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相談を受け始めてから約1ヶ月。
私は色々なところで男で遊んでいるのでは? と噂され始めた。
完璧な淑女と言われていた時から随分な墜ちようだ。
「あら、コートニー公爵令嬢ですわ」
「相変わらず美しいですわね」
「でもそれで殿方を引っ掛けているんですのよ」
コソコソと囁かれる悪口。
その中には今まで友人だと思っていた人もいる。
公爵家の令嬢であり、王子の婚約者である私に正面きって立ち向かってくる人は同じ世代にはいない。
辛いと言ったら辛いけれど……。
私はもうこの貴族社会から縁を切るのだと思えば耐えることはできた。
「久しぶりね、ミレイユ」
1人で美味しそうなスイーツを食べていると、紫色のドレスを着た美しい女性がやってきた。
唯一、今回のお茶会で私より立場が上の人。
「お久しぶりですわ、アデラ様」
第一王子妃であられるこの方だ。
「今日は来てくれてありがとう」
「いえ、お招き頂き、ありがとうございます」
最近は当然の如く令嬢達からは近づかれないし、相談に乗っている男性もたまに近づいてくる人はいるものの、大抵はエスコートに取り組んでいる。
1人ポツンと座っていた私を気遣って来てくださったに違いなかった。
「ねぇ、ミレイユ、私妙な噂を聞いたのだけれど……」
この方はいつも本当にお優しい方だった。
「あら、きっとそれは本当ですわ」
そんな優しいこの方が大好きだった。
「とっても素敵な方ばかりですね。まだ本気にしたことはありませんが」
「ちょっと、ミレイユ……?」
「何もしなくても殿方が近づいてくるのですよ?」
「……ねぇ、どうしてしまったの……!?」
「アデラ様は……殿下一筋ですものね? なんて素敵で…………なんて滑稽なんでしょう」
「……ミレイユ、おやめなさい」
「世の中にはこんな素敵な方々沢山いるのに、1人に縛られるなんて勿体ないで……」
「お黙りなさい!!」
パシャッと音がして、顔面に水がかかる。
「ミレイユ、貴方はそんな子では無かった!! 目を覚ましなさい!!」
かけられたのが水で良かった。
泣いてもきっと誤魔化せる。
「ねぇ、貴方はきっとなにか……」
「いえ、アデラ様、私は至って正気ですよ?」
口元は笑いつつも目が笑っていない歪な笑顔。
それがとても恐ろしいのだとつい最近聞きましたの。
持っている美は最大限利用させていただく。
「……王子妃殿下のご気分を害してしまったようですわ。今日はこれで失礼致します」
「ミレイユ!」
「ご機嫌よう、アデラ様」
それは明確なお別れだった。
「お嬢様、まずは顔を拭いてください」
「あら、ありがとう」
今日は護衛として私に仕えていたルークはハンカチをそっと差し出す。
令嬢達が皆一様に頬を染める様子が嫌で嫌で仕方ない。
これだからあまり社交界には連れて来たく無かったのに。
「お嬢様、本当に良かったのですか……」
「ええ、もちろん」
悲しいけれど、後悔はない。
「ですが、悲しいお顔をされてます」
「悲しくないなんて言ったら嘘になるわ」
アデラ様は私が本当の姉のように慕っていた方だったから。
「でもね、このまま第二王子の妻になる未来とあなたと一緒にいる未来をかけたら、私は迷わずあなたと一緒にいる未来を選ぶ。何も失わずに目的は達成できないわ」
人生、取捨選択は大切である。
「強がらないでください」
隣に座るルークに引き寄せられ、腕の中に閉じ込められた。
「私を騙すことができるとお思いですか?」
「無理だったかしら」
「100年早いです」
「そう……」
それでも……。
「後悔はしていないのよ」
冷たい果実水をかけられたからか、ルークの体温が心地よい。
敵地から味方の懐に戻って来たのだ。
「……泣かないんですね」
「泣かないわよ」
泣いたら、あなたは自分が泣かせたと勘違いするでしょう?
「……泣くと思ったの?」
「昔のお嬢様なら間違いなく泣いていましたね」
「もう17よ。簡単に泣いてやるものですか」
「そう、ですね」
そうだった。
私は17で、ルークはもう18。
少年だとずっと思っていたルークはいつの間にか大人の男性と変わらなくなっていた。
こうして服越しに感じる体も私とは違ってしっかり鍛えられているのが分かる。
あぁ、私もルークも大きくなったんだなぁ、なんて少しだけ感慨深くて。
「ねぇ、ルーク、もう少しこのままで良い?」
「どうぞ」
これだけで私にとっては十分なご褒美だった。
「お嬢様、これ以上はダメです」
「あと、もう少しだけ」
「身体に害です」
「勝負の日まではこれが最後のパーティーだから」
息が吸えない。
体が痛い。
それでも耐えなくてはならなかった。
良い感じに殿下は私から興味を失い始めているし、ここは踏ん張りどころだ。
「あなたが辛いのは嫌です」
「それなら、辛かった分幸せにして」
私がウィンクと共に言うと、ルークは言葉を失う。
私も自分の使い方が何となく分かってきた気がする。
まだまだ余裕なのだと意地で微笑む。
勘の良いルークなら見抜かれてしまいそうだけれど、突き通すしかなかった。
この王都で婚約破棄を流行らせ始めて早数ヶ月。
小説の中のことを本当に誰かがやるかは分からなかったけれど、今シーズンに入り婚約破棄をしたのは8組もいる。
令嬢達は高位の貴族を狙い、殿方は真実の愛を探そうとする。
もちろん、ごく一部の人たちだけだけれど。
今まではせいぜい伯爵家程度だったのだが、先日とうとう高位貴族である侯爵家で初めての婚約破棄が起きた。
今では次は誰が婚約破棄をやらかすだろうかと賭けが始まるほどにホットな話題だ。
それをもちろんあの殿下も知らないはずがない。
この機会を逃す訳にはいかなかった。
あの派手で美しいもの大好きな殿下なら、皆の前で私を悪役にし自らヒーローになろうとするかもしれない。
その可能性に賭けるしかなかった。
「じゃぁ、今日も頑張ってくるわ」
「……いってらっしゃいませ」
辛そうなルークの顔は見なかったことにした。
帰りの馬車で、私は瀕死の状態だった。
息が吸えない。
空気の薄いところにずっといるみたいだった。
腹式呼吸、腹式呼吸とは言えど空気が入るのは結局肺なのであまり意味がない。
なんとか王宮でのお茶会はやり遂げたし、いつもより義姉と婚約者の殿下は親しげだったし、順調だった。
今すぐこの息苦しさから脱したくも馬車の中でドレスを脱ぐのは痴女以外何者でもない。
それでも酸素が足りないのか頭がくらくらとし始める。
やはりルークの忠告を聞いてもう少し緩めにしておくべきだったか。
そう後悔してももう遅い。
「お嬢様! ……ミレイユ!」
馬車の扉が乱雑に開け放たれた。
いつも冷静な彼にしては珍しい。
「だから言ったんだ」
言葉が乱れるくらい取り乱しているようだ。
また心配をかけてしまったようだ。
けれど、その崩れた話し方も呼ばれる名前も大好きだ。
「……ごめん、なさい」
「反省は後!!」
ルークは私をそっと抱き抱えると屋敷の自室へ急いだ。
少しだけ目を開けるとそこにはつい見惚れてしまうような美しい顔。
今日はラッキー、そんな風に思いながら私は意識を失った。
目を覚ますと、視界にはルークがいた。
あ、怒られると思って視線を外したのだけれど、感じたのは温かな温もりだった。
「ルーク……?」
決して彼から触れてくるようなことはなかったのに。
子供の時以来のしっかりした抱擁にドキドキが止まらない。
「怖かった」
「ごめん、なさい」
「胸締め付けて死亡とか洒落にならない」
「はい、今度からもう少し緩くします」
「あなたが死んでしまったら意味がない」
「そんな簡単に死なないわ」
こんなくだらないことで死んだら未来永劫笑い者にされそうだ。
いつもは頼れる年上だったはずのルークが今日は何故か子犬のような弟に見えてくるから不思議だ。
「まだちゃんと生きてるわ」
その艶やかな黒髪に手を伸ばすと、ルークは大人しく頭を撫でられていた。
見た目の艶やかさは分からないが、サラサラ度は勝ったと思った。