ジェルヴェの回想
小さな島国といえど、地域によって住みやすさは異なるものだった。
ジェルヴェが住んでいたのは北部の州。州とはいえ先住民が多いより北岸寄りの土地には、よそから流れこんだ者が口だしできない暗黙の了解も多い。
当時の北部は内陸部の西側にやや高めの山があり、そこから流れる東西を縦断する河川が、北と南の州境に当たった。最初から明確に自治が分かれていたわけではないが、川を挟んで家や町、または学校を整備をしたほうが利便性が高いという、極めて合理的な理由のほか、北の先住民と南の移民の間には、相容れぬものがあったのが大きかった。
それは主に信仰である。
ジェルヴェが覚えている限り、父母は特定の信仰を持っていたわけではない。しかし先住民の流れを組む彼ら一家は、山や自然を享受して生を営んでいることを常に意識し、感謝し、それをコミュニティの中で分けあうことを善しとしていた。
山で獣を狩り、野菜を育てていた自給自足の生活から、国全体が近代化の波に乗る過程で、自然からの恩恵を住民のために調理し提供する職を生業にするようになった。
ジェルヴェは妹とともに、教会が主宰する新しい学校に通い、一通りの教育を受けるようになったが、子供達の柔軟な思考には新しい思想は面白いほど浸透し、影響を与え、それが今まで狭い地域の中で満足していた親の出世欲を呼び起こし、住民は次第に古めかしい北岸寄りの地域から、先進的な南部へほど近い場所へと移り住むようになった。
ジェルヴェたちは本意ではないものの、日々の糧を得るための客商売に適し、また子供たちの教育事情を考え、やはり周辺住民とともに南に近い場所へ居を移した。
しかしジェルヴェが14、5の頃、突然河川を中心にした南北の特定地域は新たな州として独立し、ジェルヴェ達の住む場所も当然のように組み込まれた。
ジェルヴェは地域編成後も自分たちの生活に変化がないと役人や教会から教わり、それを両親にも伝えたが、正式に中央州が発足する直前、一家で他の地域へ移り住むことを決めた。
まるで夜逃げのように、ひそかに事前に用意していた荷馬車に乗り東部へ移動したのを、ジェルヴェは覚えている。
国内での移住は自由で商売のために転々とするものも多い、という両親の説明は白々しいものだったし、その後数年、発展途上の港町で宿屋として家業を安定させるまでの苦労は、移住後わずか5年で、成人したばかりのジェルヴェとまだ17のシルヴィを残し過労で他界した両親を送ったときに痛感した。
しかし、それでも移住を強行し、自分に店を残してくれた両親の判断は間違ってはいなかったと感じる。
それは、山の中でこの地にいるはずのない動物と、1人で生きられるはずもない2才の少女をみつけた時にも強く感じたことであった。