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第6章(2)

「ちょっといいか?」

 その状態で1週間、我慢の限界がきたジェルヴェは意を決し、店を閉めたあとアージェンがいる客室のドアを叩いた。

「良いですよ。いよいよその気になりましたか」

 馬鹿を言え、と渋い顔をするジェルヴェを、アージェンはそのまま室内に招き入れる。

「リディに何をした?」

 ベッドに腰掛け、腕組みしながらジェルヴェはアージェンを厳しく見上げる。部屋はそれほど広くはないので、アージェンはドアの手前に立ったままだ。


「何も。あえて言うなら、キスだけです」

「…それなら、むしろ…」

 好きな男に初めてキスされたなら、嬉しくて舞い上がってしまったりはしないだろうか。少なくとも、ジェルヴェ自身が若い頃に付き合った女性は、想いを通わせたら何を言わなくとも周囲がわかるくらい、喜びが全身から溢れていた。しかしアージェンの言葉はそっけない。

「俺は、やっぱりリディを抱けない」

 養父としてはやや躊躇われるが、それでもジェルヴェは、アージェンに、娘の想い人に話す。

「だが、リディはお前を好きで…抱かれたいと思ってるんじゃないのか」

 アージェンは感情を顔には出さず、静かに、しかしはっきりと言った。

「リディと俺は、違うんですよ」

 少しの間、ジェルヴェはアージェンの本心を探るかのようにじっと見ていたが、やがて口を開いた。

「…例えば、俺がお前と、その。それなら出来るのか?。普段は男は相手にしないという話だが」

「できますよ。男は、金払えば何してもいいと勘違いする奴が多いんで、最近の仕事では受けないだけです。まさか、本当に男色なんですか?」

「いや、違う。例えだと言っただろう…。うん、成る程わかった…」


 躊躇われる質問にも即答し、特異な仕事を何とも思っていないアージェンの顔を見て、ジェルヴェは複雑な心境になった。彼は、仕事と思えばなんら拘りも感情もなく、男女問わずに抵抗無く受け入れるような人生を送ってきたということなのだ。そして、そこに情愛を介入させたら、体を合わせることもできなくなるとは、なんとも皮肉に思えた。

「リディとは…もし仕事としてなら?」

「ここに来たばかりの時なら、できたかもしれませんね。今は無理だ」

 禅問答のような答えだが、額に手をやり考えこむ仕草をするジェルヴェが真剣に娘のことを考えているのはよくわかるからこそ、アージェンは真摯に答えた。

「リディは、可愛いです。でも…」

 少し言葉を選んでいたようだが、その続きは言わず、いや、とアージェンはかぶりを振った。

「ただわかるのは、流されて関係を持っても、恐らく不幸になるということだけだ」

 顔を上げたジェルヴェが見たのは、アージェンの切なそうな顔だ。話の内容には疑問を持ちながらも、ジェルヴェは深く聞いていいものか迷い俯いたとき、ドアをノックする音がした。


「…父さん、ここ?」

 ドアの向こうから、リディの声と、アンリが喉を鳴らす音が聞こえる。

「散歩に行ってきていい?アンリが行きたいって…アージェンも一緒に」

 アージェンがドアを開けると、愛用の赤い上着を着たリディが立っていた。泣きそうな顔をした娘を見てジェルヴェはベッドから立ち上がろうとしたが、アージェンがそれを制した。

「行ってきます…」

 リディが挨拶をして、護身用に背嚢を担いだアージェンとともに階下へおりていく。アンリの鳴き声に呼応するように、窓の外で羽音らしきものが聞こえた。


 ::::::


「聞いていたのか?」

 アージェンの問いに、リディは頷く。

 からかわれていた時なら、それほどショックは感じなかったかもしれないが、少し心が通ったと思う矢先に失恋したようなものなのだ。


「俺は、お前と一緒にいると楽しい」

 マイペースで進むアンリの鎖を手に取り、アージェンはすでに慣れた夜道を歩いて行く。誰にも見られないからと捲られた袖口からは白い腕と鱗が見えた。

 二人は何も言わずとも、知らずに教会の前に来ていた。扉は無用心に開いており、アンリに外で待つよう身振りで伝えると、二人は音を立てないよう中に入った。

 ランタンを手に、ステンドグラスを見上げる。月明かりが、高い天井から礼拝堂全体にゆっくり落ちてきていた。

「リディ。お前は蛇をどう思う?」

 リディはステンドグラスを、そして壁に掛けられた宗教画を見る。蛇は、神の使いや邪悪な存在、また自然を象徴するものとして描かれているが、一貫性がない。

「…わからない。私が知っているのは、山にいる蛇だけ」

 そうだな、とアージェンもうなずいた。

「でも何故か、蛇を見ると人は心をざわつかせるようだ」

 リディは先日、アージェンに触れられどうにも落ち着かなくなった自分を思い出した。

「同じように、俺の周囲に集まるやつらは、俺を欲望の対象と見なす。それが、俺に対する気持ちなのか、俺の体にある蛇を介しての気持ちなのかがわからない。だから、商売としてなら割りきれる」

 アージェンは、ゆっくりと教会の中を進み、聖書台にランタンを置くと会衆席の最前列に座った。

「妄信的な、一時的な感情に惑わされているだけなら、俺は誰かと、ずっと一緒にはいられない」

 リディも隣に座り、アージェンを見る。その女性的な顔は、夜でも白く綺麗だ。

「それは…その鱗と関係があるの?」

 その腕に触れたリディの手に、アージェンはそっと自分の手を重ねた。

「俺もよくわからない。ただ、このせいで母親は死んだ。蛇を前にすると、人は醜い本性をさらけ出す」

 リディはアージェンを見つめた。

「俺に関わると、誰かが死ぬ」

 誰もいない夜の礼拝堂に、静寂が広がる。

 アージェンの伏し目がちな横顔がなんて美しいのだろうと、リディは思っていた。そして、アージェンが何故自分を好ましく思っているのかとも考えていた。


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