少女は人工精霊と契約する
「契約したら、このぬいぐるみに命が宿るの?」
「そうだ。人が生命に名付けることを、命名と言うだろう? 名付けは、大切な儀式なのだ」
ぬいぐるみの目を覗き込んでも、作り物にしか見えない。
本当に、名前を付けただけで命が宿るというのか。
ふと、視線を感じて棚のほうを見る。クマのぬいぐるみの黒い目が、エルを見つけているような気がしたのだ。
「そこにある、クマのぬいぐるみは?」
「あれは、俺と契約している人工精霊だ。おい、グリー!」
『は~い』
突然、クマのぬいぐるみが挙手し、棚から跳び下りた。
「うわっ!!」
「この通り、ぬいぐるみは生きている」
「……」
ヨヨも驚いたのか、全身の毛をふくらませていた。
グリーと呼ばれたぬいぐるみは肩を竦め、棚に戻っていく。運動神経はいいようで、棚の一番上まで跳び乗っていた。
「まあ、この通り、ぬいぐるみは生きている。だから、このぬいぐるみは大量生産できない。生き物を生み出すのには、大変な労力がいるからな。今、こいつは眠っている状態にすぎない。目覚めさせてやれ」
「その前に、質問があるのだけれど」
「なんだ?」
「契約したら、私の魔力を分け与えるの?」
「いいや、それは必要ない。これらのぬいぐるみには、贈り主の魔力がこもっている。それが命に代えて、動くのだ」
「ということは、魔力が尽きたら、動かなくなってしまうの?」
「まあ、そうだな。これはそもそも、そういうものだから」
「そういうものって?」
「子どもの遊び相手や話し相手をするぬいぐるみでは、大人になったら必要なくなるだろう? 役目を終えたぬいぐるみは、眠りに就くようになっている」
「ああ、そういうこと」
「もちろん、それをしないで、自分の魔力を注いで傍に置く者もいるがね。まあ、稀だな」
子どものために、愛情と魔力が注がれた世界で一つのぬいぐるみ。
フーゴが、エルのために作ってくれたのだ。
エルはじっと、ぬいぐるみを見つめる。白くてふわふわで、赤い瞳とピンと伸びた耳が愛らしい。
「う~~ん」
どんな名前を付けようか。迷っていたら、店主がエルの背後に隠れていたヨヨの存在に気づいた。
「む、そこな猫は、妖精か?」
「あ、うん。そう」
「ほう、小山猫か。初めて見る」
店主はしゃがみ込んでヨヨを見つめる。圧迫感を覚えたからか、ヨヨは後退っていた。
「なるほどな。人工精霊がいなくとも、親友がいたというわけか」
「でも、夜いつも一緒にいてくれたのは、この子だったから」
フーゴがいない、一人寂しい夜をずっと一緒に過ごしてきた友達だ。どんな名前がいいだろうか。エルは考える。
窓の外を見たら、ふわふわの淡雪が降り始めた。それを見て、ピンとくる。
エルはぬいぐるみを高く上げ、名前を叫んだ。
「決めた。この子の名前は、ネージュ」
ネージュ。古代語で、雪という意味だ。
名前を呼んだ瞬間、ぶるりとウサギのぬいぐるみが震えた。
赤い瞳に光が宿り、むくりと自らの力を用いて起き上がる。
エルはウサギのぬいぐるみと目が合ってしまった。
「あなたは──」
『遅いですわ!!』
ウサギのぬいぐるみだったネージュはジタバタと暴れる。エルが手を離すと、一回転して床に降りた。
『いつ、名付けを行うのか待っていたのに、二年後ってどういうことですの!?』
幼い少女の声で、叱られる。エルは不思議な気分となった。
「ごめんなさい。まさか、あなたに命が宿っているとは、思わなかったから」
『まあ、あのぼんくら男が説明しなかったのが、悪いのでしょうけれど』
「う、うん」
父親をぼんくら呼ばわりされたが、何も返す言葉がなかった。
事実、フーゴはぼんくらだった。
エルを森の奥地へ連れてきたのに、生活能力は皆無。料理も掃除も裁縫も、火熾しすらできない。
一応、やろうと努力する姿勢は見せるものの、驚くほど不器用だった。
唯一、狩猟が得意だったが、解体はできないという体たらく。
モーリッツと共に呆れたことは一度や二度ではない。
なぜ、森の奥地にエルを連れてきたのか、質問したことがある。
エルは真剣に質問していたのに、フーゴはふざけた様子で「自然を愛しているからさ~」なんてことしか言わなかった。
そう。エルの父親フーゴは、ぼんくらでいい加減で、いつもヘラヘラしている男だったのだ。
きっと、ぬいぐるみを受け取った時も、よく話を聞きもしないで店を飛び出したに違いない。
フーゴについて思いをはせていたエルであったが、ネージュの叫び声で我に返る。
『きゃあ! わたくし、裸ではありませんか!』
「うん?」
ぬいぐるみなので、裸でいるのは普通だろう。そう思っていたが、周囲のぬいぐるみを見てみたら、服を着ていた。
レースたっぷりのドレスを纏っていたり、紳士顔負けの燕尾服を着ていたり。子ども服のような、可愛らしい寸法の服である。
今まで意識していなかったので、まったく気づかなかった。
エルは上着を脱いで、ネージュにかけてあげた。
「あの、おじさん、ここで、精霊の服を買えるの?」
「ああ、もちろんだ。こっちに来い」
奥の部屋に招かれる。エルはネージュを抱き上げ、店主のあとに続いた。




