少女と猫は悪魔に翻弄され──
黒斑病の感染が村単位となったら、大変なことになる。
エルは頭を抱えていた。
『どうしようもないよ』
「うん」
治療は拒まれてしまった。あとは、仮にエルが抗生物質を作ったとしても、無駄になるだろう。
「ねえ、ヨヨ、私は、この先、何をしたらいい?」
『うーん』
このまま森の中で暮らすことは難しい。このまま居続けたら、エルにまで黒斑病の脅威が襲ってくるだろう。
最善の道は──ここを出て行くこと。ただし、行く当てはない。
そんなエルの頼りとなる人物が、一人だけいた。
「ヨヨ、お父さんは、生きていると思う?」
『うーん。モーリッツは死んでいるだろうって断言したけれど、フーゴのお墓を見るまでは納得できないよね』
「うん。私もそう思う」
何かが原因で、王都から森に戻れなくなったかもしれないのだ。
『もしもフーゴが生きていたら、エルはどう思う?』
「嬉しい」
『でも、エルを見捨てて王都暮らししているんだよ?』
「それでも、嬉しい」
『そっか』
しばし、沈黙の時間となる。
エルは、いろいろ考えた。今日一日あったこと、フーゴやモーリッツとの約束を破ったら大変なことになること。
森を出てはいけないと、言われていた。
けれど、エルは腹を括る。
「ヨヨ、私、決めた」
『何を?』
「お父さんを、捜しに王都に行く」
ヨヨの目が点となる。同時に、茶色に斑点のある毛並みがぶわりと膨らんだ。
『エ、エル、ここの森から出るって本気かい?』
「本気。黒斑病も怖いし。ヨヨが止めても、私は行くよ。ヨヨも見たでしょう? 近くの村は頼れない」
もうすぐ、食材は二ヵ月分くらいしかない。エル独りでは、森の中で暮らしていくことは不可能なのだ。
「ヨヨはどうする?」
『どうするって……』
「わたしは、一人でも行くよ」
ヨヨは悩むと思いきや、即答してきた。
『心配だから、一緒に行くに決まっているじゃん!』
「ヨヨ……本当に?」
『本当。だって、一人ぼっちは寂しいでしょう?』
「ありがとう、ヨヨ! だいすき!」
ふわふわのヨヨの体をエルは抱きしめる。本当は、一人で行くのは怖かったのだ。
しかし、決意が揺らぎそうで、言えなかった。
できるならば、モーリッツとヨヨ、そしてフーゴと一緒に暮らしたかった。けれど、いなくなってしまった。
「きっと、お父さんは生きている。王都で暮らしているはずだから」
『そうだね』
すぐに出発せずに、しっかり準備を行うことにする。
重要なのは、旅費となる魔石だ。
エルは毎日魔鉱石を採りに行って、せっせと魔石を作る。
魔法鞄の中は魔石でいっぱいになったが、それでもまだまだ入る。
『さすが、モーリッツの魔法鞄だね』
「うん」
魔法鞄のおかげで、エルは魔石の在庫を管理できる。心から、感謝しなくてはならないだろう。
用意するのは魔石だけではない。食料もだ。
森の中に罠を仕掛け、ウサギや野鳥を獲って保存食を作る。
干し肉にオイル漬け、ペーストなど。瓶に詰めて、長期間保存できるようにしている。
他、持ち運びやすいビスケットを作った。家の中には、小麦粉が焼ける香ばしい匂いが充満している。
森で摘んだ木苺はジャムに。キノコは乾燥させて、スープの材料にする。
薬草や香草も集め、種類ごとに瓶詰めした。
家にある食材を使い、半月は食べるのに困らない量を用意する。
魔石が売れない時の対策も考える。モーリッツに習った薬草石鹸を、ヨヨと共に大量生産した。これは父フーゴが王都に持って行き、売りさばいていたのだ。いい収入源になると喜んでいたが、具体的にいくらで売られていたのかはわからない。ただ、毎回完売するほど人気だったとだけ聞いている。
最後に、フーゴからもらったうさぎのぬいぐるみを詰め込む。王都の近くにある港町で買ったと言っていた。二年前、エルが十歳になった時に贈ってもらったのだ。
これも、何かの手掛かりになるだろう。
「よし、こんなものかな」
旅装束も縫った。モーリッツが着ていた魔法使いの外套を解いて、縫い直した外套である。
下着や靴下も、余分に入れておいた。
その後、エルはひたすら魔石を作り続けた。
『エル、もう、魔石はそれくらいでいいんじゃない?』
「うん、そうだね」
『もう、夜も遅い。休もう』
「わかった」
エルはヨヨと一緒に布団の中に潜り込み、ポツリと呟く。
「出発は、三日後くらいにしようかな」
『うん。できるだけ、早いほうがいいかも。なんか、嫌な予感がする』
「え? 今、なんて言った?」
『ううん、なんでもない』
いろいろ考えていたので、上の空になっていた。
まだまだ、ここですべき仕事がある。
モーリッツとフーゴの家をきれいに掃除して、不要物は燃やしておかなければならない。
『エル、出発の前の日にさ、家にある残り物の食材を使って、パーティーを開こうよ』
「いいね」
『楽しみにしていてよ。僕も料理の腕を揮うから』
そんなことを話しているうちに、まどろんでいく。
魔法鞄を枕代わりに、ヨヨで暖を取りながらエルは眠りについた。
──パチパチ、パチパチパチ
暖炉の火が燃える音がする。父フーゴが火を熾したのか。
フーゴは魔石に頼らず、森で薪を伐り、暖炉に火を点していた。
なんでも、薪が燃えてパチパチと鳴る音が好きなのだとか。
エルも、薪が燃える音は好きだった。
──パチパチ、パチパチパチ
薪が燃える音がする。フーゴが帰ってきてくれたのだろうか。
エルは目を覚まし、瞼を開く。
『エル、起きて!!』
「ん、何っ──げほ、げほげほ!!」
煙を吸い込んでしまい、咳き込んだ。ヨヨに早く目覚めるように言われ、上体を起こす。
『エル、火事だ!』
「え?」
『村人が、モーリッツの家に火を付けたんだよ!!』
一瞬にして、意識がはっきりと覚醒する。
周囲は火の中に包まれ、思い出が詰まっているテーブルや椅子、棚を燃やしていく。
エルが眠っていた屋根裏部屋には引火していなかったが、それも時間の問題だろう。
「ど、どうして、こんな──」
耳を澄ませてみたら、外から怒号が聞こえた。
「呪われし魔物喰いよ、ここから出て行け!!」
「魔物喰いのせいで、村は疫病に侵されている!!」
「お前のせいで、お前のせいで父さんは死んだ!!」
ヨヨは静かな声で話しだす。
『さっき、屋根の出窓から村人の様子を見たんだ。そうしたら、村人の顔に黒い斑点があって──』
「黒斑病が、感染した?」
『そう、みたい』
「……」
原因をエルと決めつけ、燃やしたら感染を防ぐことができると思っているのだろう。
「なんて、愚かなことを……」
『エル、早く逃げよう』
「う、うん」
幸いにも、旅支度はすべて枕元に置いてあった。火の手が迫る中、急いで着替えて、魔法鞄を肩にかける。
屋根裏部屋の天井にある出窓を開き、屋根に這い出る。
火は森にも広がっていて、当たり一面が火の海となっていた。
「な、なんて、ことを……」
『この火は、モーリッツの家だけじゃなく、村までも焼き尽くすだろうね』
「……」
『因果応報ってやつさ』
「早く、逃げよう」
魔法鞄から氷の魔石を取り出し、火から守るように発動させる。
氷を身にまとったエルは、ヨヨを抱き上げた状態で巻きあがる火の海の中へ飛び込んだ。
魔法で、受け身を取る。
怪我はないが、違和感を覚える。じりじり、じりじりと、痛みを感じていた。
それは火に炙られているから感じるのではなく、心が痛んでいるのだ。
モーリッツの家は燃えてしまった。火は森に広がり、フーゴの家すら呑み込んでしまうだろう。もう、帰る家はない。
王都に行くしかないのだ。
エルはヨヨと共に、森を駆け抜けた。
◇◇◇
一ヶ月後──王都より派遣された一人の若い騎士が村へとやってくる。
大火災があったので見に行くようにと王の腹心から命じられ、はるばる見にきたのだ。
「こ、これは……!?」
辺り一面が焼け焦げ、真っ黒い平原と化していた。
ここにはかつて小さな村があって、広大な森が広がっていたという。
信じられない思いを抱きながら村があった場所を歩いていたら、つま先に何かがカツンと音を立てて当たったことに気づく。何か、硬い物が落ちていたようだ。
しゃがみ込んで拾い上げると、それはナイフであることがわかった。持ち手は木だったようで、燃えてなくなっている。
この火事の悲惨さが分かる品だった。
「ん、なんだ?」
よくよく確認したら、ナイフに文字が刻んであった。
──疫病は、森の魔物喰いが持ってきた。幼い少女であるが、呪われし存在。早く、殺さないと我々が滅びてしまう
読み上げた瞬間、騎士はゾッとした。
この村では疫病が流行っていて、その原因は魔物喰いの少女であると。
もしや、村人が少女を殺そうとした仕返しに、村に火を放ったのか。
真実を知る者はいない。
ここにある命は、すべてなくなってしまったのだから。