第9章(2)
宿屋に戻り鍵を開けて入ると、キッチンに食材が入った箱が置かれている。ジェルヴェは早速夕食の仕込みに取りかかった。
「おかえりなさい!」
物音でわかったらしく、コンチェッタがリディの部屋から飛び出してきた。リディもあとから食堂に来て、アメデオに再び挨拶をする。アンリはカウンター下の定位置だ。
帰る途中で買ってきたケーキをカウンターに置き、ジェルヴェは何事も無かった娘たちを見てほっとした表情をした。
「あれ?山には行ってないんだ?」
「ああ、お前の家の周りを案内してもらったら、時間が過ぎてな。良いところだな」
アージェンが灯りをともしながら、にこやかに言う。
そうよ、ちょっと道は悪いけどね、とコンチェッタは父親の前で軽くワンピースの裾をつまみあげ、足を少し前に出すと、真新しい白い靴がのぞいた。
「どう?」
「おお、可愛い靴だな。よく似合うぞ。さすが俺の娘だ」
アメデオがコンチェッタの額にキスをする。
「リディは?何も買わなかったのか?」
「うん、特に欲しいのは無かったから…」
ジェルヴェが聞くと、リディは笑顔で答えたが、コンチェッタは不満そうだ。
「リディにも似合いそうな靴があったのよ!綺麗な赤い色の靴」
「へえ、良いじゃないか」
アージェンが言うと、リディは恥ずかしそうに俯いた。
「リディは足が綺麗だからな。今度俺が買ってやろうか」
えっ、とリディが顔を上げるが、それがとても嫌そうな表情なので、アージェンは驚く。
「嫌なのか?」
「だって…そんなお金で買ってほしくない」
「そんなお金?」
なになに?と興味津々で聞いてくるコンチェッタをやんわり制して、アージェンはちょっと考えるそぶりをした。
「…それは、どうしたものかな。ああ」
「…なに?」
アージェンは自分の腰に下げた鞄から、何やら細かいものを取り出した。きらきらと光る半透明なものは爪くらいの大きさで、リディには見覚えがある。
「…あ」
鱗だ。それを3つばかり、アージェンはリディに手渡した。
「たまに、変な風に剥けるんだよな…。昔、宝飾屋が珍しがってそこそこ良い値段で買い取ってくれたから、それを元手に好きな靴を買ったら良い」
へええ…と、ジェルヴェとアメデオも繁々と覗き込むが、いまいち話の中身が掴めないコンチェッタだけは不満そうだが、貴重な天然石か何かだと勝手に納得したようだ。
「いいなあ、リディは。こんな気遣いもしてくれる彼氏なんて最高じゃない」
彼氏、という言葉にリディは控え目に頷くと、アメデオの顔を見た。
「おじさん、これ、イヤリングにできる?」
ん?と、予想していなかった答えにアージェンは少し驚く。
「どうした?靴が欲しいんだろ?換金した方がいいぞ」
「ううん、このまま持っていたい…だめ?」
頬を染めるリディにアージェンが返事をする前に、アメデオがぽん、と手を打った。ジェルヴェはすでにわかっているのか、口を固く結んで余計なことを言わないよう自制し、そのままエプロンを身につけて、無言で夕飯の準備を始める。
「別にいいけどな…。靴よりこんなのが良いのか?」
アージェンが意外な顔をしながらも承諾すると、リディは嬉しそうに笑い、キスをした。
ジェルヴェは既に二人を見ないようにしており、コンチェッタは本当にわからず不審げな顔をするが、アメデオはにやにやしながら若い2人を見た。
「リディも案外ストレートだよな…変に言い繕わないところが良いところではあるが…うんうん」
「ねえパパ!私だけ蚊帳の外は嫌なんだけどー!」
「まあまあ、そのうちな。お前はまだパパだけの可愛い姫でいてくれたらいいから、な」
コンチェッタは口を尖らせたが、すぐに父親に向かっていたずらっぽく笑った。
「残念でした!彼氏ができたって言ったでしょ?」
「…ん?ああ?!」
突然思い出し、アメデオは間抜けな声をだした。すぐに父娘は言い争いを始めたが、アージェンは全く気にする様子もない。食事の準備をしている脇に寄り、ジェルヴェに話しかける。
「この肉の切れ端をもらっても?」
ジェルヴェはアージェンがつまみ上げた肉を見て、ああ、と返事をした。
「ありがとう。ちょっとだけ部屋に行ってくる」
「あ、私も…」
アージェンのあとから小走りで階段をのぼるリディを、コンチェッタが見上げた。
「彼の部屋は、2階なの?これから食事なのに何かするのかしら?」
「…そりゃあ、何かするんじゃないか?」
「そんなわけないだろう!」
にやにやと笑うアメデオに、ジェルヴェはむきになって反論するが、きっと鷲に食事を持っていったのだと予想は付いている。夕べの狼の死骸には鷲の羽が付着しており、格闘に加わったのは明らかだった。
「…そういえば」
アージェンは帰宅後、「俺じゃない」と言った。女を襲ったのがアージェンではないことは明らかで、ジェルヴェもそれに返事をしたのだが、わざわざ念押しすることだろうか。そして、狼を殺したのがアージェンというのは、むしろ明確だ。
「何が起こっているか、よくわからないな…」
ジェルヴェは2階を見上げ、ため息をつく。アメデオはそんな友人に同情するように言った。
「まあな…しばらく降りて来ないかもな。なんだかんだ言ってする事してるんじゃねえか?」
コンチェッタも興味津々といった様子で、ジェルヴェは急にそわそわし始めたが、その時2人が降りてきた。
「…父さん?コンチェッタも…なんだか落ち着きないけど大丈夫?」
きょとんとしたリディの脇をすり抜け、アージェンは笑いを圧し殺しながら手早く皿やカトラリーを用意し始める。
アンリが、あきれたように欠伸をした。