第7章(2)
「さて…」
ジェルヴェが口を開く。
「全部脱ぎましょうか?」
リディをちらと見てから極めて事務的に言うアージェンに、上だけでいい、と、ジェルヴェも短く制す。
「アメデオには、申し訳ないが俺が話した。その、皮膚にくっついてるやつは、本物だよな」
「聞かれなかったからどうなのかと思ってましたが、やっぱり最初からわかっていたんですね。最初に風呂を借りたあと、すぐに服を着なかったのは良くなかったかな」
笑みを浮かべたまま答えるアージェンに対し、ジェルヴェは眉間に皺を寄せている。
「無防備なのか、無頓着なのか」
「見せ物にする気はないですけどね。俺自身も、好きでこんなのをくっ付けて生まれたわけじゃないですから」
ためらいも無く上掛けが取られた肌は、筋肉質ながらも白く、男性にしてはなまめかしい。そして、均整のとれた肩から腕にかけて、爬虫類の鱗が規則的に並んでいる。ほう、とアメデオも感嘆したような声をあげた。
「脱ぐと、本当に良い体だな」
「どうも」
「女には困らないだろう?」
「皆同じことを言いますね。男にも困りませんよ?」
ははは、とアメデオは豪快に笑う。
「蛇は昔から男性象徴だからな。それを連想しちまうのは仕方ないんじゃねえか?」
勝手だなあ、と興味が無さそうにアージェンは言った。
「それより」
ジェルヴェは声を落とした。この部屋と食堂は廊下や水回りを挟んでいるとはいえ、同じ1階にコンチェッタがいるのだ。
「あれは、何だ?」
詰問するような語調に対し、答えは聞こえず場に静寂が流れる。一呼吸置いてから、アメデオが続きを口にする。
「俺とジェルヴェは、山で足が1本無くなった狼はたまに見るがな。足が多いのは、まずいない。顔も、お前が潰したわけじゃなくて最初から歪んでいたんだろう?」
今度は明確にアージェンへ話しかけているが、それでも彼は黙っている。その感情を読み取れない様子を見ながら、ジェルヴェは質問相手を変えた。
「…リディは、何か見なかったか?」
一瞬、リディは体を強ばらせた。何かとは、何か。狼のことか、それ以外か。
リディは思わずアージェンを見て、しまった、と思ったが、彼の表情は変わらず、その目は黒くリディを見つめていた。心の中で安堵し、父たちに対して返事の意味で首を振る。
ジェルヴェたちは続きを待っているようだが、いずれにしろ憶測では話せず、こちらも黙秘の形になる。
「ジェルヴェさーん、コーヒーいれておくよー?」
タイミング良くコンチェッタの声が聞こえ、リディはほっとした表情になる。ジェルヴェは短く返事をして、ドアの方を向いた。
「ジェルヴェ」
その背中に、アージェンは呼び掛ける。
「俺じゃない」
はっきりと、静かな声だ。その黒い目を見つめながらジェルヴェは頷く。
「わかっている」
::::::
ジェルヴェとアメデオは部屋を出ていったが、上半身に何も着ていないアージェンは、そのままでコンチェッタのいる食堂へ行く訳にいかない。
「サイズは、ちょうどいいわね」
リディもベッドに腰掛けて、用意されたジェルヴェの黒いシャツを自分の膝に広げる。アージェンに向き直って袖を通してやると、思った以上に大きさはぴたりと合っており、さらに濃色は鱗が透けずに都合が良かった。
「さすが。よくわかってるな」
アージェンが袖のボタンをしめる様子を見ながら、リディは数時間前の記憶を呼び起こしていた。
まずアンリが、アージェンに何を言われるまでもなく、その場から家の方へ駆けて行った。そのあとに残されたリディは、女性がしばらく目を覚ましそうにないことを確認し、再びアージェンの全身を見る。
何か違う。
そして、先ほどの目の色は何だったのか。
そうリディが黙考していると、狼を見たままアージェンが口を開いた。
「これは、何だと思う?」
え?とリディは言ったが、独り言のようにアージェンは言葉を継ぐ。
「俺は、人間だと思うか?」
それには答えられず、ただリディはアージェンを見ていた。そうこうするうち、アンリの先導によりジェルヴェとアメデオがやってきた。現場を見るや否や、アメデオは路地裏に放置された麻袋を失敬して獣の死骸を詰めジェルヴェに目配せすると、再びアンリと戻っていった。その後ジェルヴェは女性を運び、手際よくその場の痕跡を消すと、リディとアージェンには何も聞かず、自分と一緒に自宅へ戻るよう促し、二人も足早に付いて帰ったのだった。
「リディー、早く!」
コンチェッタが再び明るい性格そのままの声で呼び、アージェンも顔を上げた。
彼の表情はいつもと変わらず、リディをからかうような微笑を浮かべているが、リディは少し悲しげな顔だ。
「どうした?」
アージェンが優しく聞くと、下を向いて首を横に振る。リディはアージェンの過去を知らずにいたが、自分が思っている以上に、辛い過去を背負っていることを改めて感じたのだ。
泣きそうな顔をしたリディの顎に手を掛けて、アージェンはキスをした。リディもまだ少し濡れている彼の髪を撫でる。唇を重ねているうちに気持ちを落ち着けてきたリディは、ドアが開く音に驚き慌ててアージェンから離れた。
「…ちょっと?こっちはずっと待ってるんですけど?」
腕組みをして眉間に皺を寄せているコンチェッタは、本気で苛立っているようで、リディはおかしくなった。
「やっぱりそういう仲だったのね?私がいない間にちゃっかりこんなカッコいい彼氏作っちゃってさあー」
それは自分も彼氏がほしいというよりは、幼なじみが自分より彼氏を優先にしていることへの焼きもちだとわかったので、リディも嬉しくなりコンチェッタにハグをする。やれやれ、とアージェンも苦笑しながらベッドから立ち上がり、二人を残して先に食堂へ向かう。廊下にもコンチェッタの半泣きの声が聞こえてきた。
「でも…良かったあ…」
コンチェッタはリディの首に腕を回してきつく抱き締めた。先ほどとは違う様子にリディも戸惑っていると、耳元で、コンチェッタが鼻をすする音がする。
「リディが無事で…本当に良かった。父さんが血だらけの袋を持ってかえってきたとき、ひょっとしたらリディが死んじゃったのかと思って…」
その言葉は、リディを緊張させた。そうなのだ、5本足の狼に襲われたのはリディかもしれないのだ。狼がどこから来てどこへ女を連れていこうとしたのかわからないはずなのに、何故かリディの心に引っ掛かった。
自分のせいで母が死んだ。
彼は、確かにそう言っていた。あれは、蛇に惑わされた何かによるものという意味か。それとも、蛇のような体を持つ彼自身のせいなのか。
いずれにしろ彼を思う気持ちに変わりはないと、リディは自らに言い聞かせた。