少女は路頭に迷う
満腹になったエルは、ネージュの案内で中央街にある宿にやってきた。
建物は新しく感じた。アプリコット色の塗装が全面に塗られ、華やかで明るい印象である。
七階建てで、世界初の魔石を動力として動く昇降機があるらしい。それが自慢なのか、昇降機の表面はガラス張りで作られていて、外から見えるようになっていた。
エルが宿に一歩近づいたら、若いドアマンが顔を顰める。宿泊客には見えなかったのだろう。こういう時、萎縮してはいけない。堂々としていなければ、不審に映る。
逆に、エルは眉を顰め、扉を開こうとしないドアマンを見た。すると、慌てた様子で扉を開いてくれた。
「ありがとう」
エルはそう言って、中へと入る。
ロビーは広く、手入れがなされた絨毯が敷かれてある。待合室には、観光客らしい荷物を持った人たちが休憩していた。奥のほうには、喫茶店もあるようだ。
まずは、受付で空室があるかどうか尋ねる。
「あの、空いている部屋は、ある?」
若い受付係の女性は、眉を下げ困った顔でエルを見下ろしていた。
きっと、年若い娘が一人で泊まりにくることなどないのだろう。
「お金はあるから、質問に答えて」
「えっと、あの、お嬢ちゃん、お父さんとお母さんは?」
「いない。見たらわかるでしょう?」
「え、ええ。そう、ですね。では、身分証を拝見させていただきます」
「身分証?」
「ええ。王都内での宿泊は、身分証が必要となります」
「……」
そんなもの、持っていない。身分証が必要なんて話は、聞いたことがなかった。
「いつから、身分証制度ができたの?」
「一年くらい前からでしょうか? 急に、始まったようで」
「そう。身分証は、どこで取得できるの?」
「ギルドで発行しています。しかし、今の時間はもう、閉まっているかと」
「……」
つまり、この宿にエルは泊まれないということになる。
「王都に、身分証なしで泊まれる宿はある?」
「え~~っと、それは、厳しいですね。どの宿でも、たいていは身分証が必要となっていまして」
「わかった。ありがとう」
礼として受付の女性にチップを手渡し、エルは宿を出る。
受け付けで話を聞いている間に、太陽は沈んでしまった。
『ねえ、エル。泊まれないって、どうするの?』
「うん」
『エル、フォースターのおじいさんの家に行ったら? それか、シャーロットの家とか』
「いい、大丈夫」
『ええ~~!』
『あなた、王都に知り合いがいるのならば、頼ったほうがよろしくてよ』
ネージュの言葉を無視して、エルは歩き始める。
『エルは頑固なんだ。それから、他人に甘えるのがへたくそなんだよ』
『まあ! 意地を張っていたら、大変な目に遭いますわよ!』
エルはネージュの話を聞かず、暗くなった王都の街をスタスタ歩く。
『追いかけなきゃ!』
『仕方ありませんわね!』
夜の街を少女と妖精、精霊が歩いていたが、気にする者は一人もいない。
王都は、そういう場所だった。
『エル~~、どこに行くの?』
「食堂。お店を手伝う代わりに、一晩泊めてくれないか頼みに行く」
以前読んだ本の中に、あったのだ。店で働く代わりに、泊めてもらう物語を。
『止めなよ。エルに、そういう接客系の仕事は向いていない』
「注文を取りに行ったり、配膳に行ったりすることは難しくても、皿洗いならできるし」
『でも、身分証もない人を雇ったり、泊めたりするかねえ……』
ヨヨの言う通り、食堂のおかみと話したが、まず身分証を、という話になったようだ。
「身分証制度が始まってから、犯罪も減ったんだよ。だから、身分証を確認しないと心配でねえ。最近は客の身分証を確認するようになったんだ。ごめんねえ」
「いえ」
二軒目も、三軒目も似たような反応をされる。王都に住む人々は、かなり身分証に依存した暮らしをしているようだった。
「身分証が、犯罪を軽減してくれる。だから、それを判断の指数にするのは間違っていない。合理的だ」
『そうだねえ』
『わたくしは、気に入りませんわ。たった一枚の紙で、人が安全か危険か測るなんて』
「それは、そうだけれど」
今まで生活していた森の中とは、暮らし方がまるで違う。しかし、それを受け入れるしかない。異国の勇者も言葉を残していた。『郷に入れば郷に従え』、と。
『それで、今日はどっちの家にするの? シャーロット? それともフォースター?』
「どっちでもない」
『あなた、もしかして、野宿するつもりですの?』
「野宿は、したくないけれど」
エルはこのような状態に陥っても、自分でどうにかしたいと考えていた。
ヨヨは叫ぶ。『この、わからずや~でいじっぱり娘~』と。エルは気にせずに、歩き続ける。
夜市を開催する広場とは、異なる開けた場所に出てきた。
そこでも、魔石灯が連なって灯され、露店が並んでいる。
夜市よりも、たくさんの人が集まっていた。
「あれは──」
『魔石夜市ですわ』
「魔石夜市。魔石を売る市場ってこと?」
『ええ、そうですわ。ここも、王都名物の一つかと』
毎晩開催される魔石夜市では、魔石技士が魔石を魔石売りに卸し、魔石売りが魔石を客に販売する店が連なっている。
「わたしの魔石も、ここだったら買い取ってくれるかもしれない!」
エルはそう呟き、魔石夜市に向かって走り出す。
『ちょっ、エル、待ってよ!』
『ご主人様、危険ですので、わたくしから離れないでくださいまし!』
駆けるエルを、ヨヨとネージュは慌てて追いかける。
魔石夜市は、木箱に山盛りされた魔石を売る店から、宝石のように大切に取り扱う魔石まで、さまざまな魔石が売られている。
客は観光客と、地元住人、それから魔技巧士に買い付けにきた商人と、多岐にわたっているようだ。
エルは目を輝かせながら、魔石を見て回る。
ただ、どの魔石も、白濁した色だった。エルの魔石のように、水晶のごとく澄んだ色の魔石はない。高位魔石として売られていたのも同様に。首を傾げながら、店を眺めて歩く。
「もう、品切れだ」
「ええ、困ったなあ」
「こっちも困っているんだよ。買い占められてしまって。今日は他の店を当たってくれ」
「はあ、そうするよ」
そんな会話が聞こえ、エルは足を止める。ここの店ならば、エルの魔石を買い取ってもらえるのではないかと思ったのだ。
「あの」
「なんだい? もう、魔石は売り切れだよ」
「そうじゃなくて、魔石を、買い取ってもらえないかと思って」
「魔石? お嬢ちゃんは、魔石売りなのかい?」
「うん、そうなの」
見せてくれと言われたので、エルは鞄の中から火の魔石を取り出して、店主に見せた。
「こ、これは──!」
ドキドキと、胸が高鳴る。モーリッツ以外に、魔石を品定めしてもらうのは初めてだった。
「これは、偽魔鉱石をつかった魔石だろうか?」
「違うけれど」
「いいや、間違いない」
偽魔鉱石だなんて、聞いたことがなかった。いったいどういう物なのか、質問しようとした瞬間、とんでもない罵声を浴びてしまう。
「クズ魔石を掴ませやがって! この、詐欺師が!」
そう言って、店主はエルに火の魔石を投げてくる。胸にぶつかり、エルは地面に膝を突いた。
「うう……!」
胸が痛い。当たった魔石のせいでもあったが、別の理由でも胸が痛んだ。
頑張って作った魔石をクズ魔石と呼ばれるなんて……。
地面に落ちた魔石を拾い上げる。幸い、傷は付いていなかった。エルにぶつかったあと落ちたので、緩衝材代わりになったのかもしれない。
地面に蹲っていたら、店に誰かがやってくる。
「旦那、どうしたんだ?」
「この娘が、クズ魔石を売ろうとしたんだ!」
「なんだと!?」
大きな声に驚き、顔を上げる。エルに侮蔑の視線を向けていたのは、革の装備を身に着けた傭兵らしい若い男だった。
「お前みたいなのがいるから、王都の治安が悪くなるんだよ!」
傭兵らしき男がエルの胸倉目指して手を伸ばしたが、その手は叩き落される。
『あなたみたいな下賤な男には、ご主人様には指一本触れさせませんわ!』
「はあ!?」
ネージュの威勢が良すぎる言葉が、男を怒らせる大きな引き金となったようだ。
腰に刺していた大振りのナイフを引き抜いた瞬間に、エルはネージュを抱えて走り出す。
「待て!!」
捕まったら、大変なことになるだろう。エルは魔石夜市を走る。




