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第9章(1)

 アメデオが戸を開けて窯を見ると、灰が舞った。

「完全に冷えたな」

 ジェルヴェの宿屋はその仕事の特性上、港に近い町中にあるが、アメデオの家はもう少し山寄りにある。街道から少し脇に入ると急に道は狭くなり、木々の間を縫うように敷かれた小砂利は、コンチェッタが好んで履く靴ではやや歩き辛そうだが、雨の日を考えると土よりはマシなのだろう。

 開けた敷地に、建物が複数見えた。

 煙突から出る煙が家々の邪魔にならないように建てたらしいが、街中の喧騒から逃れたい住人の意向が反映されたようでもあった。

「うちのじいさんが建てたんだ。あっちの別棟は母屋だ」

 アメデオがアージェンに説明した。

 工房は年季の入った工具が無造作に置いてある。アメデオがその中から火かき棒を選び窯に入れると、小石くらいの白い固まりが音をたてた。棒で掻き出された残骸をアメデオは二人に指し示す。

「これが何か、知っているのか」

 ジェルヴェはアージェンに質問した。

「狼ですね」

 アージェンの素っ気ない変事に、アメデオは意味ありげに笑う。

「そうだな。お前は狼ってわかってるんだったな。たとえ足が5本でも、だ」

 少し眉をひそめたアージェンに、ジェルヴェも苦笑する。

「ひっかけてる訳じゃない。俺たちも狼のような(・・・)ものだってくらいはわかるさ。俺達が聞きたいのは、なんで脚が5本あることに驚かないかってことだ」

 少しの間、沈黙が流れた。

「さっき俺達も新聞を見た。大統領と狼の写真は、おそらくバカンス中に撮られた、少し前のものだろう」

被写体は、カメラを見ていなかった。記者の隠し撮りが見逃されたのか、取るに足らないものと考えられたのか。いずれにしろ検閲には引っ掛かっていない。

「顔は歪んでいるが、新聞の不鮮明な写真からじゃ、知らないやつは大統領が自宅で飼ってる変わった犬くらいにしか思わないだろう。だが、俺たちは実物を見た」

アメデオは黙って腕組みをし、アージェンとジェルヴェを交互に見ている。 

「しかも、昨日の今日だ」

ジェルヴェが言葉を切ると、少しの間、沈黙が流れた。その言葉の意味はアージェンには勿論わかっているが、彼は落ち着いている。

「…中央州からこの東部まで、誰にも目撃されずに狼が自力で移動してくるのは無理なんじゃないですか?しかも短時間で」

 そうなのだ。

 州の間を人間が旅行や一時的な交易のために移動するのは、基本的に自由だ。しかし、異様な外貌の獣が単独で行動してきたとは考えにくい。

「だからだ」

 ジェルヴェは言う。

「何頭かいるんじゃないか?ああいう(・・・・)のが。そして、お前はそれをすでに見ていたんだろう?だから、すぐ燃やせと」

 沈黙が流れた。アメデオは窯から骨を取り出し、空いている木箱にそれを入れる。

 アージェンは、ゆっくりと室内を見回した。アメデオの祖父が開いた鍛冶屋は古く質素ながらも無駄のない、いかにも職人の工房といった造りだ。

「懐かしい」

 ふ、とアージェンの口元が緩む。それまでの剣呑のした話の流れではない呟きに、ジェルヴェも眉を上げ、アメデオも振り向いてそちらを見る。

 彼は、一つ一つの建具や調度品を眺めながら、また言った。

「懐かしい。俺の村にも鍛冶屋がありました」

「ああ…今朝話してたな」

ジェルヴェとアメデオは、アージェンの次の言葉を待った。

「俺が最初に変わった獣を見たのは、当時住んでいた西部の田舎の外れ。しかも10年以上前です」

「10年…?」

 そう、とアージェンは言う。

「ジェルヴェがこの町に来たのは、どのくらい前ですか?」

 ジェルヴェは記憶をたどる。まだ小さな港町だったこの町に、夜逃げのように一家でやって来た当時のことを。

「14、5のときだ。25年位前か…」

 国内の情勢が変わり、騒然としていた時代だ。海に囲まれたこの国は、大陸の地続きの国同士が戦争をしていても加担や侵略争いに巻き込まれず、緩やかな発展の元に、各州により自治が行われていた。それぞれの地域特有の気候や地形に合わせ、さらに小さな郡部や町、村といった単位ごとに暮らしているのだ。それが、ある時内紛が起こり、一気に国が変わった。


「俺は、北部の中心寄りに住んでいたんだ。中央州が出来て町が組み込まれるとき、親父が地元を出た」

 突然、北部の南と南部の北が合わさり、中央州となった。その経緯はまだ少年だったジェルヴェには全てわかるものではないが、食堂を営むジェルヴェの両親は慣れ親しんだ土地を離れ、この東部に来たのだ。

「それから5年くらいで、両親とも亡くなったがな」

 アメデオも頷く。

「アージェン、なぜ俺のことを聞く?俺はお前に質問していたんだ。俺がこの土地に来た時期と、狼と何の関係がある?」

「関係なければ、それでいいんです」

 ジェルヴェは、首を傾げる。

「ジェルヴェの両親は、中央州が分かれた25年前に土地を離れた。生活や治安は維持されていただろうし別にそのままそこにいても良かったはずだが、どうしてわざわざ遠い場所に?」

 アメデオも考えるが、答えを出す前にアージェンが続きを話した。

「中央州の初代知事は、今の大統領だ。俺の村に初めて奇形の野犬が出たのは10年ほど前、知事が大統領選で勝ち、初めて現職に着任した頃です」

 あ?とアメデオの眉間に皺がよる。

「そして大統領は、狼を連れている…関係はないとは言い切れない、かな?」

 アージェンは、小首をかしげながら言い、アメデオは何か考えるように、ちらと窯を見た。

「…アージェン」

 ジェルヴェは、厳しい表情をアージェンに向ける。

「お前は、大統領が何か関係していたとしたら、どうするつもりだ?」

 アージェンは、何故かそこで静かに笑った。

「どうしたら良いでしょうね」

「…?」

 アメデオは、意外だというふうな反応をする。

「大統領を失脚させたところで、どうなると思いますか?国が絡んでいたら、俺一人の力じゃあどうにもできない」

「…じゃあ、このままあの、変な狼が増えて国が何かするのを黙って見てるのか?」

「じゃあ、アメデオが何かすればいいのでは?クーデターとか」

 う、とアメデオが言葉をのむ。勿論そんなことが一介の市民にできるはずがない。それを見てアージェンは静かに言う。

「国が何をしているか、本当の思惑はわからない。ただ、訳もわからずに巻き込まれ、犠牲になるのは結局、力の弱い者だ」

 一度言葉を区切り天井を見上げるアージェンの横顔は、どこか切なそうだ。

「だけど俺は、リディが不幸になるのは避けたい。だから、リディだけは守りたい」

 アージェンは、静かに、はっきりと言った。

「そのために、何が起きているかを知りたい」




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