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第15章(2)

 東部から南部へ抜ける陸路は、海岸にほど近い地域を経由するのが、起伏も少なく馬の負担も少ない。早朝に港町を発った一行は、昼の休憩を挟んだだけで、あとはひたすら馬車に揺られていた。


「疲れないか」

 リディに話しかける声は、見た目に反してとても優しい。このサーカスの団長は、ドニといった。

「大丈夫よ」

 暗闇の中、リディはドニの、ぎょろりとした目を見る。複数の馬車に分かれて移動しているが、なぜかリディはドニと同じ馬車をあてがわれた。他の団員よりは常識がある、と言ったドニにリディは「理性もあるわけね」と返して笑われた。意外と明朗な笑顔に、リディは意外さと集団をまとめるカリスマ性も感じ、とりあえずは彼の言葉を信じることにした。


「レネは?」

「あの子は、小さな動物たちと一緒にいる。大人用の座席より、荷台に丸まっているほうが楽なようだ」

 そう、とリディは外を見た。住み慣れた東部の港町とは異なる、なだらかな丘陵が遠くに見える。市街地から少し離れたコンチェッタの家まで行けば、山も近く自然を身近に感じていたが、それとは違う開放的な景色が広がっていた。

「南は、初めてのようだな」

 ドニの言葉にリディは頷いた。南どころか、東部以外の地域を訪れたことはないが、武骨な養父、ジェルヴェの出身である北部と、アージェンが過ごした西部の素朴な風景は聞き齧っている。それに比べると、やはり南部は何かおおらかな雰囲気だ。

「定期的に、各地を回っているの?」

「ああ、俺は南部の生まれだから、南部を拠点にあちこち、な」

「何歳から?」

「18からだ。親が死んでな」

 リディはドニを見上げた。座っていても感じる体格差は、出会って間もないのに安心感を与える。

「今の私と同じくらいね」

 ジェルヴェもだが、まだ独り立ちするには早い年齢で庇護を失い、慣れないながらも生きていくには、何か技能や芸を習得するのが一番良い。彼もまたそうして過ごしてきたのだろう。


「恋人に、会いたいんだってな」

 ドニが、にやりと笑いながら言った。レネが話しているだろうとリディは思っていたが、ほとんど初対面の男性に改めて言われるとどこまで話したら良いかわからない。

「とても男ぶりが良いと聞いた」

 レネったら、と、リディは困ったように溜め息をついた。

「別に、アージェンの容姿が気に入ったから好きになった訳じゃないわ。彼がとても魅力的なのは確かだけど」

「じゃあ、どこを好きになったんだ?」

 リディは言葉に詰まる。ジェルヴェと同じくらいの年齢の男性に、どう説明したら良いのだろう。その時、がた、と馬車が揺れて、リディはドニにもたれかかった。とっさに抱き止められて体を固くする少女に、ドニは苦笑する。

「何もしないから安心していい。だが恋人に抱かれたらきっと違う反応をするんだろうな」

 そう言われ口をつぐむリディの肩を、ドニは優しく支える。

「どうした?」

 またゆっくりと規則正しく揺れる座席に座り直し、リディは俯いた。


「彼は、私を抱かないわ。他の人たちとはベッドに入るのに」

「他の人たち?」

「体を売る仕事をしているの。いえ、していた……かしら。男の人でも女の人でも」

 それは、とドニは驚く。

「私が、まだ子供だから……」

「そんなことは無いだろう。君は魅力的だ。恋人はおそらく、君に寂しい思いをさせたくないのだろう」

 リディは、ドニを見た。各地を巡業している彼も、立ち寄る先では商売をする女を買うこともあるかもしれない、とリディは思ったが、ドニは違っていた。南部を拠点にしているのは、定期的に恋人の元へ帰るからだという。

「若い時は、無責任なことは出来なかった。明日をも知れない生業をしている自分を忘れられないよう、待たせるのは酷だと思っていたんだ」

道が曲がり方向が少しずれると、月が見えた。彼を、とドニが言う。

「信じているから、追いかけるんだろう」

 リディは、外をみている。ドニは続けた。

「俺の一団は、やたらに人を入れることはしないが、途中で抜ける分にはかまわない。俺も、あとを任せられる奴がいたら引退したいというのが本音だ。故郷で、親と過ごした土地で彼女とささやかに暮らす…ただ、そんな小さな希望も、ひとたび国の事情が変われば叶えられないのはやるせない」

「あなたは、国が何をしているか知っているの?」

 リディの問いに、ドニは笑った。

「何もしちゃいない。ただ、怖がっているだけだ」

「怖がる…?」

 ああ、と彼は煙草に火をつけた。リディはむせて、思わず顔をそらす。

「自分が非力だと思い知らされることに、怯えて武装しているだけだ。そして」

 

 ドニはゆっくりと煙を吐いた。ふわっと視界が白くなり、すぐに消える。

「駒にさせられるのは、俺たちだ。しかし、盤面が傾いてしまえば駒にはもう立つことすらできなくなる」

 馬車が止まった。

 ドニが顔を出すと、団員が何やら声をかけてきた。ドニは眉をひそめて馬車を降り、後ろの荷馬車に向かう。

 少ししたのちに戻ってきた彼は、悲しそうに首を振った。

「あの女性が」

 手を縛られた、薬で心身を損なっている彼女のことだ。

「死んだ。次の町で弔おう」

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