少女は初めてズボンを穿く
老婆の武器屋から出ようとしたが、エルはあることを思い出した。
「待って、イングリット。ズボンを買わなきゃ」
「あ、そうだったな」
イングリットは踵を返し、再び老婆に話しかける。
「婆さん、エルが穿けるズボンは置いているか?」
「成人女性用のものならばあるけれど、お嬢ちゃんが穿けるような物は扱ってないねえ」
「だってよ?」
「裾を詰めるから、大丈夫」
フーゴが買ってくる服は、寸法がデタラメでたまに大人用もあった。そういうときは、裾や袖を詰めて着ていた。そのため、寸法の調整は慣れている。
「何枚必要だい?」
「三枚、あればいいかな」
店の奥から、持ってきてくれる。
肌さわりがいい、綿のズボンを購入することに決めた。
「これはおまけだよ」
老婆がエルに手渡してくれたのは、泥人形の絵が描かれている長方形の札。
「おー、エル、よかったな」
「これ、何?」
「召喚札だ」
召喚師と呼ばれる職業の者が作った札で、破って投げると絵に描かれた幻獣や魔人を召喚できるのだ。
ただ、召喚した存在の力は、本体の十分の一とされる。
それでも、契約の危険もなく召喚できるという点は大きい。
「召喚の危険って?」
「契約が不完全で、召喚した魔物に食われたり、対価として魔力を根こそぎ奪われたり、いろいろあるみたいだ」
「そうなんだ」
召喚師というのは、魔物や幻獣など、ありとあらゆる生物と契約し、戦闘時に召喚して戦う者を呼ぶ。
そんな召喚師の小遣い稼ぎが、召喚札を作ることなのだ。
「召喚札は、召喚師にしか作れないものなんだ。稀少な召喚札は、高値で取り引きされているそうだ」
「へえ、どうやって作るんだろう」
「ざっくりした製法しか知らないが、契約した魔物や幻獣を、直接特殊な魔法インクに浸けるんだとよ」
「生きている状態で?」
「ああ。生きている状態で、だ」
エルは竜が巨大な鍋に入れられている様子を想像し、ゾッとしてしまった。
「泥人形の札は、わりと見かけるな。従順だから、作りやすいんだろうな」
「ヨヨを魔法インクに浸けたら、ヨヨの札ができるのかな?」
「できるな。ヨヨの召喚札を作りたいのか?」
「ううん、いらない。たくさんヨヨがいたら、口うるさくて困るから」
イングリットはぷっと噴き出す。
「おばあさん、これ、本当にもらっていいの?」
「ああ、いいよ。たくさん買ってもらったし、貴重な素材も売ってもらったから」
「ありがとう」
エルは深々と老婆に頭を下げた。
召喚札はすぐに取り出せるように、外套のポケットに入れておいた。
「よし、じゃあ、エルのズボンの寸法直しをしたら、出るか」
「うん」
「どれくらいかかりそうだ?」
「一時間もあったら、終わる」
「そうか」
「だったら、うちでやってお行きよ。針も糸も、貸してあげるから」
「いいの?」
「ああ、いいよ。そのほうが、すぐに出発できるだろう?」
エルは老婆のお言葉に甘えることにした。
まず、ズボンを穿いて、長い部分はハサミで切る。そして、裾を縫い付けた。
腰回りは紐で縛るだけなので、調整は必要ない。
エルは迷いのない手つきで、どんどん布を裁ち、せっせと縫っていった。
仕上げに、祝福の刺繍を刺す。星の形に、守護の呪文を描いたものだ。モーリッツが教えてくれたものである。
途中、老婆が菓子と茶を持ってきてくれた。ジャムが載ったクッキーと、蜂蜜入りの紅茶である。
「エル、このクッキーうまいぞ」
「うん、あとで食べるから」
「紅茶も冷めるぞ」
「ん……わかった」
一息入れたあと、作業を再開させる。集中し、一時間以内にズボンを完成させた。
とりあえず、二枚だけ。三枚目は、必要だと感じたら縫えばいい。
「できた!」
「おう。早かったな」
「お嬢ちゃん、奥の部屋で、着替えてくるといいよ」
「お婆さん、ありがとう」
エルはドキドキしながら、ズボンを穿く。
実は、ズボンを穿くのは初めてだった。フーゴが買ってくるのは、ワンピースやスカートばかりで、不思議とズボンを穿く機会がなかったのだ。
イングリットのズボン姿は、かっこ良かった。エルも、あのように穿きこなせたらいいなと考えつつ、穿き口に足先を滑り込ませる。
初めてのズボンは、不思議な穿き心地だった。
いつも、スースーしていた足下が、しっかり守られているような気がした。
「エル、大丈夫か? 穿けているか?」
「うん、大丈夫」
金鷺の外套を着る前に、イングリットにズボン姿がおかしくないか確認してもらう。
「イングリット、どう?」
「いいじゃん。似合っているよ」
「よかった」
ホッとしながら、金鷺の外套を着込む。
ここでようやく老婆と別れ、店を出た。
イングリットは背伸びをして、エルを振り返る。
「よっし。じゃあ、出かけるとしますか」
「うん、行こう」
物語の世界に出てくるような、冒険は初めてである。エルの心はドキドキと高鳴っていた。
「出発、と、その前に、市場で肉を買わなきゃいけないな」
「お肉? どうして?」
食料なら、先ほど確保した。生肉を持って行く理由がわからず、エルは首を傾げる。
「肉でワイバーンを釣る」
「ワイバーンを、釣る?」
「ああ、そうだ。釣ったワイバーンに乗って、サンセ鍾乳洞まで行くんだよ」




