少女と猫は王都行の馬車を選ぶ
港町の市場で、焼きたてパンを買う。白く丸いパンで、手に持っただけで驚くほどふわふわだということがわかる。
味見として一つ食べたが、見た目と触れた感覚以上にふわふわだった。エルはしばし至福の時間を味わう。
『エル、お腹空いているなら、どこかで食事を取れば?』
「ううん、いい。どうせ、一人で食堂に入ったら目立つし。先に王都に行って、宿でゆっくり食べたい」
『それもそうだね』
パンを食べ終えたエルは、馬車乗り場に向かった。
さまざまな姿かたちの馬車が停まっていた。ここは王都へ繋がる玄関口である。運送業で商売することも成り立っているようだ。
王都行の馬車は十何本か出ているという話を聞いて、エルは慎重に吟味する。
港町から王都まで馬車で五時間ほど。そこまで長くはないが、無理はしたくないエルは腕を組んで考える。
一番安いのは、銅貨十枚。剝き出しの客席に日避けの幌がない乗合馬車だ。
『あれは、ないねえ……』
「うん、ない」
北風がヒューヒュー吹いている中で、五時間も乗っていたら風邪を引いてしまう。
当然、馬車の衝撃を緩和させる板バネなど搭載されていない。
この前乗せてもらった馬車も板バネのないものだったが、尻が痛くなってしまったのだ。あれは、耐えられるものではない。以前は無償で乗せてもらった手前、文句など言えなかったが。
それに、魔物に襲われたら大変だ。王都周辺は騎士隊が魔物討伐をしているので、比較的魔物の数は少ないと聞く。それでも、絶対ではない。もしも見つかったら、格好の餌食となるだろう。
次に見たのは、王都へ荷物を運ぶ幌馬車の隙間に乗せてもらう形となるもの。銅貨二十枚で王都まで連れて行ってくれるという。
商人の馬車なので、当然の如く護衛がいる。それに幌があるので、冷たい風にさらされることはない。だがしかし、運ぶのは家禽類、鶏、鵞鳥、鴨だ。
中は、酷い臭いである。加えて、黒斑病の村を見てきたエルは、動物と密着するのは遠慮したい。料金は理想的だったが、即決できないでいる。
最後に見たのは、車体が箱型の四人乗りの馬車。しかも、護衛付きだという。代金は銀貨三枚。割高だ。
「う~~ん」
『迷うねえ』
ぜったいにないのは、銅貨十枚の馬車だ。
「幌馬車も微妙……」
『でも、命はお金で買えないからね』
「そうだね」
エルは奮発して、箱型の馬車を選ぶことにした。金は、王都に行ってから稼げばいい。そんなことを考えながら。
御者に話しかけ、馬車に乗りたいと言うとぎょっとされる。
「あんた、一人で乗るのかい?」
「猫もいる」
「いや、そうじゃなくて、親御さんは?」
「いない。お金はあるから」
代金である銀貨三枚を見せたら、何も聞かずに乗せてくれた。 心配していたが、ヨヨの代金までは取られなかった。
馬車は乗り合いである。本革の上等な椅子に、シックなオリーブカラーの壁紙が張られている。車内は掃除が行き届いていて、清潔だった。
車内には、先に先客がいた。
「こんにちは」
「どうも」
六十代くらいの、白髪頭で立派な髭を蓄えた紳士だ。アイロンがきれいにかかったフロックコートを纏っている。黒檀のステッキも、椅子に立てかけられていた。おそらく、貴族だろう。そんなことを考えながら、会釈する。
「お嬢さん、一人かい?」
「猫もいる」
「ああ、悪かったね。お嬢さんは、猫と二人旅なのかね?」
「そう」
「ご両親は?」
その問いかけに、エルは俯く。やはり、エルくらいの年頃の少女の一人旅は、おかしいものなのだろう。
「ああ、すまないね。今の質問は忘れてくれ」
紳士は好奇心から聞いたわけではなく、心配して問いかけてきたようだ。
しかし、エルは返事をせずに、窓の外を見る。
乗客は二人と一匹だけのようだ。馬車が走り始める。
一時間ほど黙っていたが、紳士の腹がぐうっと鳴り、エルはくすりと笑ってしまった。
「おじいさん、お腹空いているの?」
「ああ。食事をしている暇がなくてね」
馬車には折り畳み式のテーブルが付いていた。エルは取り出そうとしたが、なかなか上手くできない。
「私がしよう」
そう言ったが、紳士はエル以上に手間取る。二人で協力し、なんとかテーブルを広げることに成功した。
「すまないね。こんなこともできずに」
「それはお互いさま」
紳士は目を丸め、エルを見ていた。しかし、しばらくするとプッと噴き出す。
「何が、おかしい?」
「いいや、お嬢さんは、私と対等な立場で話してくれるのだなと思って。普通は、先に生まれた者がさまざまなことにおいてできて当たり前と考えるだろう? こんなこともできないのかと、思わなかったのかい?」
「思わない。経験は、人によって違うから」
「それもそうだ。いつもは供の者がなんでもしてくれるから、なんてことないことでも、できないことが多いんだ。恥ずかしい話だけれど」
「できないことをできないというのは、恥ずかしいことでもなんでもない。どうして、恥ずかしいの?」
「それを説明するのは、難しいな。人は長く生きるにつれて、自分では制御できない自尊心を抱えることになるからね」
「大人になると、大変なんだね」
「そう。大人は大変なんだよ」
会話が一段落したところで、エルはテーブルの上に食事を用意する。
「おじいさん、一緒に、食事をしよう」
「いいのかい?」
「うん、いいよ」
エルも港から下りてから白いパン以外何も食べていない。空腹感を覚えていたのだ。一人だけ食べるわけにもいかないので、紳士にも食事を分けてあげることにした。
取り出したのは、魔石ポットと鉄の器に鍋。
魔石ポットで湯を沸かし、鉄の皿に火の魔石を入れ、鍋を重ねる。脂を敷いて、温めている間、ベーコンの塊を取り出した。
「お嬢さんの鞄は、なんでも入っているんだね。まるで、魔法の鞄だ」
モーリッツ特製の異空間と繋がった鞄は、非常に希少だろう。興味を持たれたくないので、紳士の発言は無視する。
温まった鍋にベーコンを入れ、塩コショウを振る。白磁の皿に先ほど購入したパンを置き、ジャムの瓶を並べた。味は木苺、コケモモ、野リンゴの三種類。
ベーコンは食べやすいよう、ナイフで一口大に切り分ける。鍋にベーコンを押し付けたので、ジュッと音が鳴った。
ここで、魔石ポットの湯が沸いたようだ。
半生の燻製をカップに入れて、塩、コショウ、香辛料と薬草を入れて、最後に湯を注ぐ。燻製の簡易スープを作った。
沸いた湯に薬草を直接入れて、しばし蒸らしておく。
ナプキンを置いて、木のフォークを添えた。
薬草茶をカップに注ぎ、蜂蜜をひと匙垂らした。
焼きあがったベーコンを皿の上に置いたら、食事の用意は完成である。
「驚いたな。こんな上等な料理が馬車の中で食べられるなんて」
「どうぞ、召し上がれ」
「ああ、ありがとう。いただくとする」
木苺のジャムを白磁の皿の上に出して、パンに付けながら食べる。甘酸っぱい味わいが、ふかふかのパンとよく合うのだ。
燻製のスープは煮込んでないので味に深みはないが、温かい物を飲むとホッとする。
薬草茶は苦みの中に、蜂蜜の優しい甘さを感じた。
紳士と共に、食事を味わう。自分で用意したものだったが、空腹だったこともあり大変おいしく感じてしまった。




