表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/43

第2章

「お客さん、起きて!」

 快活な高い声が響くとともに、内側から鍵をかけたはずの客室のドアが勢いよく開いた。

「朝食は下の食堂に用意してあるから、冷めないうちに降りてきてね」

 ショートパンツからすらりと伸びた健康的な素足が大股にベッド脇へ進む。カーテンを引く音とともに、朝日が射し込み部屋が明るくなったが、布団はまだ丸く、中にいる人物は頭すら見せない。

「ねえ」

 リディはベッドの枕元に回り込み、布団の固まりを覗きこんだ。肩より少し長いウェーブがかった明るい栗色の髪が、光に照らされ更に明るく揺れる。

 起きる様子が微塵も感じられない客の様子に、リディはその青みがかった大きな目を、呆れたように見開いた。

 そのままゆさゆさと、布団の固まりを揺さぶる。少し大きめのシャツからのびた腕は17、8の娘にしては意外と力強く、不機嫌というよりは困った声が返ってきた。

「…いや、まだ、寝させてくれ…」

「お客さんが夜中に飛び込みで来たことは父さんに聞いたけど、朝ごはんは朝に食べた方がいいのよ?」

「俺は…そんな迷信は知らない…」

「とにかく、朝食つきで料金もらってるんだし、美味しいコーヒー飲めば目は覚めるわよ、さあ!」

 リディはそう言うと、力をこめて布団を一気に引き剥がした。

「…寒い」

 間抜けな声とともに、リディの見開かれた目に飛び込んできたのは、綺麗な銀色の長髪、寝ぼけてはいるが整った顔。そして、億劫そうに上半身を起こした男性の、ほどよく引き締まった裸体。

「…きゃ―――――っ!!」

 一瞬遅れて、建物内に絶叫が響いた。


 ::::::::


 ゴツゴツ、と、階段を降りるブーツの音が響き、ベージュのズボンに紺のシャツを着た銀髪の青年の姿が見えると、食堂にいる男たちは、にやにやしながら一斉に喋りだした。

「よお、銀髪の兄ちゃん、服は持ってたのか」

「リディが顔を真っ赤にして駆け降りてきたから、襲われたかと思ったよ」

「すぐ襲えるように裸だったんじゃないのかい?」

 青年が窓際の席に座ると、日に焼けた太い腕が新聞を差し出した。軽く会釈をし、青年は新聞を受けとる。

「…この宿はそういう宿でしたっけ。随分上玉を抱えてるんですね」

 にや、と白い歯を見せて、いかにも力仕事を生業にしてる逞しい男は笑う。

「確かにリディは美人で、狙ってるやつらも多いけどな。俺らみたいなのが迂闊に手を出したら親父に撃たれちまう」

「おいおい、17の娘とじゃあ釣り合わねえだろ」

「この鍛え上げた体を見せたら惚れるかもしれねぇぞ?俺も今度から裸で店に来るとするか」

 わっ、とフロアが沸いたが、男たちの豪快な笑い声にかぶせるように、食器を乗せたトレイを乱暴に置く音がした。香ばしいパンと、みずみずしい野菜のサラダが皿を彩っている。

「…冷めないうちにどうぞ」

「どうも。いただきます」

 常連客の意味ありげな視線と圧し殺した笑い声の中、気まずそうな顔で足早にカウンターへ戻るリディとは対照的に、青年は新聞に目を通しながら、静かに朝食を食べ始める。


 宿屋は通りに面したところにある。馬の引く貨車が、石畳の音をあたりに響かせて通り過ぎた。窓の外からは老若男女が立ち止まり無遠慮に覗いていくが、青年は意に介さない。自分の容姿がどれだけ人目を惹くかを自覚しているようで、不躾な質問や視線にも慣れているのだろう。

 新聞は地元紙だが、一面は国のトップニュースだ。ここ近年、国力強化に向けて様々な識者の意見が飛び交っているが、玉石混淆でどれも実現されていない。反面、州のニュース欄には、幽霊や怪物の目撃譚など、これまた眉唾物の話題ばかりが載っている。


 興味が無さそうに青年が紙面をめくった時、目の前に影が掛かった。

「お兄さん、美人だね」

 青年が顔をあげると、白いシャツを着た細身の男が前に立って、なめまわすような視線を向けてきている。明らかに先ほどまでいた労働夫とは異なるタイプだ。

「いくら?」

「本当にそういう宿なのか?あいにく女専門でね」

 自分を性の対象として値踏みする相手を軽くあしらい、青年は再びサラダを口に運ぶが、その肩に男の手がのびた。

「…熱ッ!」

 慌てた声とともに、湯気が揺らぐ。

 青年と細身の男の間に、コーヒーの香りとわずかな飛沫が舞った。男が恨めしそうな顔で振り向くと、リディがトレイを片手に仁王立ちしている。

「ねえ、客じゃないなら帰ってくれる?」

 その迫力と正論、そしてカウンターの奥に控える宿屋の主人の視線に、細身の男はしぶしぶ店外へと退散した。

「コーヒー減ってるぞ。ぶつけた拍子にこぼれたんだろ」

「はいはい、足してきます」

 何事もなかったように話す青年にリディも返事を返し、三度(みたび)カウンターへ戻るとカップいっぱいのコーヒーを運んできたが、青年を斜め上から見下ろし、首筋に不自然な赤みを見つけて少し顔を赤くする。


「ねえ…」

 ん?と顔を上げた青年と目が合い、リディは咄嗟に顔を背けた。

「その、首のは…き、」

 キスマーク?とあさっての方を見ながらこそこそと聞くリディの声は、好奇心でやや上擦っているが、青年は平然と答える。

「ん?ああ…おそらくそうだろ。自分じゃ見えないけどな」

「やっぱりそういう仕事なの?その…女の人と…その」

「金さえもらえればな」

 トレイを手にしたまま、その場に立つリディが赤面して黙る。

 美人と評判のこの看板娘は、客商売という環境もあり大人たちの話を聞いて育っているため、艶ごとに関する知識は多少持っているし、興味が無いわけではない。しかし、たとえ言い寄る男がいようとも、少女の方でもまんざらでもない想いを抱いたとしても、腕っぷしの良い父や常連客達が威嚇とも言える位の過保護ぶりを発揮するため、実体験としては、とんと疎いのである。


 青年は、先ほどまでのやり取りから十分にそれをわかった上で、わざと誘うような目線をリディに向けた。

「宿代でチャラでも良いぞ。初めてなら優しくしてやる」

 リディが、何を想像したのか赤面したまま体を硬直させる。笑いながら、冗談だ、と言おうとした青年目掛け、何か大きな獣がカウンター奥から飛び出してきた。

「アンリ?!」

 それは大人の、雄のライオンだった。ちょっと驚いた表情で、座ったまま一歩身を引いた青年のシャツに獣の爪が引っ掛かり、肌を引き裂くかと思われたが、何故かライオンは手を出すのを止めてその場に座った。青年は微笑み、静かにライオンの鬣を撫でる。


「驚いたな。ライオンを飼っているのか」

 青年が衣服を正してカウンター奥を見ると、腕捲りをしたシャツにエプロンを着けた壮年の男性と目が合った。白髪混じりの短髪は、武骨な雰囲気によく似合っている。

「ご主人、ゆうべは遅くにご迷惑を。親切に風呂まで貸して頂いて助かりました」

「いや、礼には及ばん。滞在中は、好きな時に使ってくれて構わない」

 青年が挨拶をすると、客商売の主人らしい慣れた返答が返ってきたが、表情は厳めしいままだ。


「しかし、いくらなんでも客に猛獣をけしかけるのは良くないんじゃないですか」

 青年の足元に座るライオンは、白いが骨ばった長い指に首筋を撫でられ、まるで猫のように機嫌良く喉を鳴らしている。

 リディは不思議そうな顔でライオンと父親を交互に見るが、女ならとろけそうな笑みを青年から向けられても、宿屋の主人は眉間に皺を寄せたままだ。手には、先ほどまでライオンを繋いでいたらしき鎖と、もう一方には猟銃を携えている。

「普通の客ならな。言っておくが、うちの娘に手を出したら容赦しないぞ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ