少女と猫と兎は走る!
人々をすり抜け、エルは走る。
『ちょっと、ご主人様! あの悪党、わたくしが一刀両断してやりますわ』
「ダメ!」
『エル、お喋りしている場合じゃないよ!』
人混みの中なので、小回りが利くエルが少しだけ有利だ。しかし、のんびり喋りながら走る余裕はまったくない。
なんとか魔石夜市を通りすぎたが、今度は夜の公園に出てくる。
木々や草花が植えられていて、エルが育った森の中に少しだけ雰囲気が似ていた。
中心には噴水広場があるようだが、そこは恋人達が愛を囁く場となっている。近寄らないほうがいいだろう。
距離は稼いだが、傭兵らしき男はエルを追いかけていた。諦めがかなり悪いようだ。
もうそろそろ、体力も限界である。どこかに姿を隠そうと思っていたら、何かに躓き転んでしまった。
「うっ!」
『きゃあ!』
『うわ、エルとネージュ、大丈夫? 派手に転んだけれど』
エルは素早く立ち上がろうとしたところ、手が差し出された。
「悪い」
低く、掠れたような若い女性が声をかけてきた。
顔を上げると、エルの目の前にサラリと美しい金色の髪が流れてくる。
「私が脚を伸ばしていたから、躓いてしまったんだ」
「ああ、そう、だったの」
エルは呆然と、手を差し出してくれた女性を見上げる。
褐色の肌に、切れ長の目、高い鼻に、ぽってりと盛り上がった色っぽい唇。驚くほどの美女だったが、人とは異なる点を発見し、ぎょっとする。
耳がつんと尖っていたのだ。
彼女は世にも珍しい、『ダークエルフ』だった。
ダークエルフといえば、魔王の手先、悪の一味、邪悪なる存在とも言われている。
物語の中では、悪い存在として描かれることがほとんどだ。
むしろ、善き存在として書かれている書物や物語は皆無。
そのため、ダークエルフに出会ったら、回れ右をして逃げろとまで云われていた。
「あ、あなたは──」
「ん?」
目の前の、謝罪の気持ちから手を差し出したダークエルフよりも、邪悪な存在がやってくる。
エルを罵った、傭兵らしき男だ。
「やっと、追いついた! お前、赦さないからな!」
そんな威勢のいい言葉に反応したのは、エルでなくダークエルフの美女だった。
「は? お前、何言ってるんだ?」
「な、何って、この娘が、クズ魔石を売っていたから、成敗してやろうと思ったんだよ!」
「クズ魔石って、どんな?」
「どんなって……」
彼自身、エルの魔石を確認したわけではない。だから、どういうクズ魔石か言葉に詰まっている。
「あのな、クズ魔石売りっていうのは、組織的に行われていて、魔法騎兵隊でも捕まえることができないんだ。そんなクズ魔石売りが、表立った場所に出てくるわけがないだろうが」
「そ、それは……」
ダークエルフの美女は、エルに問いかける。
「あんた、クズ魔石を売っているのか?」
エルは首を左右に振る。
「魔石を見せてくれないか?」
ダークエルフの美女に言われた通り、エルは魔法鞄の中から火の魔石を取り出した。
「あの、これ、です」
「ほう、これは──」
魔石を受け取ったダークエルフの美女は、すぐさま魔石の表面に刻まれた呪文をさすり、魔石の力を発動させる。
地面に置いた魔石は淡く光り、発光した。そして、ボッ! と音をたて、火が巻きあがる。
「本物だな。クズ魔石なんてとんでもない。見ての通り、上質の魔石だ。あんたは、罪もない少女を刃物で脅して追いかけ回していたんだ。魔法騎兵隊に通報したら、拘束され──」
「うるさい! 俺は魔石売りに頼まれたんだ。罪を問うならば、そっちに言ってくれ!」
クソが、と負け犬の遠吠えのように叫びながら、傭兵らしき男は走っていなくなる。
ポツンと残されたエルに、再度手が差し伸べられた。
「あんた、大丈夫?」
「ええ、平気」
今度は、ダークエルフの美女の手を取って立ち上がった。
「怪我はないか?」
「うん」
「そうか、よかった」
ダークエルフの美女は手を貸してくれただけではなく、エルの服に付いた埃や土を手で払ってくれた。
薄暗いのではっきりとわからないが、魔技巧士が着ているような丈の長い黒い外套を纏っている。年頃は、二十代半ばから後半くらいか。
「あの、ありがとう」
「いや、気にするな。魔石を、売ろうとしていたのか?」
エルはコクンと頷く。モーリッツは一人前だと言っていたが、それ以外の人々からの評価は散々である。魔石技士として、自信がなくなりつつあった。
「最近、偽造魔石やクズ魔石が多く出回っていて、魔石売りはピリピリしているんだ。まあ、運が悪かったとしか言いようがない」
「どうして、わたしを助けてくれたの?」
「ああ、それは、妖精が付いているからだ。妖精は人間の悪い感情を何よりも嫌う。そんな妖精が傍にいたから、あんたはきっと善良な人間だと思っていた」
ヨヨがいたおかげで、助けてもらえたようだ。
「私も、一応妖精族の端くれで、人の悪感情には敏感だからな」
ダークエルフの美女は、尖った耳を指で差しながら淡く笑った。
「そういえば、あんたは私を怖がらないんだな。私をひと目見て、ダークエルフだと悲鳴を上げる輩もいるんだ」
「別に、怖くない。あなたは、とても親切だったから」
「はは。ありがとう」
照れ臭かったのか、顔を逸らしながら笑っていた。
エルはついていた。運よく転んだおかげで、ダークエルフの美女に助けてもらえたのだ。
「あの、これを」
エルは魔法鞄から炎の魔石を取り出し、ダークエルフの美女へと差し出した。
「これ、助けてくれたお礼」
「え、いいのか?」
「うん」
「へー。さっきも思ったが、あんたの魔石は質がいい……は?」
炎の魔石を手にしたダークエルフの美女は、目を剝いていた。
「どうかしたの?」
「──なんだ、この強力な魔石は!?」




