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「本当にっ、見ているだけで不快だわ」


 廊下で偶然出会ってしまった義姉は私を見るなりその顔を顰める。

 何もしていないのに理不尽にも程がある。


「ちょっと綺麗だからって調子に乗らないことね」


「はい……」


 義姉のアグネスも流石は父を射止めただけある夫人の娘とあって美しい。

 そんな顔ではなくて笑顔はきっと綺麗だろうに。

 勿体ない。


「……その顔、本当にムカつくのよ」


 よほどストレスが溜まっているのか、義姉は扇子を振り上げた。


 来たる痛みに備えて目を瞑ったが、一向に振り下ろされる気配がない。

 恐る恐る目を開けば、義姉の手を掴んでいたのは私のそばに控えていたルークだった。


「アグネス様……」


 義姉は王国指折りの美男子に頬を染める。

 先ほどの顔はどこに行ったのか、頬は緩んで瞳は輝いていた。


 ルークは義姉の耳に何かをそっと囁く。


 途端に義姉は顔を真っ赤にして嬉しそうにしていた。


 私はそれが面白くない。


「……ミレイユ、さっさと行きなさい!」


「はい」


 あんなに怒っていたはずの義姉は今は上機嫌で私の横をすり抜ける。


「……恐ろしい人」


「それは褒め言葉でしょうか?」


「……そうね、褒め言葉よ」


 かっこいいルークを他人に見せるのはいささか気が進まないが、こうしてみると、今も昔も変わらず私はルークに守られているのだと実感する。


 王子の婚約者となって、背丈も伸びて、教養も身につけたのに、結局私自身を守ってくれるのはルークだった。


「ルーク」


「はい、お嬢様」


「ありがとう」


 鏡で研究した笑顔を披露するとルークは微かに頬を染めた。


 してやったりと少しだけ嬉しかった。







「お嬢様、おかえりなさいませ」


「……ただいま、ルーク」


 変態殿下とのお茶会の帰り、私は史上最高に気分が悪かった。


「お嬢様、どうかなさいましたか?」


「いえ……何でも無いの」


 ルークの顔を見たら泣いてしまいそうで私は、自然に視線を逸らす。


「お嬢様……」


「早く着替えたいわ」


「畏まりました」


 いつものようにルークは私の後ろの紐だけ解くと、部屋から出て行った。


 涙が出そうになるのを、唇を噛み締めて耐える。


 近くにあった布巾で額を拭って拭って、拭った。


 今日のお茶会、顔だけは良い変態王子に壁に追い詰められて額にキスをされた。

 世の中のご令嬢にとっては羨ましいことこの上ない話だろうが、私は背筋に悪寒がして体が震え出すほど嫌だった。


 なんだあの「俺の口付けだ、ありがたく思え」みたいな顔は。


 気持ち悪さとムカムカが治らない。


 唇にされなかっただけまだマシだろうか。


 そんなこと関係なく十分嫌だったけれど。


 それでも、ルークには心配はかけまいと鏡で笑顔を作る。

 いずれ王族ではなくなるにしても、王子の妻になるための王子妃教育というものはある。

 お手本通りの笑顔に苦笑してしまいそうだ。

 一回寝たらまた気持ちもリセットされるだろう、そう思っていたのに……。




「お嬢様」


 後は寝るだけ、ネグリジェに着替えた私の元にルークがやってきた。

 最近はこの時間帯にルークがやって来ることは無くなっていたのに、珍しい。


「どうしたの?」


 今日も2軒隣のメイドに告白されていたのを見た。

 どれだけそれが羨ましかったことか。


 女子ならだれでも憧れてしまうような容姿をしているのだから仕方ないけれど。


「今日は、何かあったようですから」


 そう言って手渡してきたのはマグカップに注がれたココアだった。


 太るからと殿下の婚約者になってからはほとんど飲むことができなかったものだった。


 手渡された温かさに自然と涙が溢れてきてしまう。

 ルークは慌てることもなくハンカチでそっと涙を拭ってくれる。


 何をしていても様になって、どんな時でも絵になるのだから憎たらしい。


 私は酷い顔をしていると思うのに、あなたはいつも綺麗で……。



 一口飲めば体の芯から温まる。


 ココアと目の前にいるルークのお陰でここ数年感じられなかった安心感に心が満たされた。


 私に何があったのか無理に問いただすことはしないで、ただこうしてそばに居てくれる、そんなあなただから……。


 私はココアをテーブルにおいてルークに話しかける。


「……ルーク」


「はい、お嬢様」


「好きよ」


 私はとっくのとうに限界だったのかもしれない。


「好きよ、好きよ、大好きよ。あなたのことが」


 いつも冷静で穏やかに微笑んでいるルークは今だけは目を見開いて動かない。


 それでも私の口は操られたように止まらない。

 胸の奥から言葉が溢れてやまないのだ。


「好きなのよ、ずっと。……ずっと昔からあなただ……」


 体が傾き、背中からひんやりとしたシーツの感触。


 何が起こったのか分からず、そっと目を開けると目の前にはどこか苦しそうな、辛そうなルークがいた。


「お嬢様、いい加減にしてください。冗談は……」


「冗談じゃないわ! 冗談な訳ないじゃ無い!!」


 久しぶりに感じるルークの空気に居心地の良さを感じるも、私は冗談だと言ってのける彼を睨む。


「ルーク、あなたを、愛しているわ」


 今日帰ってから……いや、ここ数年浮かべていなかった心からの笑顔が溢れた。


 手を伸ばせばその美しい肌に触れる。

 相変わらず睫毛は嫉妬してしまうくらいに長くて、透き通るような瞳には吸い込まれそうになる。

 頬のすべすべさはなんとか勝ったかな、なんて思ったり。


「昔から……昔から私の味方はあなただけだった。私が一緒にいて欲しいのはルークだけ」


 ルークは固まったように動かない。

 ただ、私にされるがまま頬を撫でられていた。


「あなたの優しいところも、気遣いが出来るところも全部大好き」


 夢のような時間だった。

 この気持ちをルークに伝える日なんて来ないと思っていたから。


「お嬢様……」


「うん」


「本当ですか」


「ほんと」


 未だ動揺している珍しいルークに意地悪な質問をしてみる。


「ルークは、私のこと好き?」


 社交辞令の好きで良い、家族みたいな好きで良い。

 ルークの口から好きだという言葉が聞けたらラッキー、そのくらいの気持ちだった。


「……好きです」


 思っていたのと違う好きに今度は私が動揺する。


「え……?」


 私が驚いている間に彼は冷静さを取り戻していた。


「あなたのことが1人の女性として好きです」


 至近距離で見つめられた目には真剣さ以外の何もなくて、冗談だと流したかったのに流せなかった。


「……なに、を……」


「なにをって……」


「ほんと?」


「ほんと」


 それでも信じられなかった。

 だってこんな夢みたいなこと……。


「ミレイユ、愛してる」


 耳元で囁かれた普段よりいくらか低い声に、初めて言われた名前に、心臓の鼓動が収まらない。


「ルーク……」


「本当はここから連れ去りたいくらい」


「……連れ去ってよ」


「それではあなたが幸せにならないから」


「私はルークと一緒だったらどこでも良いの!」


「そう言うわけにもいかないよ。王子の婚約者であるミレイユが逃げたら、罪人として生きていくことになるんだ」


「なら、婚約破棄するわ」


「王家との婚約をそんな簡単に破棄できるわけ」


「破棄してみせるから!!」


「公爵家のお嬢様が勝手に逃げてどうするんだ」


「勘当されるわ!!」


 言っていることは滅茶苦茶だけれど、ルークは笑いも否定もしなかった。


 2人とも分かっているから。

 これが叶わぬ恋だということは。

 気持ちが通じただけ、それだけで奇跡だということも。


 それでも、抗わずにはいられなかった。


 何もせずにただ運命を受け入れるのは嫌だった。


「王家との婚約が無くなって、家から勘当されたら、ルークは私とこれからずっといてくれる?」


「もちろん」


「そう、ありがとう」


「…………今日はもう寝てください」


「……分かったわ」


 ルークが離れて行ってしまうのが嫌だったけれど、ずっとここにいられては恥ずかしさが募るのも分かっていた。


「おやすみ、ミレイユ」


 額にふれる柔らかな感触に、今度は嫌だなんて思わなかった。


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