少女は魔法書を焼き、猫は少女の世話を焼く
満天の星が輝く夜空に、焚き火が舞い上がる。
パチパチ、パチパチと音を立てる火に、エルは本を投げ入れた。
一瞬にして焼け、灰も残らない。これは、魔法で作った特別な火だった。
燃やしているのは、モーリッツの魔法書の数々。山のように積みあがる本を、エルは一人燃やしていた。
モーリッツの死後、必要な物以外はすべて処分するように言われていたのだ。
頼まれた当初は、絶対に嫌だと拒絶していた。
しかし、モーリッツの研究や貴重な魔法書を盗まれたら困る。だから、エルは必要な本だけを除いて燃やしていた。
手元に残したのはモーリッツの日記と手書きの魔法書の二冊のみ。それ以外の本の内容を、エルはすべて覚えている。
魔法書は誰にも見せてはいけないと言われていた。もちろん、その約束は守るつもりである。
妖精図鑑を燃やすと、いくつもの閃光が燃える火の中から飛び出してきた。
あれは、モーリッツが研究のために本の中に採取していた妖精だ。
まったく、酷いことをするものだと、エルは思う。
光球となった妖精がエルに接近し、耳元で囁いた。
『アリガトウ』
今度は悪い魔法使いに捕まらないように。エルはそんなことを呟いて、妖精を見送った。
それから、モーリッツの魔法書を燃やすたびに、不思議なことが起こる。
火の中から星が散り、迷惑そうな表情の精霊が飛び出し、火柱が天に向かって上がった。
最後の一冊は、何も書いていない白紙の本である。何か仕掛けがあるのかもしれないが、必要性は感じない。エルは炎の中に本を投げ入れた。
すると本はパチンと爆ぜ、細長い光の筋が上がりエルの目の前で文字となる。
──エルネスティーネ、汝の人生に光あれ
それは、いまわの際にモーリッツがエルに言った言葉である。
エルネスティーネとは、なんなのか?
その言葉は、どこか懐かしくて、胸が切なくなる。
「エルネスティーネ……」
そう呟くと、文字が強く光った。
「うっ!」
光を抑えようと、文字に手を伸ばして摑んだ。
文字は霧散し、光の粒がエルの中に吸収されてしまった。
「これは、いったい……?」
何の魔法だったのか。わからない。
けれど、悪いものではないのだろう。光の粒と同化した途端に、体がポカポカと暖かくなったのだ。
エルはもう一人ではない。
そんなふうに誰かが囁いてくれたようで、胸がドキドキする。
『エル、魔法書のお焚き上げ終わった?』
「終わったよ」
『だったら、お茶の時間にしよう』
「うん」
そうだ、とエルは思う。
エルは一人ではない。モーリッツが死んでも、ヨヨがいてくれる。
心配症のヨヨはきっと、エルを置いて姿を消すことはならないだろう。
だから大丈夫。そう、自らに言い聞かせていた。
◇◇◇
先ほどの不思議な魔法はなんだったのか。それよりも、気になるのは『エルネスティーネ』である。
「ねえ、ヨヨ」
『ん?』
「──って何?」
『え?』
「──、──、──!? な、え、何これ?」
『こっちが聞きたいよ』
『エルネスティーネ』と口から出せないのだ。これが、モーリッツのかけた魔法なのか。
『エル、どうかしたの?』
「モーリッツの魔法に、かかったみたい。白紙の魔法書を燃やしたら、言葉が浮かんできて」
『はあ? まったく、性格が悪いねえ。そんな魔法を仕掛けているなんて』
でも、悪い魔法ではないはず。ヨヨはそう言い切った。
「そうだね。私も、そう思う」
だって、あの魔法は懐かしくて、優しいものだったから。
ひとまず、白紙の魔法書の魔法は気にしないことにした。
『そんなことよりも、お茶を飲もう』
ヨヨは魔法で、ティーカップとソーサーを棚から出し、テーブルに並べていく。
茶葉とティーカップは用意していたようだ。
『よく眠れるように、月見草のお茶にしよう。ミルクをたっぷり入れてあげる』
「ありがとう」
月見草──それは満月の夜にのみ自生する薬草である。
煎じると、安眠効果のある薬が完成する。
乾燥させると、茶として飲むこともできる。月見草の茶を飲んだら、朝までぐっすり眠れるのだ。
ヨヨは森に棲む妖精なので、薬草についてよく知っていた。
そんなヨヨをモーリッツは、給仕猫と呼んでいた。
研究に熱中すると、飲食を忘れて熱中するらしい。そんな時、ヨヨはパンケーキを焼き、茶を淹れて休憩するように口うるさく言う。
さすがのモーリッツも、パンケーキの甘い匂いには勝てなかったようだ。
エルには、木の実が入ったクッキーを作って持ってきてくれた。
一度、パンケーキ作りの様子を見たことがあるが、魔法で調理道具を動かし、せっせとパンケーキを焼いていたのだ。傍から見たら、ヨヨはただそこにいるだけに見える。しかし、道具を魔法で動かすのは大変なことらしい。
猫の手で作れるものなら、とっくの昔に作っているさ! とヨヨは話していた。
そんなことを考えているうちに、ヨヨが魔法で入れた茶が差し出された。
『はい、どうぞ。温かいうちにお飲み』
「ヨヨ、ありがとう」
一口飲んで、ほっと息を吐きだす。ミルクをたっぷり入れた月見草の茶は、甘くて優しい味がした。
『エル、クッキー焼いてあげようか? 木の実がたくさん入っているやつ』
ヨヨはエルが落ち込んでいる時に、決まって木の実がたっぷり入ったクッキーを作ってくれるのだ。
今宵も、エルが深く落ち込んでいると思い、気を遣ってくれているのだろう。
気持ちだけ、もらっておく。
「今日は疲れたから、このまま寝る」
『そっか』
モーリッツの家にあるエルの部屋は、屋根裏にある。そこに、藁を重ねてシーツを被せただけの布団があるのだ。毛布は、ヨヨが狩ってきたシカの毛皮を縫い合わせたものである。
皮剥を失敗して、所どころ穴が開いている手作り毛布だ。
寝転がると、ヨヨが毛布の中に入ってきた。いつもは一緒に寝ることを嫌がる。初めて、布団の中に入ってきた。
「ヨヨは、やっぱりあたたかいね」
『まあね。今日から、一緒に寝てあげる』
「うん、ありがとう」
ヨヨの優しさが、胸に染みる。眦に浮かんだ涙が頰を伝った。
エルとヨヨは互いにあたため合い、眠りにつく。
明日はいい日でありますように。そんなことを祈りながら。
初めての、二人ぼっちの夜だった。