らしく、レジスは事もあろうがそのミアに一目ぼれをしたという。
私は恋というものを知らない、恋は盲目と言う言葉があるほどだからきっと恋をすると人が変わってしまうことも有るのかもしれない、だが私はレジスの変わりように納得できないでいる。
今では王宮にいるよりも王都にある大聖堂の聖女の部屋で過ごす時間のほうが多くなっているレジス、そんな愚かな事をするような弟ではないはずだ、三歳年下のレジスは私なんかよりも自分の立場を良く理解していた、確かにこんな私のせいで回りからの期待を一身に受けたレジスの苦悩は並大抵のものでは無かっただろう、だがそれに負けるような軟な性格ではなかったはずだ、それに婚約者で有るフローラはレジスの苦悩を共感し支え続けていた、今だってレジスに蔑ろにされ酷い言葉を浴びせられる事も有るというのに昔のレジスに戻ってくれると信じてフローラは献身的に王子妃になる為の勉強を欠かさずにこなしている。
聖女が現れてからの王宮内の変化に私は不穏な物を感じている、誰かが意図的に王宮内を混乱させているようが気がしてならない、だが病弱な私では何が起きていてどう問題を片付ければ良いのかさえ分からない、二人の令嬢の為にどうにかしてやりたいのにどうにも出来ない、私に出来ることと言えば二人の愚痴を聞いてやるくらいだ。
「本来ならこのような相談をガブリエル殿下にする事自体が不敬なのは十分理解しているのですが、このようなことをお父様に相談すればきっと大変お怒りになります下手をしたら婚約解消となるかもしれません、噂で聞いてきっとお父様はレジス殿下の変化は知っていらっしゃるとは思いますが、それでも直接私から相談されてない今は静観して下さっています」
フローラはそこまで一気に話すと隣に立つソフィーに視線を向ける。
視線を向けられたソフィーは今にも泣きそうな表情をすると小さな声で話し出した。
「私が自分の身を守れるほど魔力が上手く扱えていたらアンセルム殿下も部屋に引きこもるなんて事にならなかったのですわ・・・」
ソフィーの悲しそうな声に私は自身の体の弱さを呪いたくなる、アンセルムが部屋に引きこもる切っ掛けになった魔力暴走は二人が私の代わりに行った視察の帰りに起きた事だった。
本来なら第一王子である私は陛下ほどではないにしろそれと変わらぬだけ公務をこなさなければならない立場だ、だが生まれつき体の弱い私は満足に部屋の外にも出ることも叶わない、無理をすれば直ぐに悲鳴を上げてしまう身体で視察に行くことなど今まで出来た試しがない、だが一応は第一王子無理だと分かっていても視察の予定は他の兄弟よりは少ないが入れることになっている、でも結局はその少ない視察も行くことは叶わず二人の弟に振り分ける事になってしまう。
そして振り分けられた視察に向かったアンセルム達は無事に視察を終えて帰路に就く時に事件は起きた、王族が婚約者を連れての視察だ入念な計画を立てて多くの警備兵が配備された中で何故か馬車に乗り込もうとしていた二人の前に突然魔物が現れたのだ。
それほど強い力を有した魔物ではなかったらしいがその魔物は群れで二人に襲いかかってきた。
騎士として有能だったアンセルムは婚約者のソフィーを守る為に戦うことを選んだ事は不思議なことでは無い、だが結果はあんなに上手く扱えていた魔力を暴走させソフィーを危うく傷つける事になりかねない状態だったと言う、しかしあのアンセルムが群れであったとしてもそれほど強くも無い魔物相手に魔力を暴走させるなどあり得るはずがない、それだけではない入念に計画され多くの警備兵が配置された中で何故誰にも気付かれずにアンセルム達の目の前に魔物の群れが現れたのか?一頭なら百歩譲って起こり得るかもしれないが群れている魔物を警備兵達が見逃すとは到底思えない。
王族の視察に当てられる警備兵はどの兵も優秀な者達が選ばれる、検知を得意とする魔術兵もそれなりの数配備されているはずだ、そんな中でアンセルム達の目の前に魔物の群れが突如現れるなどあり得るはずがない。
何かがおかしいとは思うのだが、その後の調査でも何がおかしいのかすら分かってはいない、アンセルムの魔力暴走の事も入念に調べられたがアンセルムの体の中で何か変化があったという結果は出ていない、だが魔力暴走を起こしたのは現実でそれがアンセルムの騎士としての自信をへし折った事は確かだ。
アンセルムが引きこもりになった原因の一端はこの自信をへし折られた事もあるだろう、だがそれだけで引きこもるほどアンセルムも柔ではないはずだ、アンセルムなら自信を失ったなら取り戻す努力をするはずだ、でも今回は魔力暴走を起こした事で婚約者のソフィーを傷つける事になったかもしれなかった。
アンセルムは政略婚約であったがソフィーをとても大切に思っている、その事は私だけでなく二人のことを知っている者なら誰だって知っている。
大切な存在であるソフィーを自分自身が傷つけてしまう可能性がある、それがアンセルムはなによりも怖くなったのだろう、魔力暴走の原因が解明されてない今現在ではアンセルムが今後も魔力暴走を起こさないとは言い切れない、その事をアンセルム自身も不安に思っているはずだ、だからアンセルムは部屋に引きこもる事を選んだのだろう。
大切なソフィーをそして大切な者達を自らが傷つけない為に。
「ソフィー嬢それは違う自分を責めてはいけないよ、アンセルムもそれは望んではいないはずだよ」
出来るだけ優しい声でソフィーに話しかけたが、自分が不甲斐ないが為にアンセルムが苦悩で引きこもってしまったと思っているソフィーにはそれすらも辛いのか、とうとう涙が頬を伝い始めてしまう。
流れる涙をハンカチで拭ってあげたいと思うが、ベットの上で上体を起き上げるだけでも辛い状態の私にはそれすらも出来ない、隣に立つフローラがハンカチで優しくソフィーの涙を拭う姿を見つめることしかできない。
二人の愚痴すらも満足に聞けず慰める事も出来ない自分自身が本当に恨めしい、もう少し体が丈夫であったら、もう少し魔力が有れば少しは二人の憂いも拭えたのでは無いだろうか?こんな事にはなっていなかったのでないだろうか?そんな重い空気の中ドアをノックする音が聞こえた。
「ガブリエル殿下陛下が起こしです」
ドアをノックした警備兵が陛下が来た事を知らせてくれる、こんな朝早くに陛下自らがここに来る事は今まで無かった、特に今は弟達の問題で執務以外にもやる事が山積み状態で睡眠すらまともに取れているのかさえ怪しいほどに多忙なはずだ。
意外な来訪者に幾分かの不安を感じはしたが、陛下が来られたのだから部屋に招き入れないという選択肢は無い。
私は警備兵に向かって「分かった」と返事を返す。
私の返事を聞いた二人は沈んだ気持ちをなんとか浮上させ、部屋の中に入ってきた陛下にカーテシーして迎えた。
「二人ともここに居たのか調度良かった二人にも是非会ってほしい人が居る」
我が国の国王陛下はとてもフランクな方だ、堅苦しい事は好まず誰とでも気楽に話そうとする人だが、だからといってこちらも同じような態度を取る事はやってはいけない事だ、何処で誰が見ているか聞いているか分からない国の最高権力者に下の者が気楽に話すなど陛下の品格を落とす事になりかねないのだから、陛下自身はそれを不満に思っている節があるがこれはケジメだと私は思っている。
「会ってほしい方ですか?」
陛下の言葉にいち早く反応したのはフローラだった。
「そうだ、ガブリエルの婚約が決まった話は聞いただろ?」
「はい、隣国のチャスパー国の公爵令嬢様と聞いております、なんでも大変お美しい方だとお噂を聞いてております」
陛下とフローラの会話を聞きながら私は自分の婚約者とされる令嬢の噂を思い出す、銀の髪に夜闇を切り取ったような深い蒼瞳の公爵令嬢その見た目は一流の職人が作り出したビスクドールのようだとそこにいるフローラから聞いたことがある「そんな美しい方なら一度お会いしてみたいですわ」とフローラの話を聞いていたソフィアが目を輝けせていた。
そんなにも美しいという令嬢なら国内だけでなく国外からも婚約の申し込みが沢山来ていると思うのだが、何故私なんかと婚約しようと思ったのだろうか?エイスカ大国のお荷物王子と噂される私と婚約したところでルヴェル公爵令嬢が何か得するものがあるとは思えない、我が国との友好関係を深める為に他国まで美しいと噂が広がる令嬢を差し出すだろうか?
「ガブリエルそれでだな、そのルヴェル公爵令嬢が昨日王都入りされて是非ともお前達に会いたいと言っている部屋に入れるがいいか?」
フローラとルヴェル公爵令嬢の噂話をしていた陛下がこちらに急に話を振ってきたのだが、その内容に私は驚きで少し返事を返すのが遅れる。
「えっ?しかし・・・私は今日はベッドから起き上げれそうにないのですが?」
今日の体調はあまり良いとは言えない上体をベッドに起こすだけでも少々辛い状態だ、しかも今の私の格好は部屋着だこんなみっともない状態で婚約者との初顔合わせをするのはいかがなものかと思える。
フローラ達は幼い時からの知り合いであるし陛下は私の父親でもあるだからベッドに横になった状態でも会うことに抵抗はないがさすがに初めて会う人物とこんな状態で会うのは些か抵抗を感じる。
「彼女はそんなことは気にしないよ、美しいとの噂は正しいが彼女は少々変わり者だからな」
陛下は何とも暢気な返事を返すと部屋の外に声をかけた。
「ランディ部屋に通してくれ」
陛下の声がかかるとすぐに部屋のドアが開かれ私の側付き兼執事のランディが美しい女性を伴って部屋の中に入ってきた。
銀糸のような艶やかな銀色の髪に夜闇を切り取ったような深い蒼瞳の令嬢、確かに他国まで噂されるだけの事はある息を飲むほどに美しいと思う、フローラやソフィーもその美しさに目を奪われ呆けた顔をしている。
「ガブリエル殿下ルヴェル公爵令嬢様でございます」
ランディに連れられ私のベッドの横まで来た彼女はカーテシーして私へと視線を向けてくる、だがそこに表情の変化はなく職人によって作り上げられたビスクドールそのものに見えてしまう。
「失礼する」
ルヴェル公爵令嬢にどう声を掛けたらいいのか思案していた時男性にしてはやや高く女性にしてはやや低い声が聞こえて室内にルヴェル公爵令嬢と同じ色を持った騎士服を身にまとった騎士が数人の騎士と室内に入ってルヴェル公爵令嬢の横に立った。
同じ色を持つ令嬢と騎士その顔は同じ顔で一瞬何が起こっているのか分からなくなる。
美しいドレスを身の纏い薄く化粧されているルヴェル公爵令嬢は美しい隙の無い女性で、隣に立つ同じ顔の騎士は頭の高い位置で銀の髪を一纏めにまとめていどこか凛々しさを感じる。
「初めましてガブリエル殿下体調がすぐれないと聞いて直接部屋に押しかけて申し訳ないね」
にこやかに微笑み声をかけてきた騎士にどう返事を返していいのか分からず私は茫然と騎士を見つめることしかできない。
「さて詳しい話をする前に他に聞かれると厄介な事があるので結界を張らしてもらう」
そういうと騎士は後ろに並ぶ騎士の一人に「セス結界」とだけ声をかける、すると直ぐに騎士が結界を張ったのかキーンと言う耳鳴りが少しなって直ぐに収まった。
「さてどこから話そうか?その前に椅子に座った方が良いか?長い話になる可能性があるからな」
ルヴェル公爵令嬢の横に立つ騎士はそう言うと怪しい笑みを浮かべて私を見つめる。