少女は老婆に扮して危機を知らせる
上客は大きな揺れに驚き、動揺していた。
前を走っていた船員はすぐに乗客に捕まってしまう。
「さっきの揺れはなんなんだ?」
「船は大丈夫なのよね?」
「え、ええ。今、調査中でして」
「沈んだりしないだろうな?」
「避難用の船は用意されているの?」
「ご、ご安心ください。まずは、待機を──」
同じようなことを問い詰める上客に囲まれ、船員は動けなくなった。
申し訳ないが、船員はここに置き去りにする。あれだけ大勢の人に囲まれたら、助けることなんてできない。エルとヨヨは人と人の隙間を縫うように、先へと進む。
階段を上がり、甲板に出てきた。
「流氷だ!」
「流氷にぶつかった!」
船員らは大慌てで、何に衝突したのか確認していた。
どうやら、海を流れる大きな流氷にぶつかったようだ。
エルは船首楼まで駆ける。すると、先ほどの航海士がいた。仲間らしき航海士もいる。
見つかったら、また閉じ込められてしまうだろう。エルは樽に身を隠し、様子を窺う。
航海士は望遠鏡を覗き込んでいるが、何も見えていないようだ。
「ヨヨ、氷山、見える?」
『ごめん。この暗さでは、とても』
「だよね」
『見エル』
「え?」
『見エル』
『見エルヨ』
どうやら光の妖精には、氷山が目視できるらしい。
「どの辺にある?」
『遠ク。デモ、近イ』
『大キイ。トテモ、大キイ』
『船ヨリモ、大キイ』
氷山は、たしかにあるようだ。
だがしかし、子どものエルがどんなに訴えても、進行方向に氷山があるなんて信じないだろう。
「たぶん、この騒ぎの中では、シャーロットにお願いしても船長に会えない」
『だろうね』
「どうすればいい?」
昼間だったら、今頃氷山が見えていたかもしれない。
けれど、神は無慈悲だ。真夜中に、氷山に接近させるなんて。
エルは心の中で嘆く。
「太陽さえあれば、氷山が見えていたのに」
『太陽さえ、か』
太陽が昇る前に、きっと船は氷山に衝突するだろう。
「何か、何か解決策が……光、光を……」
『あ、エル! そうだ、氷山を、光で照らすんだよ!』
「氷山を……まさか、魔石で?」
『そうだ! 光の妖精に協力してもらって、遠くにある氷山に光を当てて、航海士に目視してもらうんだ』
上位魔石にある『輝きの魔石』があれば、氷山を照らすことができる。
氷山まで魔石を運ぶのは、光の妖精に任せることが可能だ。
エルは立ち上がり、すぐさま行動に移す。
氷山を確認してもらうのは、航海士の仕事だ。しかし、このまま出て行っても、先ほどの航海士の青年に噓吐き呼ばわりされるだけだろう。
エルは船内に戻り、先ほど別れた船員のもとへ急いだ。
『エル、どうするの?』
「味方は、あの船員しかいないから!」
船内はますます混乱していた。甲板に人が押し寄せ、階段は使えない。
「どうしよう。これじゃあ……」
『エル、さっきのお兄さんがいるよ』
「あ!」
人混みの中に、船員の青年を発見した。
「こっち! お兄さん!」
エルは跳びはねながら手を上げ、船員の青年を呼び寄せた。
「ああ、君は!」
「ぶつかったの、流氷だったみたい」
「やはり、そうだったか」
「それで、その、たぶん、この先に、大きな氷山がある。ぶつかったら、みんな死んでしまう」
「!」
船員の顔色が青くなる。
「ど、どうすれば……俺みたいな下っ端が証拠もないのに氷山があると言っても、誰も信用してくれない」
子どものエルだけでなく、船員ですら証拠がないと言っても無駄なようだ。
「おかしいと思っていたんだ。あまりにも、流氷が多いから……。でも、仲間に言っても気にしすぎだって言われて……。君はどうして気づいたんだ?」
「夕陽が落ちていく時に、氷山と太陽が重なる瞬間があったの。でもそれは、豆粒みたいに小さくて」
「そうか。だったら、誰も気づかないだろう。夕陽が沈む時間に豆粒か。追い風の中で進んでいるから、もうすぐ近くに氷山があるかもしれない」
「急がなきゃ!」
「でも、どうやって納得させるんだ?」
「氷山に光を当てるの」
「どうやって?」
「魔石を使って」
以前、黒斑病を治した時と同じような作戦を取る。
外套の頭巾付きを深く被り、老婆の振りをして魔石を使うのだ。
「いい? あなたはわたしを、老齢の魔法使いとして航海士に紹介するの。そのあと、魔石で氷山を照らすから」
「わ、わかった」
すぐに、行動に移す。
走って船首楼に向かい、途中から老婆のように腰を曲げながら歩く。
船首楼は乗客が近づかないよう、人払いされていた。船員はその者達に話を付けて、先へと通してもらう。
「あの、すみません! この魔法使いのお婆さんが、この先に氷山が見えると申しているのですが!」
船員の報告を聞いた三名の航海士が、驚いた顔で振り返る。
「な、なんだと!?」
「氷山など、見えないが!」
「あなたは!」
これだけ氷山に接近しても、暗闇の中では目視できないようだ。
「こ、この老婆は有名な先読み師で、進行方向に氷山があると読んでいるそうです」
「有名な先読み師だと?」
「証拠は?」
「デタラメを言うな!」
航海士は次々と、物申す。流氷にぶつかり、焦っているのだろう。
「証拠を、見せていただけるようです。氷山を照らしますので」
「いったい、どうやって?」
「魔法です!」
それが、合図となる。エルは輝きの魔石を光の妖精へと託した。
「光の粒が!」
「あれは、いったいなんなのだ?」
「あれが魔法なのか?」
航海士は光の粒を望遠鏡で追う。
光の妖精の動きが止まった。光が見えるか見えないかくらいの、遠く離れた場所だった。
そして──輝きの魔石が光を放つ。
周囲は昼のように明るくなった。そして、巨大な氷山を照らし、その姿を浮かび上がらせる。




