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第10章(4)

「うちは山に一番近い集落の外れに住んでいて、学校から帰ると家の裏で畑仕事をしたり、母親は修道院の手伝いで裁縫をしたり、俺の髪は母親と同じ…今とは全然違って黒かったし、周りの子供と変わりなく過ごしていた。でも、これ(・・)があるのは俺だけだった。肌は隠すようにと母親に言われ、夏でも長袖で、川での水浴びも誰もいないときにこっそりと行くようにして」


 段々と語調が独り言のようになるのを聞きながら、ジェルヴェは、生まれたときからあるというアージェンの鱗を服越しに見る。

「14のとき、山に野犬が出たんだ。大人が鍬や鎌で退治したそれは、何かが変だった。足や目が多かったり…それが一度だけじゃなく、あるときは数頭一度に現れた」

 何回か、そして同時に何頭も。


「ある日、家に追われた野犬が逃げ込んできて、俺が応戦して怪我をした。手当てのために服を脱いで上半身裸になったとき、タイミング悪く村の大人らが来た」

相手が一人なら、きちんと話すことができたかもしれない。しかし、大人数になった側の者たちは、少数の者を「異端」とみなすのだ。そして、理由がつかない事象を、その「理由がつかない異端の者」のせいにする。

「俺の鱗を初めて見た大人たちは、この異様な姿の野犬が増えたのは、俺のせいじゃないかと言い始めた。化け物…俺が三つ目の野犬を操って村を襲わせたんだ、と」

 冷静に考えれば、14歳の子供にそんなことができるなら、違う方法でとっくに集落を潰すことはできただろう。しかし、異様なありさまをみた大人たちが一時的に高揚していたことも容易に想像ができる。


 村を襲う悪を退治しよう、と。

 自分は善だと。


「俺は大人たちに、話をする時間も与えられず押さえつけられた。郡の役人に引き渡すか、あるいは殺そうという村人たちに、母親は全力で抵抗した。元々、父親が誰かもわからなかったから母親を疎う村人も多かったんだ。そして、母親はとても綺麗で、魅力的だった」

 アージェンを見ていれば、これで女性ならさぞ美しいだろうと誰もが思うはずだ。その母親が男性たちから欲情され、その先に起こる出来事は想像するだにかたくない。ジェルヴェは、反射的に首を振った。

「最初は、俺と同じような鱗がないか調べよう、と誰かが言い出したんだ。服を剥いで裸にして…母親には鱗はなく、白く綺麗な肌が男たちの目に晒された」

 アージェンの視線は、足元より少し先に向いているが、ジェルヴェはそこには床しかないことを知っている。

彼はいま、自分の母親が凌辱されそうな場面を記憶から呼び起こしているのだ。

「アージェン、もういい。喋るな」

制止するジェルヴェをアージェンはちらと見たが、話は止めない。

「襲われそうになった母親を助けるため、俺は自分を押さえている奴等を力一杯を殴った。村人は数人がかりで再び俺を取り押さえ、そのまま母親を組み敷いて」

 アージェンはそこで息を切り、目を瞑る。

「そして母親は自決した」

 ああ、と心の中で呟き、ジェルヴェも静かに黙祷した。

 男達が持っていた鍬か斧か、とにかく野犬の息の根を止められるだけのものを、力を振り絞り自分の喉にあてがったのだという。男たちは血溜まりが広がる様子を見て、慌てて去っていった。


「…そのあとしばらく一人で座ってたら、白い鷲が俺の腕を啄んだんだ。本当に蛇だと思ったんだろうな。違うとわかったら、少し離れて。でもずっとそばにいてくれて」

ジェルヴェは、その優雅な白鷲の姿を思いだした。一人になったアージェンにとって、どんなに救いになっただろうか。

「気持ちが落ち着いてきて、母親と野犬を葬ったんだ。母は死んでも、綺麗だった。血の気が無くなり、肌が一層白くなって…服を着せて、埋めて…」

話しながら、アージェンは膝の上に置いた両手を数回動かす。母親との最後の別れは、いまだ彼にとって生々しい記憶なのだ。

「野犬は」

アージェンは、手を止めた。

「よく見ると顔を歪ませ苦しそうで」

 ジェルヴェは、狼の歪んだ顔を思い出した。

「こんな見た目だから人を襲うのか、人を襲うためにこうなったのか…。俺もこんな風だから…俺のせいで母親は死んだんだ」

 リディも、と呟き、アージェンは目を開け、自分の手を見つめる。ジェルヴェは、無言で首を振った。

再び、ドア越しに鷲の羽音が聞こえ、アージェンは顔をあげ、困ったように笑う。そして一呼吸置き立ち上がり言った。

「そのあと、俺は体ひとつで生きてきたんだ…商売女に囲われたり、人買いの男に目を付けられたりもした。だが、結局は誰とも、ずっと一緒にはいられなかった」

何か思い出したのだろうか。目をつむり少し黙ったあと、アージェンは静かに言葉を発した。


「迷惑なら」

ジェルヴェは、アージェンを見つめる。

「迷惑なら、追い出してくれ。こういう言い方はずるいだろうが…」

いや、とジェルヴェは手をあげて遮った。

「お前を追い出したら、リディに親子の縁を切られちまうからな。それに、俺もアージェンを気に入ってる」

 あ、アメデオ達もな、と笑いながら付け足したジェルヴェの言葉に、アージェンは少し間を置いて頷いた。

「ありがとう、ジェルヴェ」

 アージェンはゆっくりとベッドから立ち上がると、複雑な表情のジェルヴェの頬にキスをして部屋をでた。自室のドアが開き、鍵がかかる音が聞こえると、アメデオがゆっくりと体を起こす。

「…やっぱり起きていたか」

「あんな話されちゃあ、寝られねえよ。まだ、何か抱えてることはありそうだが…」

 くしゃくしゃと、癖のある髪の毛をかきむしると、アメデオは溜め息をついた。

「なにも悪いことは、してないのにな」


 :::::::::


 一人、すでに馴染んだベッドに横たわり、アージェンが天井を見つめていると、静かにドアをノックする音がした。

 鍵を外しドアをあけると、リディが立っている。

 無言で部屋に入るよう促し、リディが再び鍵をかけたところでアージェンは口を開いた。

「ありがとうな」

「…何が?」

「あいつに、夕飯持ってきてくれたろ?満足した羽音が聞こえた」

「…わかるんだあ…」

「付き合い長いからな」

 リディはちょっと悔しそうな顔をしたあと、すぐに真面目な表情でアージェンを見つめる。

「アージェン、お母さんの話…」

「全部聞いたか?」

 うん、とリディは答え、アージェンの首に腕を回した。微かな震えは、泣いているからだ。その手は、アージェンの肩や腕をゆっくりと撫でていく。

「リディ」

 耳元で聞こえる自分を呼ぶ声に、うん、とリディが頷く。

「俺は、お前を失いたくない」

アージェンが静かに言い、リディはその銀の髪に顔をうずめる。

そのまま二人は、お互いをきつく抱きしめた。


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