新世界の空の下で
駅のホームに人影はなく、凍えるような風が吹き荒ぶだけだった。鉛色の空から延々と降り続ける雪は鉄道レールを覆い隠し、真っ直ぐに伸びる線路の先は白い闇に包まれている。
季節は夏。天候は雪。けたたましく鳴く蝉の声が絶えて久しい。溶けるような暑い日差しが極寒に置き換わったのはとうの昔。
階段を降りて目に入ってきた光景に、楓は嘆息を吐いた。
(……いない、か)
長い旅を終え、かつて住んでいた街に戻ってきた。いつまでも忘れないと思っていた街の面影は雪が覆い尽くして、知らない場所だと錯覚させる。
駅舎の入り口に足跡が残っていたので誰かが迎えてくれはしないかと淡い期待を追っていたが、彼女を迎えたのは染み入るような静寂だけだった。念のために人が立ち入れそうな箇所を探索するが、何も見つからない。ついでに駅員室に食べ物でも残ってないかと物色してみたが、案の定、他の誰かが漁りつくした後だった。
楓はひとり、二度と電車が走ることのない線路を眺める。すると、ホームの反対側に廃れたベンチがあるのを見つけた。風に運ばれた雪がうっすらと積もり、白い化粧が施されている。さっと雪を払うと、青いペンキが剥げて腐りかけた木の肌が現れた。壊れませんように、と祈りながらそっと腰を下ろす。
ふう、と息を吐いた。
ボロボロの防寒着では寒さを防ぎきることはできず、芯まで凍えそうなほど体が冷えている。手を擦り合わせて熱を生もうとするも、糸がほつれた毛糸の手袋では穴が空かないかと心配になる。
静かに雪は降る。
どれだけの時間雪を眺めているのかわからない。数分程度かも知れないし、数時間の間座っていたのかも知れない。変化に乏しい景色では時間の感覚は麻痺する。
しんしんと降る雪と風に流れる白い息だけが動いていた。
(いるわけない、よね)
楓は人を待っていた。
しかし会う約束をしたのは七年も前のこと。その一年後にこの場所で会おうという約束は果たすことができず、今に至るまで相手と再会できないでいた。すでに破られた約束を憶えているわけがないと現実的に考える自分と、わずかでも可能性を信じたい自分がいる。
いずれにせよ、楓はただ座して黙することしかできなかった。
「あれ、楓ちゃん? 久しぶりー」
だから、手を振ってやってくる彼女の姿を見た途端、理解が追い付かなかった。
「……真弓?」
最後に目にしたのは小学生だった頃だが、今でも記憶に鮮明に残っている長く美しい髪。面影がある、あどけない顔立ち。オリーブ色のぶかぶかなジャケットを着込み、年季の入ったブーツは雪に濡れていた。
成長の分だけ変化はあるが、一目で彼女が約束を交わした幼馴染、真弓だとわかった。
「何年ぶりだっけ? 楓ちゃんが転校して以来だよね」
朗らかな笑顔で、まるで連休明けに再開したクラスメイトに接するかのような気安さで真弓は言った。
「久し……ぶり」
さっきまでは再会できたら感極まって泣くのではないかと思っていたが、彼女が長らく会っていないことを感じさせない、あまりにも昔通りだったもので、もしかしたら昨日も会っていたのでないか? と勘違いしそうになる。
真弓はどかっとベンチに座った。ベンチが大きく軋んで楓を不安にさせたが、破損することはなかった。
今だ心に混乱がある楓をよそに、彼女はごそごそとジャケットの内側を探ると、薄い木の皮のようなものを取り出す。それをちぎり、片方を楓に差し出した。
「食べる?」
「……ん」
受け取りってかじる。繊維が多く、なかなか噛み切れない。真弓はそれをおいしそうに食べ、あっという間に平らげた。
「こんなイモでも今やごちそうだねぇ。火があればあぶって食べられるけど、マッチはもってきてないんだよね。おいしい?」
「……うん。おいしい」
「そりゃよかった。……あ」
真弓はふふっと笑った。
「なに?」
「昔も同じようなことがあったなーって。二人でなけなしのお小遣いを出し合ってひとつのアイスを買って、分け合ったよね」
「小学二年の時だっけ。どっちが大きいかで揉めたんだよな」
「そうそう。あれ絶対楓ちゃんの方が大きかったよ。今でも覚えてる」
「そうだっけ。でも、結局両方とも落としちゃったんだよな」
「あはは、そうそう。で、喧嘩になって」
二人の笑い声が重なった。
二人だけが共有する思い出。彼女が真弓本人だというゆるぎない証左だった。
「あの駄菓子屋、まだあるの?」
真弓は首を横に振った。
「もうないよ。あの『災害』で、人も建物もなくなった」
「……そうか」
さほど落胆することなく、楓は納得した。そうだろうとは、質問した時点で予測していた。
今から六年前、世界は終わりを迎えた。
地球上のあらゆる場所で、あらゆる自然災害が頻発した。地は割れ、海は侵略し、山は火を噴き、川は氾濫し、太陽は隠れ、あるいは沈むことがない。ありとあらゆる凶事が立て続けに起こったことで、地球の環境は激変した。たった六年の間に地球の生命は半分以下にまで減少したといわれている。
ある者は地球が死んだと嘆き、ある者は恐怖の大王の到来を描き、ある者は神の怒りに触れたのだと祈った。
「世界の滅亡なんて、空から隕石が降ってきてあっという間にみんな死んじゃうもんだと思ってたけど、なかなかそうはいかなかったな」
運よく生き延びた人間たちは、様変わりした世界で新たな生活を始めなければならない。以前のインフラはほぼ機能していないが、それを復旧させようとする者がいる。人口の減少もいつか歯止めがかかってゆるやかになると見込む学者もいる。
今までの世界は終わったが、新世界において人類はしぶとくも光明を見出そうと必死にもがいていた。
「正直言うと、あの『災害』があと一年早く起っていれば楓ちゃんが転校することはなかったんだろうなーって思わなくもなかったよ」
真弓の言葉に楓は苦笑した。
「小学六年の夏休みに突然の引っ越しだったからな。私もみんなと一緒に卒業したかったよ」
突如としてもたらされた楓一家の引っ越し話。聞いた当初はひとりだけでも残ってやると息巻いて頑として聞き入れない姿勢を取っていたが、何度も何度も頭を下げる両親の姿を見ているうちに頭が冷え、世の中にはどうしようもないことがあるのだということを悟った。
「一緒に学校を卒業することはできなかったけど、いつか楓ちゃんが帰ってきてくれるんじゃないかって思ってたよ」
「……約束を忘れたわけじゃなかったんだけどな」
楓が街を去る日、駅に見送りに来た真弓は言った。
――ちょうど一年後のこの日、ここで会わない? その時、楓ちゃんに言いたいことがあるの。
だが、その日を目前にして『災害』が起こったことで約束は果たされなかった。
「交通手段もなしにひとりで行くことに家族は反対だった。どんな危険があるか分かったもんじゃないからね。まあ、私を行かせたくないって気持ちはよく分かってたつもり。でも、もう心配する家族はいない」
「……」
自由の身となった楓は、昔住んでいた街に戻ることにした。ひとりで道を進み、時に道なき道を進んで、幾度となく昼と夜を繰り返した。
駅舎を探索した際に見かけたデジタル時計によれば、今日が約束の日だった。正しい日付なのか確かめようもないが運命を感じずにはいられなかった。
(本当に会えるとは思ってもみなかったけど……)
楓が無事で真弓も無事で、同じ時間に同じ場所にいられる奇跡。楓はこの世界で初めて神に感謝した。
「ねえ、約束の日って今日でよかったんだっけ?」
「そうだよ。カレンダーに記録し続けてたから間違いないんだよ」
「……もしかして毎年来てた?」
「……えへへっ」
真弓は明言を避けた。
「それは……ごめん」
「いいんだよ。わたしが好きで待ってたんだし。それに、こうして来てくれたからねっ」
「そう言ってくれると助かるよ。それで私に言いたいことって何なの? あの時に言えばよかったものを、わざわざ時間を置くなんて変なことして」
「ああ、えーと、うーんと……」
再会の約束を持ちかけたのは真弓だったが、彼女はしどろもどろと挙動不審になり、なかなか切り出そうとしない。
「まさか忘れたってことはないよな?」
「そ、そんなことはないよ! それよりさ、もっとおしゃべりしようよ。せっかく奇跡的にもう一度会えたんだからさ」
「……まあいいけど」
誤魔化すような物言いに首をかしげるが、楓としては彼女に会えただけでも約束を果たしたようなものなので、本人が望むのなら付き合ってやろうと思った。
「楓ちゃんは向こうで恋人とか作らなかったの?」
「なんだ藪から棒に」
「大事なことだよ。小学生の時モテモテだったからね」
「そうだっけ? そんなに仲良い男子なんていなかったと思うけど」
「バスケクラブの後輩、みんなかっこいいって言ってたよ」
「女の子じゃん」
「ロッカーとか下駄箱とか、よくラブレター入ってたし」
「初耳なんだけど。一度も見たことないぞそんなの」
「全部処分しといたからね!」
「勝手なことすんな! プライバシー!」
「ほら、わたしってマネージャーだったし。細やかな管理は仕事のうちってね」
「クラブのだろう。私個人にマネージャーなんか必要ないよ。……あー、惜しいことしたな。年齢イコール彼氏いない歴の人生が変わってたかもしれないのか」
「彼氏欲しいの?」
「そりゃあね。……いやどうだろう。どいつもこいつも色気付いてたから、ちょっと羨ましいって思ったことはあったけど、誰彼かまわず付き合ったいとは思わないな」
「当時の女子ネットワークによると、同じクラスだった藤田くんが楓ちゃんのこと好きだったって噂があったね」
「それも初耳だ。なんだそのネットワーク」
「どこにでもあってどこにもない、影から影へと渡り歩く情報網。こと恋愛に関してはあらゆる情報が網羅されていたのさ」
「どうして私はその中にいなかったんだ……」
「楓ちゃん、噂する方じゃなくてされる方だから」
「そうかい……。で、その杉田が私のこと好きだったって?」
「藤田くん。よく女子にちょっかい出して泣かせてた人だよ」
「……あー、なんか覚えがあるような。いつも先生に怒られてた奴だっけ。真弓も泣かされてたよね」
「その度に楓ちゃんが助けてくれたね。かっこよかったよ」
「そうだっけ……」
「そうやって楓ちゃんが割って入ることを目当てに藤田くんは悪ふざけしてたんだろうっていうのがネットワークの見解だった。楓ちゃんがいなくなってから、あからさまにおとなしくなってたからね」
「怖いな女子ネットワーク。まあ、あんなやつは願い下げだな」
今にして思えば、彼を含めた男子への印象はとても薄い。彼以外の誰から告白されたとしても快諾することがなかっただろう。
真弓との昔話に感化され、頭の中が当時のものに巻き戻っていく。ふと、あの頃よく見た顔があったこと思い出した。
「そういう真弓は寺田とはどうなったんだ?」
「寺田くん? 別にどうもないけど」
なぜ彼の名前が出てきた? と言わんばかりに真弓はきょとんとした。
「隣同士で仲良かっただろう?」
「良かったと言えば良かったけど、ただのお隣さんだっただけだし。寺田くん、他に好きな人がいたんじゃないかなっ」
なぜか含みを持たせて真弓は笑った。
「どういう意味だ?」
「そりゃあ、ねえ。あれだけ一緒にいたんだもんねえ」
にたにたとした笑いで、楽しそうに言う。
「……あいつ今どうしてるんだ? そもそも生きてるのか?」
「二年くらい前に南の方へ行くって言ったきりだね。わたしも誘われたけど断っちゃった。生きてるかどうかはわたしも分からないよ」
「私にはしつこいくらいで絡んできたくせに肝心なところで……。あいつらしいけどさ」
「よく三人一緒だったよね。だから寺田くんは楓ちゃんのことが好きだったんだろうね」
今度は楓が目を丸くする番だった。
「……いや、本当に気づいてなかったの?」
「何が?」
楓は少しだけ逡巡したが、思い切って口を開いた。
「私が言っていいのか知らないけど、寺田は真弓のこと好きだったん。私があんたの近くにいて疎ましかったから突っかかってきたんだよ」
「……そうだったの?」
本当に気づいてなかったようで、真弓は口に手を当てて呆然とした。
少しだけ、かつての級友に同情した。
「ああ、だからかな。誘われた時に好きな人を待ってるって言ったらなんとも難しそうな顔をして行っちゃったんだよね」
「……それは」
その顔はきっと泣くのをこらえていたんだろうな、とその時の情景が目に浮かぶようだった。
それよりも別の部分が気になる。
「好きな人がいるの?」
「え? えと……その……」
これまでの様子から一転、真弓は目を伏せて頬と耳が赤くなり、もじもじと指を組む。その仕草は、まさしく恋する乙女そのもの。
見たことのない親友の姿に、楓は漠然とした胸騒ぎに襲われた。
「そうか。……そいつはいなくなったの?」
「うん。ずっと前にね」
「帰ってくるの?」
「ずっと信じてたよ」
一途に想い人を待つ真弓は幼い少女ではなく、一人の女性となっている。
遥か遠くにいるのであろう人物に思いを馳せ、喜色満面の彼女を見ていると、楓の心がチクリと痛んだ。
そんな楓の心の内など気付くことなく、真弓は訊ねる。
「ところで、こっちに戻ってきたってことはこれからこっちで暮らすってことだよね?」
急に話を振られ、慌てて内面を取り繕って言葉を返す。
「そのつもりだったけど……どうだろう。考えてみればもう家もないだろうし、身を寄せられるところがないな」
「一緒に暮らせば大丈夫だよ」
真弓は胸を張り、誇るように言った。
「一緒に?」
「そう。このあたりで残ってる人は五十人くらいしかいないから、ひとりくらい増えても問題ないんだよ」
「だったらなおさらよそ者には厳しいんじゃないの? 食料も限られてるだろうし」
人が増えればひとりあたりのリソースは減る。出て行く人間があれば、その分のリソースは残った人間が分け合う。目の前のことで精一杯な地方残留組は、新しく人が入ってきて自分の取り分が減ることを恐れる。
向こうで『災害』に遭い短くない期間を過ごしたが、その時に人間の本性というものを思い知らされた。表面上は優しい顔をしていても心の内ではどう思っているか分かったものではない。
新人は疎まれ、人がいなくなることを歓迎する。
家族を失った事で人間の暗い部分を垣間見てしまった。
「それに関しては心配いらないよ。実はわたし、ここの集落の中で小さな班のリーダーをやってるの。お年寄りばかりだから若いわたしは雑用係をやらされてるんだけどね。でも班内での最終的な意思決定権はわたしにある。何が何でも楓ちゃんのことを認めさせるよ」
自信に満ちた顔で言い切る。言葉だけでなく、行動で示すつもりだとその顔は物語っていた。
「真弓が……班長?」
「苦労したよー。みんな保守的になっちゃって、よそから来る人は拒んでたんだ。なんとかわたしが意見を言える立場を勝ち取って、少しでも対抗できるようにしたんだよ」
楓は驚いた。昔の彼女は意見を戦わせることが苦手で、相手の言葉に従うことが多かったと記憶していた。だからこそ自分が守ってあげなくてはと密かに思うこともあった。
それが今の彼女には頼もしさが表れている。楓の手助けは必要ないくらい、成長していた。
それは楓の知らない彼女だった。
「……」
「……楓ちゃん?」
「ああ、悪い。ぼーっとしてた」
くすり、と彼女は笑う。
「寒いからねぇ。手、出して」
言われるまま手を向けると、真弓は両手で包み込んだ。
「繋いでいればあったかくなるよ」
「……」
手袋越しに真弓を感じる。
小学生の頃より大きくなった彼女の手。
にこりと微笑む彼女の顔を直視できず、思わず目線を下げた。
「……手、大きくなったね」
「そうかな? あの頃は楓ちゃん、バスケやってたから一番大きかったね」
「手だけじゃない。身長も抜かされてる」
「そう? 後で調べてみよっか。わたしはずっと背の順で一番前だったからね。背がおっきかった楓ちゃんが羨ましかったよ」
昔を語る真弓の顔を直視することができなかった。
思い出を知る彼女は間違いなく真弓のはずだ。
だからこそ改めて顔つきを確認した時、それが自分の知らない女性だったとしたら。
変化を受け入れる勇気が楓にはなかった。
「楓ちゃん……?」
真弓は急に黙りこくった楓を不安げに覗き込む。
「もう何もかもが昔のままじゃないんだね……」
移ろう時間は変化を促し、決して後には戻れない。七年という長い空白の間に人は変わり世界は変わってしまった。
ようやく彼女に対して抱いた漠然とした不安の正体が分かった。
「『災害』で日本は変わった。世界は変わった。知ってる人も知らない人もみんな死んだ。家族も死んで、向こうに馴染めなかった私は抜け出してこっちに来た。十年以上生活した、生まれ育った町なら、私が憶えてる昔と変わらないものが迎えてくれると思った。でも……そんなものはなかった……」
夏だというのに雪が止まない街。倒壊したまま放置された家屋。人の管理がなくなり建造物を飲み込み始めた植物。有り体に言えば、ここは廃墟だった。
「そんなことは……」
「真弓も変わったよね。ずっと私にぴったりだったものがここでは班長をやってるって? 立派になったじゃん」
真弓は楓のそばを離れ、時代に順応して行った。
自分だけが思い出にしがみつき、変化していく現実から逃げていた。
懐かしい駄菓子屋も親しかった友人もここにはもうない。
――仕方ないことなんだよ。
引っ越しが決まったことを告げる父の姿が浮かぶ。世の中にはどうしようもないことがある。あの時はそう納得していた。
故郷はいつでも昔のまま残っている。同じ世界の同じ空の下でつながっている。そう信じていたからこそ、離れていた六年間を耐えることができた。
故郷と思い出に切り離された楓は、宙に浮いたままどこにも居場所を見出すことができなかった。
「私にはもう……居る場所がないんだ」
「そんなことないよ」
真弓は楓の背に手を回しぎゅっと抱きしめた。
「わたしはずっと前から楓ちゃんのことが好きだった。その気持ちは七年前から、それよりも前から全然変わってない。何も変わってないんだよ、わたしは」
その声はとても優しく、不安に押しつぶされそうだった楓の心に沁みていく。
「ずっと待ってた好きな人っていうのは楓ちゃんのこと。班長になったのだって、いつか戻ってきた時に一緒に暮らせるようにするため。どんなことがあってもずっと楓ちゃんのことだけを考えてたんだよ」
楓の胸に顔を埋めてさらに力を込めて抱きついた。
「真弓……」
「居場所がないっていうなら昔みたいにわたしのそばにいてよ。この街が嫌なら一緒に出て行こうよ。どこか新しい場所で、わたしたちの世界を作ろう」
「……」
真弓の声。真弓の匂い。すがりつく真弓の体。それらが愛おしく思えた。
楓はそっと腕を回して抱き返した。
「ずっとずっとそれが言いたかったんだよ。離れ離れになって一年経っても気持ちが変わってなければ思いを伝えようって、そう思って約束したの。それが、七年経っても全然変わらなかった」
「……そっか。そうだったんだな」
ここに来るまでの不安は全て杞憂だった。
自分の居場所はここにあった。
世界が変わろうとも変わらないものある。
「ははは。もっと早くに戻ってくれば良かった」
二人が同じ思いだったと知り、こそばゆく感じる。しかしそれは心地よくもあった。ここにいてもいいという安心感が楓を包む。
「意外と臆病な所変わってないよね、楓ちゃん」
昔と変わらない笑みを見て、ようやく帰ってきたと実感が沸いてきた。
「ただいま、真弓」
「おかえり、楓ちゃん」
新世界の空の下で、これまでのブランクを埋めるように、飽きるまで一緒に笑って疲れるまで一緒に泣いた。
「……楓ちゃん?」
「……」
真弓の肩に頭を乗せ、楓は目を瞑っている。
「疲れて眠っちゃったかな? しばらくこうしてようか。起きたら今後のことを話し合おうか。ここを離れたらどこに行こうかな? ずっと雪しか見てなかったからあったかいところがいいな。一緒に海で泳いだり魚捕まえたり。なんでもできるよ。これからやつはずっと一緒だからね」
真弓は空を見上げた。珍しく雪が止み、灰色の雲に切れ目がある。
そこにははるか昔から変わらない、青い空が覗いていた。
(了)




