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第5章(1)

ジェルヴェは、今年で40歳だ。決して美男子ではないが頼りがいがある性格で、若いときにはさぞモテていただろうとアージェンが言うと、アメデオは苦い顔をした。

「俺の別れた奥さんも、最初はジェルヴェが好きだったんだよ。俺とジェルヴェは同い年でな、奥さんは2歳年上だ」

 カシャンと、猟銃に弾を装填すると、アメデオは林から少し逸れたところに向けて構え、よし、と言った。

「あいつが他の女と付き合ってて、当て付けで俺に言い寄ってきた。で、成り行きでそのまま」

「その当時のジェルヴェの彼女は?」

「とっくに別れただろう」

春の風は、アメデオの黒くて癖の強い少し長めの髪をなでていき、アージェンの肩まである銀髪も乱していく。


アメデオは、厳ついジェルヴェとは対照的ないわゆる「ニヤケ顔」をアージェンに向けた。浅黒い肌と彫りの深い顔立ち、とりわけギョロっとしたタレ目と厚い唇が特徴的だ。しかしがっちりした体躯と活動的なジャケットから伸びた手つきは、職人らしい武骨さを現している。厚手のズボンと足首までホールドするブーツに所々小さな穴が開いているのは、火の粉がはぜた跡のようだ。


「使うか?」

 差し出された銃をやんわり断ると、アージェンは背嚢から金属の棒を取り出す。直径2センチ、長さは50センチほどの短棒4節からなるそれは、中の空洞にコードが入っており、全体を繋ぐようになっている。

棒の片側を握り軽く上下に振り下ろすと、コードに引っ張られて一瞬で1本の長い棒へと組み上がった。

「なんだこれ?お前の田舎でよく使う武器なのか?」

「いや、小さい頃に、そのとき暮らしてた家の近くで拾ったんですよね。頑丈だから修理しながら愛用してます」

 アメデオはアージェンからそれを受け取り、すぐ眉間に皺を寄せた。

「えらい重いな。こんなのをガキの頃から持ち歩いてるのか…」

「皆言いますけど、重くて扱いづらいからか盗まれないし、なかなか良いですよ。今度見てみてください。腕の良い鍛治職人だとジェルヴェが言ってました。ジェルヴェの猟銃もあなたが見てると」

 苦笑し、アメデオは棒をアージェンに返す。

「今、工房は俺と若いやつが数人いるだけだ。猟銃の調整はじいさんが主にやっていたし、親父も田舎に引っ込んだ。小さい頃から、うちの親父とジェルヴェのおやっさんが猟に行くのに付いていってな」

 門前の小僧なんとやらってやつだ、と言いながらアメデオは自分の愛用の銃を撫でた。


「しかしあいつも、随分太っ腹なことを言うもんだ。宿代はタダで良いなんて」

「親心ってやつみたいですよ。あなたにも娘がいるんでしょう?リディと同い年とか」

「コンチェッタな。これは自慢だが、なかなかの美人だぞ。教会の計らいとやらで、3ヶ月ばかし中央州に行ってるよ。女性も見聞を広める時代だそうだ」

 アメデオは茂みの陰に座ると銃を構え直し、木々の隙間に向かって照準を合わせる。

「リディは、可愛いだろう?」

 にやり、と笑うアメデオの顔は、酒場で女を引っ掻けている男たちの表情そのものだ。

「可愛いですね。猛獣たちに囲まれているから、迂闊なことはできませんけど。あなたもよくジェルヴェに撃たれないもんだ」

アージェンが肩をすくめると、アメデオは意味ありげに笑った。

「さすがに娘の友達に手は出さんよ」

「奥さんに逃げられたのは、よその女に手を出したから?」

「想像に任せる」

アメデオは笑った。

「厳密に言うと、別居だ。死別以外の、離婚に対する女への世間の目は、厳しいからな」  


そこで、アメデオは林に向かって発砲した。獣の悲鳴と小鳥の群れが飛び立った羽音が響く。

「あれ…仕止め損なったか…」

鳴き声や反響具合からわかるのか、アメデオは残念そうな顔をして銃を下ろしたが、アージェンは林に入るよう促す。

「鹿くらいは訳もないですから」

そう言いながら、来たことが無いはずの林の、木々が鬱蒼としている奥まで迷いなく入っていく。不思議に思いながらもアージェンに付いていったアメデオの視界に入ったのは、鋭い爪を横たわった鹿の急所に食い込ませ、その脚をすらりと伸ばしてすましている白銀の大鷲だった。やや細くなっている首もとと、さらに細く長い脚が優美さを際立たせている。先だけが黒い大きな羽根は乱れなく、獲物を仕留める際の格闘の跡は微塵も感じられない。


ひゅっ、とアメデオが口笛を吹くと、鷲はそれを一瞥し、関心が無さそうにあさっての方を向く。

「つれないな。メスか」

アメデオは苦笑しながらも鷲に近付いた。頭の羽根飾りと目の周りのオレンジ色が華やかだ。

「綺麗だな」

「リディもそう言ってました」

アージェンが手をのばすと鷲は一歩後ろに下がり、羽を閉じて姿勢よく佇む。鷲の頭はアージェンの胸元くらいの高さにくるので、視線をかわす様子はまるで会話をしているようだ。その様子は教会や書物で見る物語の挿し絵のようで現実味が無い。


そんなことをぼんやり考えていたアメデオは、アージェンが自分のほうを向いた時に、銀髪の隙間から覗いた目にいすくめられ、ぞくりとした感覚を覚えた。

「2、3日は、この鹿1頭で足りそうですかね」

アージェンの口調は、淡々としている。動揺を気取られないよう、アメデオもゆっくりと話した。

「そうだな、あとは市場に行けば良いだろう。今まで、こんな風に狩りをしながら旅をしてきたのか?」

「旅…ってほどじゃないですけど。食事は、本業の客が奢ってくれたりするので」

それを聞いたアメデオは吹き出したが、アージェンは気にせず、手際よく鹿の血抜きを始める。

「男娼の仕事は、いつから?」

「自分から客引きしないのも、男娼って言うんですかね」

「他の呼び方を知らんからな」

 アージェンは、ちょっと考えてから答えた。

「体使って金を取るようになったのは、10年前…14か5くらいから。そういう町を選べば歩いてるだけで声を掛けられるから、稼ぎには困らなかったんで」

「特定の恋人は、いたことはないのか?」

「ないですね。欲しいと思ったこともない」

 それに、とアージェンは顔を上げて上空を眺める。血抜きの間に鷲はさっと羽ばたきどこかへ行ってしまったが、その微かな羽音は彼には聞こえているようだ。

「あいつがいれば、俺は十分です」

 アージェンの静かな呟きに、アメデオは複雑な顔をした。

「俺は、どんなに綺麗な鳥を眺めるより、好きな女を抱きたいけどな」


そこでアメデオは、足元になにか触れるのに気づいた。小さな蛇だ。


ためらわずに蛇を踏みつけようとしたアメデオを、アージェンは表情を変えずに見ている。蛇はそのままするりと足の間を抜けて、草むらへ消えていき、アメデオはまた何事もなかったかのように遠くを眺めた。

「…蛇を」

アージェンの声に、アメデオが振り向くと、そこに立つアージェンは既に蛇がいなくなった地面を見ている。

「蛇を踏むのに、躊躇がないんですね」

ああ、とアメデオは返事をしたが、彼の雰囲気は先ほどとは何か違う。

「蛇は、邪悪なものだと教わってきたからな。さすがに大人になってからは全ての教書を鵜呑みにはしないが、条件反射というか…刷り込みっていうか、な」

「そうみたいですね。教会に絵が飾ってあった」

アージェンは数日前、リディに教会を案内してもらっていた。まだ比較的新しい教会は、地域に根差すより前に、信仰に厚い旅人が滞在中の拠り所として祈りを捧げる場所という意味合いが強かったようで、ステンドグラスと掲げられた絵画の示すところがちぐはぐであった。

「親父の話によると、昔はもっと素朴で、自由な雰囲気の教会だったみたいだがな。ジェルヴェみたいな…」

「ジェルヴェ?」

アージェンは問い返したが、すぐに、ああ、と納得したような笑顔になった。

「だからリディも、ああなのか。なるほど…」

教会の絵画などに見られる蛇はどれも、権威や恐怖、堕落、誘惑など、人間の欲を代弁させられているようであった。

リディがそれらの絵画を見ながら、蛇もいい迷惑よね、と言う様は教会の厳粛な空気には似合わず、アージェンもその真っ直ぐな物言いに思わず吹き出したのだ。


思い出し笑いをするアージェンを見て、アメデオが言う。

「血の繋がりはなくても、そっくりだろう?」

蛇への嫌悪感が無いリディの意識は、ジェルヴェが育てたかららしい。アメデオは苦笑した。

「蛇や虫をつい潰そうとすると、ジェルヴェに怒られるんだ。普段は忘れてるが、あいつが北部の先住民てのをそういう時に思い出す。妹のシルヴィは、割と早く町に染まったけどな、あいつはなかなか…」

そこで何か思い出したように、アメデオは笑った。

「なかなか結婚できないのは、あの頭の固さのせいかもな」

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