少女とダークエルフは新しい工房を得る
執事の案内で、暗い地下の階段を進んでいく。
灯りはなく、頼りは手に持った魔石灯のみだ。
ヨヨを初めとする不思議生物は、部屋に置いてきた。エルとイングリットのみ、工房を目指す。
「年季は入っているようだが、かび臭くないな」
イングリットの呟きは、壁に反響して大きく響く。
先頭を歩いていた老齢の執事は足を止め、振り返って言った。
「地下は長年使っていないようですが、毎日お手入れはしておりますゆえ」
「お……そ、そうか」
独り言に反応があったので、イングリットは少しだけ気まずそうな表情を浮かべていた。エルはくすりと笑ってしまう。
「おい、エル。笑っている場合じゃないからな。足を滑らせるなよ」
「わかっている――わっ!」
後ろを振り向きながら喋っていたからか、エルは階段を踏み外しそうになった。
体が傾くのと同時に、イングリットがエルの腰を支えたので転ばなかったが。
イングリットはエルを叱らず、黙って手を繋いだ。
「これだったら、大丈夫だろうが」
「うん」
エルはイングリットと手を繋ぎ、長い階段を下りていく。
階段を下りた先は、延々と廊下が続く。カツン、カツンという足音だけが響いた。
突き当たりに、見上げるほど大きな扉が現れる。
「こちらでございます」
鉄の扉には魔法陣が浮き彫りされていた。鍵は、魔法陣の中心に十字架を填め込むようだ。執事が十字を合わせると、ゴゴゴゴと音を立てて扉が開く。
手で指し示すので、イングリットとエルは部屋の中へ足を踏み入れた。
「わっ……!」
中に入った瞬間、灯りが灯った。内部の全貌が、明らかになる。
「なんだ、ここは」
「すごい」
まず、目に飛び込んできたのは、壁一面を覆う本だ。天井まで、本が敷き詰められていた。
「あの天井の本、どうやって入っているんだよ」
「その前に、どうやって取るんだろう?」
エルとイングリットの疑問に、執事が答える。
「手が届かない場所にある本は、題名を口にすると、手元に降りてきます」
「嘘だろう?」
「じゃあ、精霊大全集」
天井の本棚に収められた一冊の題名を、エルは口にした。すると、すっと本が引き抜かれ、手元にゆっくりと降りてきた。
「本当だ!」
「信じられない」
戻すときは、天井に向かって投げるようだ。イングリットは信じていないようだったが、エルは執事の言葉通りに本を天井に向かって放り出した。
すると、一瞬宙で止まったかと思えば、ゆっくりと本棚に収まっていく。
「どういう仕組みなんだよ」
「本当に、すごい」
この本棚は三世紀前に、魔法使いの間で流行ったものらしい。どういう技術で作られたかは謎で、世界的にも珍しい本棚だと執事は解説してくれる。
ここは本棚に革の長椅子、テーブルがあるばかりで、工房には見えない。
エルが首を傾げていたら、この奥にも部屋があると、執事は言う。
本棚に差されていた地味な装丁の本を押し込むと、扉のように開いた。
「隠し扉だ!」
オモチャを発見した子どものように、イングリットは叫ぶ。
足を踏み入れると、灯りがパッと灯った。
「ここが、工房?」
「みたいだな」
続き部屋になっており、そこには一面ガラス張りの棚があった。
作業用の細長いテーブルに、三つの火口がある窯、大量生産用の大きな鍋など、魔技巧品や魔石作りに必要な環境が揃っていた。
棚の中を覗き込むと、宝石の裸石がズラリと並んでいた。
「きれい……」
図鑑で見たことしかない、稀少で高価な物ばかりであった。さすが、歴史ある公爵家の工房だと、エルはしみじみ思う。
「ここにある品は、どれも使っていいとご当主様がおっしゃっていました」
「これもか?」
イングリットが指差した棚に入っていたのは、金や銀の塊である。
「ええ。なんでも、とおっしゃっていたので」
「ずいぶんと、大盤振る舞いをしてくれるんだな」
「それは――」
執事は何かを言いかけたが、ぐっと口を閉ざす。
「何? 何か理由があるの?」
「言いかけて止めると、公爵が怪しい人物だと思ってしまう」
「いえ、ご当主様は、悪いお方ではありません」
「話して。聞かなかった振りをするから」
エルがそう言ったら、執事はポツリポツリと話し始める。
「ここはかつて、お嬢様のお気に入りの場所でした」
「お嬢様って、この国の、王妃様……だった人?」
「ええ。魔法に大変興味があったようで、こっそり忍び込んでは、魔法書を読む毎日だったそうです」
しかし、魔法への傾倒をよく思わなかったフォースターは、この部屋への出入りを禁じた。
以降、親子は不仲となり、ほとんど口を利かないまま、嫁いでしまったのだ。
「ご当主様は、その件を悔いているようで、お嬢様に許せなかった代わりに、あなた様に使うよう、許可したのでしょう」
「そう、だったんだ」
執事は頭を下げ、一歩下がる。棚の影になった場所に立ち、気配を消して闇に溶け込んだ。
これ以上何も聞くなと言いたいのだろう。
「イングリット、ありがたく、使わせてもらおう」
「ああ、そうだな」
こうして、エルとイングリットは、新しい工房を得た。




