少女は危機を迎える?
イングリットに魔法鞄を貸したので、私物はすべて部屋に置いていたのだ。使用人が誤って持ってきてしまったのだろう。
「このルビーの赤い瞳に、雪鼬の毛皮……! 間違いない、私が娘に贈ったぬいぐるみだ! なぜ、ここにあるんだ!?」
フォースターは知らないのだろう。ぬいぐるみは新しく核となる魔石が追加され、娘から孫娘へと所有者が変わっていたことを。
「まさか、娘の遺品部屋から、持ってきたのか!?」
フォースターは恐ろしい形相で、使用人を問いただしていた。
「そ、それは……!」
持ってきた張本人であろう使用人は、顔面を蒼白にし、ガタガタと震えている。
エルはどうすればいいのか、わからなくなる。
ここで、フォースターの孫であると、言ってもいいのか?
心の中にある何かが、それは今ではない、と訴えているような気がした。
「早く、答えろ!!」
『うるさいですわ!!』
フォースターの言葉にぴしゃりと言い返したのは、凜とした女性の声。
ネージュがもぞりと動き、『ふわ~』と欠伸をしていた。
『せっかくいい気持ちで眠っていたのに、起きてしまったではありませんか』
ネージュはむくりと起き上がり、腕をぶんぶん振り回したあと、長椅子から飛び降りた。
『声の大きいあなた、どなたですの?』
「私は、フォースター公爵家の当主だが」
『ふーん』
「君は?」
『わたくしは、ネージュ! この通り、騎士ですわ』
腰に下げていた剣を引き抜き、ぶんぶん振り回す。
『あなた、あんまり、大きな声を出して、威圧しないほうがよろしくってよ。まったく、紳士的ではありませんわ』
「そ、そうだな。気を付けよう」
フォースターの返しに満足したのか、ネージュはうんうんと満足げに頷く。
続いてネージュは、エルのほうを見た。
澄んだ赤い瞳と、視線が交わる。
やっと目覚めた。嬉しい。
本当ならば、駆け寄って抱きしめたい。けれど、エルは体が石像になったように、動かなくなってしまう。
「あ、あの……」
『あなたは?』
「え?」
『なんてお名前ですの?』
「名前って、わたしの、名前?」
『ええ、そう』
一瞬、復唱した質問の意味がわからなくなった。ヨヨが傍に来て、代わりに答えてくれた。
『この子の名前は、エルだよ』
『まあ、エル、とおっしゃいますのね。可愛らしい名前ですわ』
ネージュはまるで、初めてエルの名前を聞いたような反応を示す。
ここで、エルは気付いた。ネージュから、エルに関する記憶がなくなっているのだと。
『エル、よろしくおねがいいたします』
「うん……よろしく」
エルは差し出されたネージュの手を、両手でぎゅっと握りしめた。
その瞬間、ネージュはハッとなる。
『わたくし、あなたと一緒にいなくては、いけないような気がするの。よろしくて?』
「うん、一緒に、いよう」
手と手を取り合う様子を見たフォースターが、何か閃いたようにポンと手を打つ。
「そうか。このぬいぐるみは、エルを守るために、目覚めたのだな」
「かも、しれないね」
「そのために、このぬいぐるみは、ここに在ったのか」
「そうだね」
ネージュが目覚めたおかげで、エルの部屋に彼女がいた件がうやむやとなった。
こうしてネージュが自立して動き回れる以上、どこにいてもおかしな話ではない。きっと、エルがもともと持っていたとは、誰も思わないだろう。
『フォースター』
「なんだね?」
『ここのお屋敷を、案内してくださらない? 騎士たるもの、守るべき主人が生活する建物の構造は把握しておかなくてはなりませんもの』
「そうだな」
フォースターはエルを振り返る。
「ココアは、今度でもいいよ」
「そうだな。少し、場の空気を悪くしてしまった。また後日、一緒にココアを飲んでくれると、嬉しい」
ネージュの先導で、フォースターの案内が始まる。
残った使用人に、エルは声をかけた。
「フォースターが怒って、ごめんなさい」
「いえ。頼まれてもいないウサギの騎士様を、もってきた私が、悪いのです」
使用人はエルが喜ぶと思い、長椅子にネージュを座らせていたようだ。
「まさか、ああして喋ったり、歩いたりするものだとは思いもせず」
「そうだね」
使用人は下がり、エルにはマシュマロが浮かんだココアが運ばれてくる。
それには、プロクスが大いに興味を示していた。
『ぎゃうぎゃう~~!?(何、これ! すっごい、甘い匂い!)』
「食べてみる?」
『ぎゃう~~(たべる~~)』
溶けかけたマシュマロをフォークに刺し、プロクスの口元へと運んで行った。
プロクスは頬を押さえ、手足をばたつかせている。おいしかったのだろう。
エルは、溶けたマシュマロとココアを口に含む。
「甘い……」
あまりの甘さに、涙がにじんだ。そういうことに、しておく。
マシュマロココアをプロクスと一緒に飲み干したあと、ヨヨに質問した。
「ねえ、ヨヨ。ネージュはどうして、記憶がなくなってしまったのだろう?」
『フーゴが亡くなった事実が、辛かったから、すべての記憶をなくしてしまったのかもね』
「そっか……」
新しく魔石を入れ直したネージュが、別のネージュとなる可能性は聞いていた。
けれど、ネージュはネージュだった。
それに、記憶はなくなっても、エルを守ってくれると言ってくれたのだ。
「嬉しかった。でも、これまで一緒にいた記憶がなくなるのは、寂しい……」
プロクスが、エルの背中をポンポンと叩いて、励ましてくれる。ヨヨも『特別にもふもふしてもいいよ』と言ってくれた。
フランベルジュだけは、どう励ましたらいいのかわからず、エルの回りを右往左往していた。
「みんな、ありがとう」
記憶はなくなっても、ネージュはネージュだ。
今は、目覚めたことを喜ぼう。エルは、そう思った。




