少女は公爵の話に耳を傾ける
いつも飄々としていて隙を見せないフォースターが、動揺を瞳に滲ませている。
それはエルが問いかけた質問に対して、思うことがあると言っているようなものだろう。
「お願い。知っていることがあったら、教えて。知らないというのは、とても、恐ろしい……」
大人から見たら、エルはまだ子どもだ。もしかしたら、聞くにはまだ早い話なのかもしれない。
それでもエルは、知りたかった。
シンと、静まりかえる。やはり、エルに話せないのか。そっとフォースターを見たら、彼も今にも泣きそうな表情でエルを見つめていた。
「おじいさん、わたしは、あなたの家族なの?」
そのエルの言葉が、引き金となったのだろう。フォースターの瞳から、一筋の涙が零れる。
小さく、消え入りそうな声で「そうなんだよ」と答えた。
「君は、驚くほど、娘の面影を残していた。けれど、本当の孫娘かどうかは、半信半疑だったんだよ」
「どうして?」
「天使が私の罪を裁くために、娘の姿を借りてやってきたのだと思っていた」
「罪って?」
言葉はなく、フォースターは静かに涙を流す。エルは立ち上がり、フォースターの隣に座るとハンカチを差し出した。
「君は、本当に天使だね。早く、私の心臓をひと突きして、地獄へ突き落としてくれないだろうか」
「何を、言っているの?」
「私は、それだけの罪を犯したのだ」
静かに、ぽつりぽつりと話し始める。
「若い頃の私は、権力こそすべてだと思っていたんだよ」
出世のためならば他人を蹴落とし、罠に嵌め、欲望に溺れさせることも平気で行っていた。そうして得た地位から、人々を見下ろすことに喜びを覚える最低最悪な人間だったという。
「もっとも罪深い行為は、国王に娘を差し出したことだろう。娘はすでに婚約者がいて、結婚間近だった。かつての婚約は、家同士の繋がりを強くするための政略結婚だったが、娘と婚約者の男は、深く愛し合っていたのだ」
キャロルに聞いた話の通りである。フォースターは本当に、幸せな恋人達の仲を引き裂いていたようだ。
「婚約者の名は、フーゴ・ド・ノイリンドール。君の、お父さん、だね?」
「そう」
「彼には、本当に、酷いことをした」
フーゴを犯罪者のように扱い、王妃に横恋慕した哀れな男という噂も流させたという。
「そんな彼を、私は、利用したのだ」
「双子の片割れとして生まれたわたしを、連れ去るように、と?」
「君は――その話を、聞いていたのか? だからずっと、私に冷たくしていたのか?」
「ううん、知らなかった。冷たくしていたのは、なんとなく。おじいさん、なんだか胡散臭かったし」
「それは……喜んでいいのか、悪いのか。わからないな」
「そうだね」
娘を国王に差し出し、絶対的な地位を得たあと、フォースターは娘から絶縁宣言を受ける。そのときになって、我に返ったという。
「私はなんて、罪深いことをしてしまったのかと。でも、もう遅い。娘と国王は、国を守護する大精霊の前で永遠の愛を誓ってしまった」
もしも、娘が助けを求めたら、手を貸そう。フォースターはそう思っていた。
しかし、王妃となったフォースターの娘は、二度と、父親に助けを求めなかったのだ。
「娘は、双子の娘を産んだ。大精霊の予言にあった『救国の聖女』は一人だった。双子ではない。あとから生まれたほうを殺そうと決まったときにも、娘は虚ろな瞳で頷くばかりだった」
「そう」
もうどうにでもなれ、という心境だったのかもしれない。
会ったこともない母親に対して、酷いと思う心境は欠片もなかった。
「娘はどうであれ、私は、助けたかった。それが、大精霊の予言や因習に反するとしても」
フォースターはフーゴを呼び寄せ、ありもしない罪を被せた。王都から追放させる振りをして、双子の片割れを託したのだ。
「ただ、乳離れをしていない赤子を、子育ての子の字も知らない男に託すのは、殺したも同然だと思っていた」
不吉な双子の子どもを生き長らえさせたのに、戦争も災害も起こらないのは、どこかで死んだからなのだろう。
フォースターは長い間、そう思っていた。
「私の罪は、これだけでは、ない」
フォースターは掠れた声で呟く。フーゴ・ド・ノイリンドールを、助けることができなかった、と。
「助ける?」
「彼は、王妃誘拐の罪で、処刑されてしまったのだよ」
サーッと、血の気が引いていくのを感じていく。
フーゴは、病死でも事故死でもなく、処刑されて命を散らしたのだ。
王妃が黒斑病で亡くなったことは知っていたが、それにフーゴが関わっていたのは初耳だった。
「フーゴ・ド・ノイリンドールは、親友が、黒斑病の治療法を知っている、と言って、連れて行こうとしていたんだ」
フーゴの言う親友とは、モーリッツのことだろう。エルの手が、ガタガタと震える。
「私も、頭に血が上っていたんだ。だから、本気で助けようとしなかった。その親友が、本当に黒斑病の治療方法を知っているとは、思わずにね」
処刑される日に、フォースターはフーゴと面会した。そのときに、フーゴはモーリッツとエルについて話す。
「南の辺境にある森に、十二年前に託された子と、モーリッツがいる、と」
その瞬間、フォースターは思い出す。
モーリッツならば、黒斑病の治療法を知っているだろうと。
気付いたときには遅かった。いくらフォースターが奔走しても、処刑を中止させることはできなかったのだ。
「フーゴ・ド・ノイリンドールの遺言通り、十二年前に託した娘と、モーリッツを探しに出かけた。けれど、見つけられなかった」
初めてフォースターと会ったときに、彼は親友を探しに行っていたと話していた。
エルとモーリッツを探しに行った帰りだったのだろう。
「どれだけ探しても、見つけられなかったものだから、死んだと思っていた」
おそらく、モーリッツが張った結界があったのだろう。おまけに、深い森の中に住んでいたのだ。見つけるのは困難だっただろう。
「けれど君は、生きて、私の前に現れた。エル、君が、十二年前に逃がした双子の片割れだと、思うだろうか?」
「普通は、思わない」
「だろう? まだ、私を裁きにきた天使というほうが、信じられる」
エルを前に、フォースターは涙をポロポロ流す。
「本当に、奇跡だ。こんなに嬉しいことはない。君を今すぐ抱きしめたいのに、私の手のひらは、罪で汚れている。触れるわけにはいかない……」
目の前で涙するフォースターは気の毒である。しかし、同情する気にはなれない。
ただ、フォースターがエルの家族であるということには、変わりなかった。
エルは優しく、フォースターの丸めた背中を撫でてやる。
「君は、天使だ」
フォースターの罪を裁くことはできない。天使ではないから。
けれど、できることはある。
「今度、何か酷いことをしたら、家族であるわたしが責任を持って、心臓をひと突きするから」
エルの辛辣な言葉に、フォースターは微笑みを浮かべる。
「ぜひ、そうしてくれ」




