少女は身分証制度について話を聞く
「身分証、作れるの?」
「作れる。一枚だけではあるがな」
「でも、いいの? 故郷の仲間とか、王都にやってこない?」
「森から出てくるもの好きなダークエルフなんて、私くらいだろう。その辺は気にするな」
「うん、ありがとう」
朝食を食べ、活力を得たイングリットは背筋をピンと伸ばして話をする。
「では、詳しい話をするぞ。エルの愉快な仲間である、猫君とうさぐるみも聞いておくように」
『了解』
『わかりましたわ』
エルとヨヨ、ネージュは一列に並んで座り、イングリットの話を聞く姿勢を取った。
「まず、身分証の名前は自己申告だ。よって、魔法使いにも優しいものとなっている」
魔法使いにとっての名前は、命と同じくらい大事なものである。魔法を使う際の鍵と表現すればいいのか。
もしも、自らよりも強い魔法使いに名前を把握されたら、魔力を支配される可能性があるのだ。
「魔法使いの名前についての原理は、知っていると言ったか?」
「うん。もっとも危険なことは、自分から魔法使いに姓名を名乗ること」
「そうだ」
「次に危険なのは、人伝いに名前を聞くこと。でもこの場合は、支配される確率はぐっと下がる」
「まあこれは、天と地ほどの実力が離れていないと、支配は無理だろうな。本人が自らを名乗るからこそ、支配が可能となる」
名前だけ、姓だけ知った場合は、支配は難しい。しかし、魔法使いの多くは警戒して、名前すら名乗らない場合が多い。
「偽名でも特に問題ない。ただ、貴族名鑑に載っている貴族や、国民名に載っている中流者階級の者達は、照会するようだ。家名によって、入れる施設、入れない施設があるからな」
「待って。労働者階級の名前は、記録されていないの?」
「ない」
「そ、そんな……!」
エルは図書館で、父親の聞き慣れない家名について調べようと思っていたのだ。もしも、労働者階級であった場合、情報は得られない。
ショックのあまり、頭を抱え込む。ヨヨとネージュは励ますように、そっと身を寄せていた。
「私は、どうすれば……」
「いや、エル。あんたの父親は、たぶん、中流者階級以上の、いいところのぼんぼんじゃないのか?」
「どうして、そう思うの?」
「昨日、父親は何もできなかったとか、話していただろう? 労働者階級の男は一通り自分のことはできるし、ある程度の家事もできる。何もできないということは、使用人のいる家で育ったという証だ」
「そっか。そう、かもしれない」
いつも髪をボサボサにし、ひげも生え放題だった。単に、だらしがないのかと思っていたが、手入れの仕方が分からなかっただけなのかもしれない。エルは今になって、フーゴの行動を振り返る。
「それで、エル。あんたは、どうするんだ?」
「本名は、名乗らないほうがいいと思う」
「だな。労働者階級で生真面目に申請しても、受けられる恩恵は少ないし」
「問題は、偽名をどうするか、だけれど」
「だったら、私の家名を名乗ればいい」
「フェルメータの森?」
「ああ、そうだ。普通に名乗るときは、エル・フェルメータになるな。フェルメータを名乗っていたら、魔技工士協会の建物に出入りできる特典がある」
「そうなんだ」
「とは言っても、これくらいか」
「イングリットがいいのならば、王都ではフェルメータを名乗りたい」
「だったら決まりだな」
紹介で身分証を作るときは、重要な決まりがあるらしい。
「それは、紹介した者、された者、片方が犯罪を行ったら、共に罪を問われるということだ」
「なるほど。だから、紹介制度が許されているんだね」
「そうだ。身分証で紐付けされた者達が犯罪を行った場合は、普通の犯罪よりも罪が重たくなるんだ。それが、犯罪行為への抑止へとなっている」
家名によって受けられる特典や、犯罪を起こしたときの決まりなど、なかなか上手い具合に法律が作られていた。
ごくごく普通に暮らすだけならば、持っていて損はない。
「まあでも、労働者階級への差別が昔よりも強くなったとかで、反対する奴も多いな」
「たしかに、酷いね」
「反対運動も定期的に行われている。これを、国王がどう対処するかが、今後を左右することになりそうだな」
「そうだね」
労働者階級の者達が一致団結して街中で暴れたら、制圧することは難しいだろう。子どものエルでも、その危うさは理解できる。
「昨日も言ったが、王都の治安はよくない。父親が見つかったら、すぐにここを発ったほうがいいな」
「うん……」
「新居が決まったら、教えてくれ。魔石を買い付けに行くから」
「イングリット、わたしのところまで、来てくれるの?」
「もちろんだ」
エルの心がほっこり温かくなる。イングリットとの縁は、王都を離れても続きそうだ。そのことが、なんだか嬉しかった。
話が一段落ついたところで、イングリットとエルはギルドへ出かける。
そこで、身分証を作るのだ。下町から歩いて三十分ほどの場所にあった。
ギルドは王都の中央街にある、ひときわ目立つ煉瓦の建物だ。三階建てで、多くの人々が出入りしていた。
「この建物が、ギルドだったんだ」
「王都の象徴の一つでもある。王城、時計塔の次に目立つな」
ギルドは仕事を仲介・斡旋し、一日にもっとも多くの人が出入りする施設だ。
中に入ると、大剣を背負った冒険者や、斧を背負ったドワーフ、猫耳の獣人まで、さまざまな種族の者達が仕事を求めてやってきていた。
エルがやってきても、目立つことはない。小さな少女がやってくることも、ギルドでは珍しいことではない。
さすがに、ダークエルフのイングリットは目立つようで、外套の頭巾を深く被っていた。
イングリットは身分証の申込書をさらさらと記入し、五分と経たずに完成させた。そのまま受付に提出すると、それほど待たずに身分証が支給される。
エルには、薄い木札でできた身分証が差し出された。
魔法のインクで、名前と身分が書かれている。
エル・フェルメータ――労働者階級。それだけ書かれた、シンプルな情報である。
「イングリット、ありがとう」
「いえいえ」




