少女と猫と兎は夕暮れの街を行く
バタンと、長いしっぽ亭の扉が開いた瞬間、エルは我に返る。
人通りの多い王都の街に、今、初めて一人で立っているのだ。
長いしっぽ亭の店主が言っていた通り、道行く人々は人だけではない。多彩だ。
頭部が鷲で首から下が人の体を持つ、フロックコートを纏う紳士が通り過ぎる。次に、背中に大きな翼を持つズボンを穿いた女性が空を飛んでいた。
向かいの通りではネコのぬいぐるみが、幼い貴族令嬢のあとをテクテクと歩いていた。ただ、頭の大きな体では均衡を崩すのか、何度も転んでいる。そのたびに。使用人が背中に魔石を詰め込んでいた。転ぶのも五回目となると、貴族令嬢は癇癪を起こす。もういらないと言って、ぬいぐるみを道端に置かれていたゴミ箱の中に放り込んだのだ。
「あっ──!」
『エル、行こう』
『見ていて気持ちがいいものでは、ありませんわ』
「うん、そうだね」
エルはゴミ箱に捨てられた魔技巧品のネコを見ない振りして、この場を去る。
◇◇◇
もうすぐ、陽が沈みそうだ。そろそろ宿で休んだほうがいい。エルはそう思ったが、ここは見知らぬ街。どこに宿があるかさえ、エルは知らない。
『ご主人様、どうかなさいましたか?』
「宿を取らないといけないのだけれど、どこにあるのかわからなくて」
『でしたら、わたくしが宿にご案内いたしますわ』
「すごい。そんなことも知っているんだ」
『王都の地図は頭に入っております。なんと言っても、王都生まれですから』
エルが拍手すると、ネージュは満更でもない表情を見せる。
『貴族御用達の宿ともなれば、一番安い部屋でも金貨五枚は必要ですけれど』
「一泊で、そんなに使えないよ」
『でしたら、ご予算はいくら?』
「高くても、銅貨十枚くらい」
『それでは、下町の安くてボロボロの宿しか泊まれませんわ。下町は治安が悪いので、行くのは勧めません』
「う~~ん」
『最低でも、銅貨三十枚の宿にしませんと』
「わかった。その宿に案内して」
『お任せあれ』
ネージュは胸に手を当て、恭しく会釈する。その姿は、騎士の如く。
『では、行きますわよ』
「お願い」
『出発~』
ネージュの先導で、中心街にある宿を目指す。
その間、エルは所持金について頭の中で計算を繰り返していた。
黒斑病を治した時に治療代と薬代を貰ったが、王都に来るまでにけっこう消費してしまった。旅する中で安全を手にするために、金を惜しみなく使っていたのだ。
おかげで、怪我もなく辿り着くことができた。
明日は、魔石を売って所持金を増やしたい。きちんと売れるのか、エルは不安だった。
だが、そんな不安も吹き消すものを発見する。
広場に魔石灯がてんてんと連なって光る場所を見つけたのだ。たくさんの露店があり、人々が行き交っている。
「ネージュ、あれは?」
『夜市ですわ』
「少し、見てみたい」
エルはヨヨをチラリと見る。顰めた表情を見せていたが、『ちょっとだけだからね!』と言って、渋々と許してくれた。
王都では、毎晩のように夜市が開催されているらしい。
地方の特産品や大量生産された安い雑貨、アンティークの品々、新鮮な野菜に焼きたてパン、料理など、さまざまな物が売られている。
まだ暗くなっていないからか、開いていない店がチラホラある。人通りも疎らだった。
エルは匂いに釣られて、料理を売る店のほうへ向かう。
「いらっしゃい、いらっしゃい」
「焼きたてだよ!」
「安いよ、安いよー!」
随分と、活気のある店が並んでいる。
最初に覗き込んだ店は、パンに揚げた白身魚と『タルタルソース』と呼ばれるソースを挟んだものに、挙げたイモと炙ったソーセージが山盛りになった料理を提供していた。
おいしそうだが、エル一人では食べられそうにないので素通りする。
二軒目は、エルの背丈よりも大きな肉の塊を丸焼きにしていた。焼けた肉はナイフで削いで、ポケットのような形のパンに詰めている。
それを買ったばかりの男性が、大きな口で頰張っていた。肉汁が口の端から零れていたが、滴り落ちる前に指先で拭う。
あまりにも大きいので、エルの口ではかぶりつけそうにない。これも、諦める。
三件目は、プルプルになるまで煮込んだ牛すじを、たっぷり汁をかけた麺に載せたものだった。出汁のいい匂いが、あたりに漂っている。看板には、『牛すじ麺』と書かれていた。
「これだったら、食べられそう」
一杯銅貨一枚と値段も手頃な上に、五人ほどの列もできていた。きっと、おいしいから並んでまで食べたいのだろう。
エルの夕食が決まった。五分ほど並び、牛すじ麺を手にした。
器とフォークは食べ終わったら返す仕組みらしい。露店の裏に、机と椅子があった。そこで食べていいようだ。
エルは他の大人達に混じって、牛すじ麺を食べる。
乾麺はフーゴがたまに買ってきていた。エルはスープに入れて食べていたが、そこまでおいしいとは思わなかった。
しかし、この牛すじ麺はおいしそうに見えたのだ。
フォークに麺を絡め、汁が滴らないように食べる。
「んんっ!?」
あまりにも、今まで食べた麺とは違ったのでエルは驚いた。
麺が汁に絡み付き、出汁の利いた味わいが口の中に豊かに広がる。そんな出汁の味わいを感じながら噛みしめる麺はプリプリで、ほどよい歯ごたえがあった。
これが、本物の麺料理!
エルは麺という食材をよく知らずに、適当に調理していたのだ。
おいしさの秘密を知ろうと、露店の店主が牛すじ麺を作る様子を横目で見た。
麺は乾麺でなく、柔らかい生の麺を使っていたようだ。それを、茹でたあと、しっかり湯切りしていた。
麺は別茹でにしなければならないものだったようだ。
『エル、早く食べないと、麺が伸びるよ』
「そうだった」
ヨヨに促され、エルは麺をすする。
牛すじは驚くほど柔らかくて、プルプルだった。あまりのおいしさに、汁まで全部飲み干してしまう。空腹だったからだろう。けれど、それを抜きにしてもおいしかった。
思いがけない食事との出会いに、エルは感謝する。
そして、絶対おいしい麺料理を作ろうと、心の中で決意を固めていた。




