秋音と千鶴 2
春が来た。秋音は1人、着慣れない制服に身を包み正門を見上げている。
周りを見れば保護者に激励される乙女達も多いのだが、秋音はそれを恥ずかしがり両親とは早々に別れた。
“よし”と意気込んで第一歩、学園の敷地内に踏み出せばそこはもう乙女の楽園だ。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
上級生らしき生徒達が戯れに声をかけていく。まだぎこちない挨拶に微笑む姿は決して嫌味でもからかいでもなく、秋音は今までとは違う世界にこっそりとにやけていた。
その時、“ねぇ、”と後ろから声をかけられた。振り返れば、初対面の少女が2人。
「あなたも新入生でしょう?」
「え、えぇ」
「良かったぁ。私達もなの」
新しい生活の幕開けに新しい友人を作れはしないかと声をかけてきたらしい。
昇降口まで一緒に行かないかとのありがたい誘いにホッと胸をなでおろしながら笑顔で応じた。
同級生である彼女達との雑談はとても楽しいものであった。聞けば、2人も今日が初対面であるという。
笹川咲は中等部からの持ち上がり組であり、本郷杏は秋音と同じ外部入学組である。
和気藹々と話に夢中になっていたその時だった。
「「お待ちなさい!!」」
春の陽気に似つかわしくないその声は3人の肩をびくつかせた。
恐る恐る振り返ってみれば、そこには上級生と思しき少女が2人、仁王立ちしていた。
そっくりの顔は揃って愛らしいというのに、今その眉間には深い皺が寄り、仁王立ちしている姿から怒りがにじみ出ている。
秋音はそんな2人を見ると同時に、視界の端に今の今までまったく気づかなかったもう1人の少女の存在を捉えた。
「あなた方、何年生?」
「い、1年です」
「新入生ね。あなた方、3人もいて誰も困っている人に気づかないの?」
そう言われて、自然と視線はもう1人の少女へと向かう。それは秋音だけではなく、その場にいた全員の視線を注がれた彼女は逃げ場を失って顔を伏せた。
「も、申し訳ありません!」
「私に謝ってどうなるの?!」
公衆の面前で堂々と叱られ、3人は深く頭を下げるが、逆効果のようだ。
改めて彼女の姿を見れば、なぜその存在に気づかなかったのかと秋音は自分が不思議だった。彼女は車椅子に乗っているのである。
そしてその傍らで双子の片割れがハンカチの土を払っている。“困っている人”というのはどうやらハンカチを落とした彼女のことらしい。
「ご、ごめんなさい」
「私達、本当に気づかなくて・・・」
おどおどと謝る3人に、車椅子の少女は少し頬を紅潮させて首を振った。
「そんな、私は全然・・・!」
「あなたもあなたよ。“助けて”くらい言えるでしょう?学園内ではみんな姉妹。助け合うのが当たり前なのよ」
上級生の言葉に少女は素直に返事をする。
“それじゃあ、ごきげんよう”、そう言葉を残して双子は校舎へと向かっていった。
安堵で胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は気まずい空気が流れる。んん、と小さく咳払いをして秋音は少女へ向き直った。
「あの、本当にごめんなさいね」
「そんな!私の方こそ・・・。私のせいで叱られちゃって・・・」
「いいのよ。私達が悪いんだもん」
思い切って車椅子の後ろへ回ってみた。
「一緒に行きましょ」
「あ、うん」
「クラス、同じだといいね」
触り慣れない車椅子をゆっくりと押しながら、今度は4人での談笑が始まった。
車椅子の少女は、小早川菊乃と名乗った。
もう友人と呼んでも良いであろう彼女達と笑いあいながら、秋音は頭の片隅で、“母に見られずによかった”とため息をつく。
きっとあの場を目撃されていたならば、あの上級生達など比べ物にならないくらいに叱られるだろう。
幸先は良いのか悪いのかと考えながら、入学式が始まった。
入学式が行われる体育館にはピンと張り詰めたような厳かな緊張感が漂っている。
咳の1つも許されないような静まり返った場に、突然マイクのスイッチを入れた音が響いた。
「これより、白鷺学園高等部入学式を執り行います」
その声に秋音は聞き覚えがあった。声の主を目で探せば、いつの間にか壇上に従姉妹が立っている。
制服に身を包んだ彼女は新入生達の視線を一身に浴びながら、顔色1つ変えず司会進行をこなしている。
「・・・続きまして、在校生代表挨拶。生徒会長、宇都宮奏様」
名を呼ばれ、壇上に上がった生徒を見て秋音は気づいた。
久しぶりに言葉を交わしたあの日、千鶴は“お姉様が次の生徒会長だ”と言った。ということは、今壇上にいる彼女が千鶴のお姉様なのだ。
「新入生の皆様、ご入学おめでとうございます」
凛とした声と表情。銀縁の眼鏡が彼女の優秀さを強調しているような気がする。秋音は少し意外に思った。千鶴とはまったくタイプの違う人間に見えたからである。
千鶴のような愛想が良い親しみやすさは無く、美しさの中に厳しそうな雰囲気しかない。
式が終わると、体育館は緊張感から開放された生徒達のざわめきで満たされる。
自分の教室へ向かう同級生達の波に逆らうようにして秋音は壇上の方へと向かっていた。
不思議そうな顔をする少女達の隙間を縫うようにしながら、秋音は新入生達の波が引くのを待ちながら談笑している千鶴達を見つけた。
「ち、千鶴ちゃん!」
秋音の呼びかけに振り返った千鶴は、その姿を見つけると嬉しそうに笑顔になった。
「秋音ちゃん!入学おめでとう」
「あ、ありがとう。えっと、母が千鶴ちゃんによろしくって」
「千鶴、お知り合い?」
差し込まれた声に秋音は言葉を詰まらせた。千鶴の傍らに立つ奏はにこりとも笑っていない。
近くに寄れば寄るほどに、秋音の中で本能的な苦手意識が高まっていくのがわかる。
だが千鶴は少しも彼女のことが怖くないようで、笑顔のままで“はい”と答えた。
「従姉妹なのです。辻秋音さんです」
「あ、えっと、はい。辻秋音と申します。よろしくお願いします」
「辻さん、ね?宇都宮奏です。ご入学、おめでとう」
友好的な言葉。と思いきや、秋音が礼を述べる前に次の言葉が飛んできた。
「よろしいかしら?この学園では礼が重んじられます。たとえ親戚であろうとも上級生のことは名字に様をつけるか、お姉様とお呼びなさい」
「あっ・・・はい」
「言葉遣いも改めなさい。実の姉妹でも学園内では敬語を使うものです」
そしてその矛先は、千鶴へも向けられた。
「千鶴、あなたは上級生になったのだから自覚をお持ちなさい。こういうことは一番近いあなたが指導しなければ、彼女が恥をかくのよ?」
「はい。申し訳ありません」
秋音の目の前で千鶴が奏に頭を下げた。秋音の顔がカッと熱くなる。
こんなことなら声などかけなければよかったとさえ思い、なかなか顔が上げられない。背後では叱られている様子に気づいた同級生達がひそひそと話している気がして恥ずかしかった。
『初日から叱られてばっかり・・・』
夢にまで見た乙女の楽園。だが今彼女が置かれている現状は、秋音が思っていたよりももっと冷めた、現実的なもののように感じた。




