少女とダークエルフは下町の工房にたどり着く
下町の狭い道に、フォースター公爵家の大きな馬車は通らない。
そのため、途中に停めてイングリットの家まで歩く。
「さあ、手を」
フォースターは微笑みながら、手を差し出す。
手なんて借りなくてもいいと思っていたが、すぐ近くで「あっちにいるぞ!!」という怒号が聞こえた。
エルの中に、緊張が走る。
「大丈夫だ。追っているのは、君ではない。さあ、私の手を取って」
フォースターについては、正直に言えばまだ信用していない。
いつ、手のひらを返すか、わからない相手である。
けれど――。
「私みたいな老いぼれでも、君と、君の大事な人くらいは、守れるよ」
この言葉は、どうしてか不思議と信じてみようという気になった。
エルはフォースターの手に、指先を重ねる。
互いに手袋を嵌めているため、体温が伝わることはない。
けれど、どうしてか温もりに似た何かを感じてしまった。
一歩、馬車の外に足を踏み出した瞬間、ぴゅうと強い風が吹く。
風に乗って、黒斑病の悪魔について書かれた新聞が飛んできた。
エルが唇を噛みしめるのと同時に、フォースターが思いっきり新聞をぐしゃりと踏みつける。
それだけでは終わらず、蹴ってどこかへと飛ばしていた。
呆気にとられていたエルであったが、しだいにおかしくなって笑ってしまう。
「おじいさん、何を、しているの?」
「腹立たしい記事が見えたものでね。思わず、蹴ってしまった」
「足が折れるかもしれないから、止めて」
「蹴りを入れたくらいで、足なんか折れるわけがないだろう」
「わからないから」
フォースターの飄々とした物言いもおかしくって、笑いが止まらない。
さんざん笑ったあと、ふとエルは思う。
一方的に、傷つけられるなんて損だ。相手が雑に扱うのならば、同じように返したらいい。
新聞紙を力任せに蹴った、フォースターのように。
自分の心を守れるのは、自分しかいない。大事にしなくてはと、エルは考える。
背後を振り返ると、イングリットが澄ました顔で歩いていた。
周囲に多くの騎士が行き交っているが、気にする様子は微塵もない。
エルもイングリットを見習って、堂々と歩かなければと奮い立たせる。
十分ほどで、イングリットの工房にたどり着いた。
想像通り、人だかりができている。二十人くらいの騎士の周囲を、何事かと集まった下町の者達が囲んでいた。
まだ、イングリットの張った結界は展開されていて、誰も入っていないようだった。
エルはイングリットを振り返り、微笑みかける。
イングリットは安堵を含んだため息をついていた。
騎士達は扉に体当たりしたり、鉄の棒で窓を叩いたりしていたが、ビクともしない。
イングリットは、かなりの強度の結界を張っていたようだ。
「さて、と」
フォースターは引き連れていた従僕に目配せする。何か、はじめるようだ。
「皆の者、静まれッ! フォースター公爵がおなりだ!」
その一言で、喧噪がピタリと止む。皆、エルとフォースターのほうへ注目する。
「ここの、責任者はいるかね?」
「はっ!」
四十代くらいの粗野な雰囲気の騎士が、駆けてくる。
精鋭という雰囲気ではない。
きっと、まだ上層部が動いていないのだろう。エルから見ても、末端の者だろうと予想できた。
「あの、閣下は、何をしに、ここへ?」
騎士の質問に対し、フォースターは手に持っていた杖を壁に強く打ち付ける。
人の体重を支えても壊れないように作られている丈夫な杖は、ふたつに割れてしまった。それほど、力が入っていたのだろう。
騎士は「ヒッ!」と短い悲鳴を上げる。
瞬く間に、顔色が真っ青になった。
「私の娘が、黒斑病で死んだことを、知らないとは言わせない!」
「そ、そう、でしたね。亡くなった、王妃様は――」
「黒斑病で、死んだ!!」
フォースターの演技力はかなりのものだった。この場にいる騎士の誰もが、萎縮している。
「ここは、黒斑病を広めた悪魔が滞在していたと耳にして、もしかしたら、娘の死について、何かわかることがあるかもしれない。そう思って、やってきたのだ」
「さ、さようでございましたか」
フォースターが一歩踏み出すと、人垣が割れていく。イングリットの自宅兼工房の扉が見えた。
「あ、あの、公爵閣下。その、どうやら家には、結界が、かけられているようで――」
「フォースター公爵家専属の魔法使いを連れてきている。心配ない」
フォースター公爵家専属の魔法使いとは、イングリットのことである。
設定については、馬車の中できちんと話し合っていた。
イングリットが「専属魔法使いだったら、メイド服を着なくてもよかったのでは?」と疑問を口にしたが、エルとフォースターは窓の外を眺めて聞いていない振りをしていた。
一歩、一歩と玄関へ近づく。
エルの胸は、ドキン、ドキンと高鳴っていた。
「あ、あの、公爵閣下」
「なんだね?」
「そちらのお嬢様は?」
騎士が指し示す「お嬢様」とは、エルのことである。
ここにきて、まさか聞かれるとは。エルはフォースターの手を、ぎゅっと握る。
エルも従者だという設定を考えていたが、ここまで手を繋いできてしまった。
とても、使用人には見えないだろう。
「その、お孫さんでは、ないですよね?」
「まあ、そうだな」
「では、いったい――?」
「私はね、可愛い少女が好きなのだ」
「え?」
「可愛い少女が、好きだと言っている。二度も、言わせるな」
フォースターは騎士に圧力を与え、これ以上喋らせないようにする。
少女が好き――その主張に、もの申せる者など、ひとりもいなかったのだ。
ようやく、玄関までたどり着いた。
フォースターの機転のおかげだ。
少女を愛する趣味があると思われてしまったが、事情が事情なので仕方がない。
エルはフォースターの犠牲を、決して忘れない。
イングリットが玄関扉の前にしゃがみ込み、結界を解こうとした瞬間――背後より話しかけられる。
「その結界、なかなか頑固でしょう?」
胸元に吊された、竜のエンブレムが揺れる。
にっこりと微笑む黒髪美女の服装は、魔法騎士隊のものだった。




