公爵令嬢は男の娘でした
宮廷で最も華やかたる黒百合の間では、今宵もまた王侯貴族たちの夜会が催されていた。
色とりどりのドレスで着飾った貴婦人や令嬢に、ピシッとしたタキシードを纏った紳士や、若き貴公子たちが揃い踏みする様は、圧巻の一言である。
それ自体は、常と変わらぬ光景だ。ただ、今宵は常の夜会とは違う点があった。
それは、黒百合の間に横たわる重苦しい沈黙である。そう、夜会の出席者たちが皆一様に押し黙り、張り詰めた空気が流れている。
その空気を生み出した令嬢は、目尻に涙を湛えながらも、声を張り上げる。
「本当です! 近頃私宛に『エヴァン王太子に近づく勿れ。さもなくば、不運に見舞われるぞ』と、怪文書を出したのを皮切りに、数々の嫌がらせをさせてきた黒幕は、ラザフォード公爵家のアレクシア様ですわ!」
その叫びに、事態を見守る観衆と化した貴族たちの視線は、一点に吸い寄せられる。
そこにいるのは一人の令嬢。
腰まで流れる様に伸びる金砂の髪に、踏み荒らされていない新雪か、滑らかな白磁のような肌。冬の湖を思わせる水色の瞳は、この突然の糾弾に細められている。
彼女は、鮮やかな紅を差した唇を扇子で隠すと、僅かに小首を傾げた。
たったそれだけの仕草が、これでもかと絵になる。
はあ、と感嘆の溜息を零した男は、一人や二人ではなかった。
視線を一身に集める令嬢、アレクシアは取り乱すでもなく、ただじっと糾弾者を見詰め返すばかり。
その様子に、糾弾者たる令嬢は、苛立ったように言い募る。
「謝罪をなされては如何! それとも申し開きでもお有りかしら!?」
ヒステリックな甲高い声が響く。尚も何事かを口にしようとして――
「少し待ってくれるかい」
先の声とは反して、穏やかな声が通る。
「私の婚約者のアレクシア嬢が、君への嫌がらせをした犯人とは本当のことだろうか、プルーメ嬢?」
「はい。本当ですわ。信じて下さいまし、エヴァン様」
間に入ったエヴァン王太子に向き直ると、糾弾者たる令嬢――プルーメはヒステリックな声から一転、甘えるような声を出す。
エヴァンは困ったように、ぎこちない笑みを浮かべる。
「そうは言われても、俄かに信じ難いことだよ。私は、私の婚約者を信じている。彼女はそんなことをする人ではない、とね」
「いいえ! いいえ! エヴァン様は騙されておいでですわ! 証拠だってありますのよ!」
「証拠?」
訝し気なエヴァンに対し、プルーメは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ええ! エミリー様! そうですわよね!」
当事者たちを囲むように立つ貴族たちの間から、小柄な令嬢がおずおずと一歩踏み出してくる。ダーズリー伯爵家の令嬢、エミリーであった。
「さあ、エミリー様。どうか勇気を出して話して頂戴。アレクシア様の悪行を」
「…………」
黙りこくるエミリーに、プルーメは一瞬焦れたような表情を見せるも、すぐに取り繕い猫なで声を出す。
「ほうら、アレクシア様を怖がらなくてもいいのよ? 私への度重なる嫌がらせの犯人の名を言って頂戴」
「……はい。プルーメ様に嫌がらせをした張本人は――」
「張本人は?」
「――アレクシア様ではありません」
「えっ?」
エミリーの口から期待とは異なる言葉が転び出て、プルーメは間抜け面を晒す。
対してエミリーは、緊張したような面持ちを一転、口の端を吊り上げる。
「ええ、アレクシアお姉さまではありません。プルーメ様への嫌がらせは全て、プルーメ様ご自身がやったこと。自作自演ですわ」
そう言ってエミリーは、手の平に収まる大きさの魔法球を取り出す。それは、音声を記録できる魔法球であった。
魔法球はほのかに赤い光を灯すと、記録された音声を再生し出す。
『そんな、アレクシアお姉さまを裏切るなんて……』
『どうして義理立てなさるのかしら? エミリー様、貴女がずっと姉のように慕ってきたにもかかわらず、アレクシア様は貴女のことを冷たくあしらわれて。先日だって酷く罵られていたじゃない。貴女が泣いていたのを、私見ましたわよ』
『それは……』
魔法球から再生される音声は、プルーメとエミリーの声に他ならなかった。
ぎょっとした顔を浮かべたプルーメは、魔法球を奪い取ろうとしたのか? 足を前に踏み出すが、エヴァンが遮るように体を割り込ませる。
『お姉さまが私を叱責されるのは、私が至らないからで……』
『まさか! エミリー様が至らないなんて! 正直になられて、アレクシア様が憎いのでしょう? 仕返しをしてやりましょうよ』
『仕返し?』
『ええ。アレクシア様を、昨今の私への嫌がらせの犯人に仕立て上げるの』
『そんな……!』
ざわりと、黒百合の間にどよめきが起こる。プルーメは顔を青くした。
『実はね、あの嫌がらせは、アレクシア様を陥れるために、入念に実行されたものなの。よく調べれば、アレクシア様が疑わしく見える様に、と』
『どうして、プルーメ様がそんなことを知って……。まさか!』
『さあ、どうかしらね? でも、そういう風に仕込まれているのは、ホント。……ねえ、エミリー様? アレクシア様に疑わしい事実が浮かび上がった上に、アレクシア様の傍近くにいる貴女が、嫌がらせの犯人がアレクシア様だと証言すれば? どうなるか分かるでしょ?』
『……プルーメ様、貴女はどうしてアレクシア様のことを』
『陥れたいのか? 決まっているわ。あの女をエヴァン様の婚約者の座から追い落とす為よ! そうして私が、婚約者の座を射止めるの! ねえ、エミリー様? 貴女がその手伝いをして下さったら、私が将来王妃になった暁には、貴女の実家である伯爵家を引き立ててあげるわ』
『……本当に?』
『ええ。だから、私に忠誠を誓いなさい、エミリー』
『……はい。プルーメ様』
魔法球に灯る光が消えると、黒百合の間は、しんと静まり返る。その静寂を破ったのは、誰あろうエミリーの笑い声であった。
「ふふふ! 滑稽でしてよ! どうして少し容姿が良いだけの、成り上がりの男爵令嬢如きに、いやしくも伯爵令嬢たる私が忠誠を捧げると? 馬鹿みたい。私が真心を捧げる御方は、只一人だけ……!」
エミリーは、アレクシアに向き直る。トト、と小走りで近づくと、大輪の花のような笑みを浮かべた。
「ああ、アレクシアお姉さま! どうです? 私はお姉さまの望み通り振る舞えたでしょう?」
エミリーの問い掛けに、アレクシアはパチン! と扇子を畳むと微かに笑う。
それを肯定と見て取ったエミリーは、嬉し気に言い募る。
「私、お姉さまに冷たくあしらわれた時に、その意図を察しましてよ。あの愚かなプルーメを釣るための演技だって!」
よくできました、とばかりにアレクシアは笑みを深めると、初めて口を開く。
「ふふ、何も言わなくてもすぐに察してくれるのね。――可愛い子」
アレクシアは、くちなしのような手をすっと伸ばすと、エミリーの頬を撫ぜる。エミリーはうっとりとした目でアレクシアを見上げた。
「――プルーメ嬢」
そんな二人の令嬢の仲睦まじい様子を尻目に、エヴァンがプルーメに呼びかける。彼は穏やかな表情こそ崩さないが、その目は冷ややかな色を宿していた。
「今宵はもう下がるといい。……後日、君の父上も交えて話し合いの場を持つとしよう」
蒼白な顔のプルーメは、ぶるりと体を震わすと力なく俯いた。
これにて一件落着と、アレクシアは一つ頷き、次いで周囲の観衆を見遣る。
「三文芝居で、お目汚しをしてごめんあそばせ。私もこれにて下がらせて頂きます。――ごきげんよう」
アレクシアは艶やかな流し目をくれると、真っ赤なドレスの裾を翻し、しずしずと黒百合の間を退出する。
その姿に、『嗚呼、これが我が国の未来の王妃か』と、貴族たちは感嘆した。
※※※※
――どうしてこうなった! のですわー!!
ラザフォード公爵邸の私室に戻った私は、扉を閉めるや地団太を踏みます。
「おかしい。おかしい。どうして、どうしてこんな……! 目論見が完全に外れてしまいましたわ!」
プルーメ嬢、学院で初めて彼女を見かけた時、私は使えると思いました。あの瞳の奥底に宿る妬心を見て取って。
そう、彼女なら私を無様な女に仕立て上げ、エヴァン様の婚約者の座から追い落としてくれるものとばかり!
思わず、ぎりっと歯噛みをしてしまいます。
落ち着きなさい。落ち着くのよ、アレクシア……。
私は一つ深呼吸をすると、寝台の傍にあるサイドテーブルに歩み寄ります。その上に置かれた硝子製の瀟洒な呼び鈴を手に取ると、チリン、チリンと涼やかな音を鳴らしました。
ほどなくして、コンコンと控え目なノックの音が響きます。
「入りなさい」
「失礼します。アレクシアお嬢様」
楚々と入室してきたのは、侍女のセシルです。
「ドレスの紐を解いて頂戴」
「畏まりました」
セシルは恭しく頷くと、姿見の前に立った私の背に回ります。
シュルシュルと解かれる紐の音を聞きながら思うのは、唯一つ。――早く、早く、エヴァン様との婚約を破棄しないと、というそんな想い。だって……。
すっとドレスを脱ぎながら、胸元の詰め物をどかします。露わになったのは、平らな胸板。姿見に映ったそれを、私は目を細めて見遣ります。
だって私は……男、なのですから。
何故、男である私が、性別を偽り公爵令嬢として生きているのか?
それは、十六年前のお父様の欺瞞が発端でした。
当時お父様は、政敵であったトンクス侯爵と、どちらが栄華を極めどちらが滅びるか、といったガチ政争の真っ只中。
そんな最中にお父様が求めたのは、王家との縁組でした。それが成れば、自らを優位にできる決定打になり得ると。
しかし当時、国王陛下の子供は生まれたばかりの王太子エヴァン様只一人。――今は弟君もいらっしゃいますが。
そして、お父様の子は、私の三人のお兄様たちだけ。女の子がいませんでした。
なので、出産間近であったお母様の胎の中の子供――私のことです――が、女の子であれかしと、神はおろか、悪魔にも祈りかねない程だったようです。
ですが、生れて来た私は、男の子でした。
そこで進退窮まったお父様は、途方もない欺瞞を口にしたのです。――生れて来た子は女の子であった、と。
そうして、あの手この手を尽くして、見事エヴァン様との婚約を実現させたのでした。
更にお父様は、私に淑女教育を施しました。私が、早々に男の子だとバレないようにと。それはそれは徹底的に。あるいは病的に。
何せ、私自身に、本当の性別を知らせなかったくらいですから!
学院入学も社交デビューもまだの幼少期の貴族の子女は、邸の中で家庭教師や使用人に囲まれて育ちます。
彼らは、示し合わせて、私に自分が女の子だと信じ込ませようとしましたし、その上であらゆる淑女教育を叩き込みました。
お陰様で、私は立ち居振る舞い、言動、趣味嗜好、その他諸々が完全に女の子のそれになってしまったわけです。
いえ、唯の女の子ではありません。輝かんばかりに、完全無欠な令嬢です。げに恐るべき、公爵家のガチ淑女教育。
ですが、かような欺瞞がいつまでも続く訳がありません。
少なくとも私自身に至っては、九歳の時に自分が実は男の子だと気付きました。
ええ、気付きましたとも!
もっとも、九歳まで女の子だと思って生きてきたので、今更男らしさなど、微塵も出てこないわけですが。
ただ、この欺瞞に気付いたのは、私だけ。世間ではまだ誰も気付いていません。
しかしこのままでは、白日の下に晒されるのも自明でありましょう。
どんなに遅くとも、エヴァン様の下に輿入れし、初夜を迎えればバレてしまいます。
こんなことに、お父様が気付かないわけがありません。
お父様はどうなさるお積りなのか? そう疑問を持ち続けている内に、私はハタと気付きました。
まさか、お父様は、婚姻前に私を亡き者にしようとしているのでは? と。
かつての政敵トンクス侯爵は、もう何年も前に破滅しました。王家を味方につけたお父様に破滅させられたのです。
それからというもの、政界はお父様の独壇場。
最早、王家との縁組は必ずしも必要ではないのです。
陰謀が服を着て歩いている、と貴族たちから陰で囁かれるお父様のこと。
実の娘を亡き者にすることに痛痒を感じるとも思えません。
思い返せば、成長する私を見るお父様の目は、すくすくと育つ子豚を見る養豚農家のそれに酷似しています!
ああ、なんて恐ろしい! ぶるりと体が震えます。
病死に見せかけるか? はたまた事故死に見せかけるか? 手段は分かりません。しかし、間違いなくお父様はそれを実行するでしょう。
自分の吐いた欺瞞が明るみにならないように、と。
私は考えました。考え抜きました。生き抜くために、どうすれば良いのかと。
そうして弾き出した答えこそ、エヴァン様との婚約破棄です。
筋書きはこう。何らかの理由で、エヴァン様との婚約が破棄となった私は、心を痛め世を儚み、俗世を離れた山奥の修道院に入るというもの。
清貧と貞節をむねとする修道女なら、結婚をすることもありません。その上で、俗世から離れ山奥に引っ込んだ私を、わざわざお父様は殺すでしょうか?
きっと見逃してくれるでしょう。仮にも実の娘なのですから。ですよね、お父様? ……そこは肉親の情があると信じるしかありません。
とかく、そういうわけなのです。私は何としても、エヴァン様との婚約を破棄しなければならない。だというのに……。
今回は失敗してしまいました。うう……。
侍女のセシルにドレスから寝間着に着替えさせてもらうと、灯を消して寝台に潜り込みます。
何とか、何とかしなければ……。
※※※※
王都にある公爵邸から馬車に揺られること暫し。聖ミハエル学院に到着しました。
ここは十三歳から十七歳までの貴族の子女と、特に優秀な一握りの庶民の子が通う学び舎です。
馬車を降りると、それは美しい校舎が目に飛び込みます。
淡いクリーム色の外壁と赤銅色の瓦が特徴的な建物で、本校舎、講堂、礼拝堂、図書館などが、コの字を描くように並んでいます。
建物群に囲まれた中庭は、春の妖精に祝福されたかのような彩に溢れていました。庭師が心血を注いだのでしょう。見事な花々が咲き誇っています。
「アレクシアお姉さま!」
呼ばれ振り返ると、小柄な女の子が私の胸に飛び込んできました。慌てて受け止めます。
「ごきげんよう、お姉さま!」
「……エミリー、はしたなくてよ」
飛びついて来たのは、妹分のエミリーでした。彼女の実家、ダーズリー伯爵家の領地は、ウチの公爵領と隣接することもあり、学院入学前から交流のある娘です。
年は私の二つ下で、当年とって十四歳。私の胸にすっぽり収まるくらいの小柄な女の子です。
エミリーは、私の窘める声に唇を尖らせる。
「だって……。先日のお芝居のせいで、学院内でお姉さまと触れ合う機会が減ってしまって、寂しかったんですもの」
……私が隙を見せれば、プルーメ嬢が行動を起こすと思い、エミリーに冷たく当たった事実を思い出します。
必死だったとはいえ、この子を利用するような真似をしてしまった……。罪悪感が込み上げます。
しかも、あんなに冷たく当たったのに、この子は私を信じてくれたのだ。
「仕方ないですわね……」
口ではそう言いつつ、心の中で『ごめんなさいね』と言いながら、エミリーの頬に手を伸ばします。彼女は逃げない。そっと撫ぜると、気持ち良さそうにしました。
益々、ぐいぐいと胸を押し付ける様に引っ付いてきます。
腕に当たる柔らかな感触に、ドキリと心臓が跳ねました。
実は私、異性、つまり女の子が恋愛対象だったりします。
女の子として育てられ、幼少期は自分が女の子だと思っていたにもかかわらず。本当に不思議なことに。
私の中に眠る男としての本能のなせるわざでしょうか?
小さい頃から、女性の何気ない仕草にどぎまぎしたりして。だからこそ、九歳の時に自分が男だと知っても、すんなりと胸の中に落ちたのでした。
私の恋愛対象は女の子。だからこそ、やっぱりエヴァン様との婚約を何とかしないと……。
そうして山奥の修道院生活を!
修道院、本来男の立ち入られない、乙女だけの秘密の花園でしてよ! そこに忍び込んで、その後は……。ああ! 耽美ですわ~。
妄想に勤しんでいると、ちくりと二の腕に痛みが走りました。
見ると、エミリーがまたも口を尖らせています。
「もう! お姉さま! 私が傍にいるのに、また他所事ばかり考えられて!」
「ふふ、焼き餅焼きね、エミリーは。可愛らしいこと」
ああ、本当に可愛らしくていじらしい。
殿方なら、誰だってこの子に夢中になるに違いなくってよ。……はっ! それですわー!
まるで天啓を受けたかのよう!
新たな策が、私の頭の中に降ってまいりました!
何も、私自身が婚約破棄の原因にならなくても良かったのです!
エヴァン様と、素敵な令嬢の仲を取り持ち、エヴァン様がその令嬢に恋心を抱くように仕向ければ……!
後は簡単なこと。
両者の気持ちを察した私が、潔く身を引くのです。――私、エヴァン様のお気持ちを知っていましてよ。御二人を祝福しますわ、と。
どうでしょう? 普通なら大問題です。面子が潰れると、それこそ私の家の者たちが猛反対することでしょう。そう、普通ならば!
ですが、私の婚約は普通ではありません。きっとお父様は、婚約破棄そのものには反対しないでしょう。
表では厳しい顔をしながらも、内心ほくそ笑むに違いありません。
何せ、私が男だという欺瞞がバレずに済み、あまつさえ王家に貸しを一つ作れるのですから。
エヴァン王太子のとんでもない我儘を聞いてやったぞ、と。
無論、その後私は、修道院に入ります。
潔く身を引きながらも、その実エヴァン様を慕っていたのだと、そういう体で。
愛するエヴァン様のことを想い、身を引く令嬢。
他の殿方との婚姻を全て拒み、生涯独身の誓いを立てて修道院入りするわけですわね!
何とまあ、まるで聖女のようではないですか!
私はうんうんと頷きます。
「どうなされたのですか、お姉さま?」
エミリーが、コテンと小首を傾げながら見上げてきます。
私はまじまじと見返しました。こう、値踏みするように。
……顔貌は整っていますわね。綺麗系ではなくて、可愛い系です。
体格は小柄。まるで小動物のようで、殿方の庇護欲を掻き立てるのではないかしら?
極めつけは、私の腕に当たっている胸。小柄な体躯に反して、たわわに実っています。……大きいのは良いことですわ。そこには、殿方の夢が詰まっているのです。
合格! この子を、エヴァン様とくっつくよう、画策することにしましょう!
王太子妃、ひいては、王妃となるのは、エミリーにとっても良いことに違いありません!
「お姉さま、また何か企んでませんこと?」
「ふふ、どうかしらね?」
私はミステリアスな笑みを浮かべながら、足を踏み出します。
エミリーも私の後に付いてくる。二人で本校舎に向かう道すがら、出会う学友と朝の挨拶を交わしていきます。すると……。
「おはよう、アレクシア嬢、エミリー嬢」
天鵞絨のような声。視線を向ければ、麗しの婚約者エヴァン様が爽やかな笑みを浮かべていらっしゃいます。
「「ごきげんよう」」
私とエミリーも挨拶を返します。周囲から痛いくらいの視線を感じました。
それも当然でありましょう。
エヴァン様がおられる、それだけで場が華やぐ。それは耳目も集まるというもの。
エヴァン様は殿方にしては、やや背が低いですが。
そんなこと、全く気にならないくらい麗しい御方です。
顔付き、声、体躯、身の振る舞い、それら全てが芸術品のよう。
美の女神の寵愛を一身に受けたかのような美しさには、性別を曖昧に、いえ生者であるかすら疑わしくなるような、そんな印象を受けてしまいます。
男女問わず見惚れてしまうもむべなるかな。
女の子が好きな私ですら、ずっと御顔を見詰め続けていれば、頬が熱くなってしまいます。
だからというわけではありませんが、軽く会釈だけ交わすと、私はエミリーを伴ってエヴァン様の横を抜けて行きました。
婚約者とはいえ、いいえ、婚約者であるからこそ節度ある付き合いを心掛けなければなりません。
そうでなければ、婚前にもかかわらずはしたないこと。と、口さがない連中に悪評を流されてしまいますから。
そういうわけで、私は学院でエヴァン様と過度なかかわりを持たないようにしています。
今回は、その事実を利用させてもらいましょう。
「エミリー……」
私は少し屈んで、隣に歩くエミリーに耳打ちします。
「エヴァン様への言付をお願いしてもいいかしら?」
エミリーは一瞬きょとんとした表情を浮かべるも、すぐさま心得たように頷きました。
それからというもの、私は事あるごとに些細な用事で、エミリーをエヴァン様の下へと遣わしました。
自然、二人はこれまで以上に接点が増えることになります。
敬愛するお姉さまの為にと、メッセンジャーとして細々と動くエミリーの健気さと愛らしさに、エヴァン様も心動かされるに違いありません!
エミリーは、エミリーで、あのパーフェクトビューティなエヴァン様と何度も顔を会わせていれば、自然と恋心が芽生えるというものでしょう!
完璧ですわー! おほほほ! と内心高笑いします。
そんなある日、私は一人で校内を歩いていると、それを目撃したのです。
人目を憚るように、エヴァン様を物陰に引き込むエミリーの姿を。
私が、何かお願い事をしたわけでもないのに!
あらあら、まあまあと、ニマニマしてしまいます。
これは、そろそろ仕掛け時でしょうか?
私は計画が順調に進んでいることに、機嫌を良くしました。
「あの、お姉さま……」
エミリーが声を掛けてきます。
「どうしましたの?」
「その、少しよろしいでしょうか?」
彼女にしては、珍しく歯切れが悪い。
「言いにくいことかしら?」
「……はい。申し訳ありません、場所を移動しても? お姉さまに御足労頂くのは恐縮なのですが。どうぞ、こちらに」
そう言って、先導を始めるエミリー。
ははあ、律儀な彼女のことだから、事の次第を、エヴァン様とのことを私に告白しようというのでしょう。
ちら、とエミリーの顔を窺えば、本当に申し訳なさそうな顔をしています。
これは、もう間違いありませんわね。
私は笑みの形に動きそうな顔を引き締めて、神妙な顔立ちで後に付いていきます。
互いに無言で歩いていると、エミリーは本校舎の裏口を出て、人気の少ない裏庭に足を向けます。
更に裏庭を奥へ、奥へ進むこと暫し。私たちの背より高い、生垣が連なる場所に出ます。
確かここは、何代か前の学長が、酔狂から造らせた生垣の迷路です。
エミリーは、そのまま迷路に入っていきます。
随分と慎重ですこと。
まあ、万一にも、余人に自分がエヴァン様と恋仲になってしまった、などという告白を聞かれるわけにはいかないでしょうから、当然のことでしょうか?
「妙な所に連れ出すのね?」
「申し訳ありません。あと少しですので」
そんな会話を交わしながら、いくつかの角を曲がったところで、エミリーは足を止めます。
「御足労下さり申し訳ありませんでした。その角を曲がった所です」
エミリーは、手振りで私に先に進むよう促してきます。
角を曲がった先には、お茶会の準備がされた丸テーブルが一つ。席は二つ。片方には、苦笑を浮かべられたエヴァン様がお座りになっておられます。
「えっ?」
予想外の光景に呆けてしまいます。すると……。
「ごめんなさい、お姉さま! 騙し打ちするような真似をしてしまって! 迷路の入口は私が見張っておりますので! どうかお二人で暫しのご歓談を!」
まくしたてる様に言うと、エミリーは止める間もなく脱兎の如く駆け出していきます。
こ! れ! は! またもや、計算ミスですわー!
私は自らの企みの破綻を悟らざるを得ません。
あの子と来たら、エヴァン様に惚れないどころか、過度な接触を控えている私のことを慮ってこのような場を! なんて気遣い上手さん!
私は観念して、お茶会の席につきます。
「はは、エミリー嬢には気を遣わせてしまったみたいだ」
「本当に」
苦笑するエヴァン様と、そんな言葉を交わします。
「それにしても意外だ」
「はい? 何がでしょう?」
エヴァン様は頬を掻きながら言葉を続けられます。
「その、アレクシア嬢、君にこんな可愛らしい一面もあったなんて……」
一連の自分の行動を思い返します。
過度な接触を控えねばいけないからと、妹分に頼んでまで、何くれと事細かく連絡をやり続ける日々。
乙女ですわー! なんて乙女チックな行動! こう、控えめな感じの令嬢がしそうな!
自分の行動が、傍目からどのように見えるか、それを理解して顔が火照るように熱いです。まるで、火でも吹き出しそうなほどに!
思わず両手で顔を覆ってしまいます。
「いやいや、悪いことじゃないんだから。そう恥ずかしがらないで。私も、そんな君の一面が見られて嬉しいよ」
「嬉しい?」
「うん。才色兼備、品行方正、正に令嬢のお手本のような、その陰に、こんな可愛らしい一面もあると知れて、益々好ましく見えるようになったよ。令嬢としても、一人の女の子としても、君は本当に素敵な女性だね」
「買い被り過ぎですわ」
エヴァン様の中で、アレクシア株が上がり過ぎないようせめてもの抵抗を試みます。
が、エヴァン様は首を左右に振られました。
「異性ならず、同性の令嬢たちの多くも、君を憧憬の目で見ているのだから。それこそ、エミリー嬢の様にね。うん。彼女たちが完全無欠の令嬢に憧れるのも当然のことだよ。そう……」
微かに、ですが確かに、エヴァン様の表情に変化がありました。影が差すような……。
「私にとっても、こうなりたいと思い描く理想、そのもので……」
エヴァン様の見せた表情に気を取られ、最後に囁くように付け足された言葉を聞き逃してしまいます。
「あの? 何と仰られました、エヴァン様?」
「ああ、いや……。君は、正に私の理想の女性だよ、とそう言ったんだ」
「まあ。エヴァン様ったら、そのようなお世辞を……」
「お世辞じゃないさ」
エヴァン様の真摯な眼差しに、思わず身を捩ってしまいます。
弱りましたわ。エヴァン王子は、もしかしなくても、私のことを……。
なけなしの良心が痛みます。こう、罪悪感に駆られてしまうのです。
それに正直に言えば、性別を抜きにしたら、その中性的な美貌はドストライク過ぎて、そんな真剣な眼差しで見詰められると、こう心落ち着きません。
ああ、もしも私が本当に令嬢であったなら、どれだけ良かったか。エヴァン様を傷付けることもなかったでしょうに。
それとも――エヴァン様がお姫様だったなら。……なんて、不敬な妄想にも程がありますわね。
私は内心溜息を吐きます。――はあ、人生ままならぬものですわね。
生垣の迷路の中、そのように心中独りごちたのでした。
この作品が楽しかったという方は、是非評価ポイントをお願い致します。
ポイント評価は、このあとがきより下部で行えます。