少女と猫は船旅に出る
潮風がエルの頰を撫でる。ここから三日間の航海が始まるのだ。
船乗りが客に声をかける。客室の販売が始まるらしい。
個室である第一級客室は一泊金貨一枚、第二級客室は一泊銀貨一枚、第三客室は一泊銅貨五枚。四名ずつの相部屋である第四客室は一泊銅貨三枚、大部屋の第五客室は一泊銅貨一枚となっている。
『大部屋は避けたいねえ』
「わたしもそう思う」
個室の第三級客室がいい。そう思って、受付に向かった。だが、大人たちが殺到しているのでなかなか受付まで近寄れない。
やっとのことで受付できたが、第三客室は売り切れていた。
「個室で残っているのは、第二級だけだよ」
「……」
第一級は領主一家が乗ったため、売り切れてしまったようだ。現在、社交期で王都に貴族が集まっているのだとか。
「第二級客室……一泊銀貨一枚……」
とんでもない贅沢である。しかし、一人旅であるがゆえに、相部屋や大部屋は避けたい。
「お嬢ちゃん、貨物室だったら、無料で開放しているよ。とは言っても、金がない客やどぶネズミと一緒だけれど」
ネズミと一緒だと聞いてゾッとする。黒斑病になるのはまっぴらだ。
エルは決意を固める。
「第二級客室に三泊でお願い」
「え、お嬢ちゃんが一人で?」
「猫もいるけれど」
ヨヨは猫の振りをして、『みゃ~ご』と鳴いていた。
ネズミを捕ってくれる猫は船で大歓迎される。乗船賃も無料なのだ。
「先払いだけれど、大丈夫か?」
「うん」
黒斑病の診察料及び薬代として、大金を受け取っていたのだ。エルは財布の中から銀貨を三枚取り出し、船乗りへと手渡した。
「た、確かに」
「わたしが第二級客室に泊まっていること、喋らないでね」
そう言って、エルは船乗りにチップを手渡す。
「あ、ああ。わかったよ」
きちんと船乗りに口止めして、鍵を受け取ったエルは部屋に向かう。
金を持っている子どもは、狙われやすい。船乗りが喋ったことにより、トラブルになる可能性もある。それを考えたら、口止め料くらい安いものなのだ。
この客船は定員五百名に大きな貨物室があるのが特徴だ。世界最大の客船の定員が二千名であるので、そこまで大きな船ではない。
四階建てとなっていて、四階に船室と第一級客室があり、三階に第二級、第三級客室がある。二階には第四、第五級客室と食堂があり、一階はすべて貨物室となっている。貨物室は広くスペースが取られていて、貨物でいっぱいになることはほぼない。そのため、無料開放されているが、環境は極めて劣悪だ。
エルは一泊銀貨一枚もする客室に辿り着く。中には大きな窓があって、広大な海を見渡せるようになっている。それから、ふかふかの布団が敷かれた寝台に、毛足の長い絨毯、こじゃれた円卓には、赤ワインと三段に重なった皿に盛りつけられた菓子が用意してある。
一人掛けの椅子は、スプリングが効いていて体が驚くほど沈んだ。
磁器の茶器が置かれていて、客室乗務員を呼んだら茶を淹れてくれるらしい。
茶葉の缶も、十個以上用意されていた。
品目表もあり、別料金を支払ったら食事も部屋に運んでくれるようだ。
エルが初めて知る、至れり尽くせりの世界である。
中でもエルが食いついたのは、三段のスイーツスタンドだ。
「わあ、すごい。お菓子が、こんなにたくさん」
『高い部屋なだけあるねえ』
一段目にはスコーンとサンドイッチ。二段目はクリームがたっぷり塗られた焼き菓子。三段目には果物が盛り付けてあった。
ワインは早いので薬草茶を淹れ、焼き菓子を摘まむことにした。
体が沈む椅子は落ち着かないので、絨毯の上に敷物を引いて茶会を開く。
白磁の皿に、スコーンを一つ取った。小皿に盛り付けてあったクリームとジャムも一緒に載せる。
「スコーンだ。本で見たことがある」
『ふ~ん。これがスコーンか』
スコーンにはクロテッドクリームと、リンゴンベリーのジャムをたっぷり載せる。
バターの濃い味わいが口の中で広がる。とても贅沢で、幸せな味がした。
「貴族のお嬢様は、毎日こんなものを食べているのかな?」
『たぶんね。エルは、生まれ変わるのならば、貴族のお嬢様になりたい?』
「ううん。また、父さんの娘に生まれて、森の中でヨヨと先生と一緒に暮らしたい」
『そっか』
「ヨヨは、お嬢様にお仕えする猫妖精になりたいの?」
『ううん。僕も、生まれ変わってもエルと一緒にいたい』
エルはヨヨと身を寄せあい、上流階級に愛されている菓子を堪能した。
◇◇◇
それから、エルは湯を浴びて、ふかふかの寝台で眠る。それから一回も目覚めずに、朝まで眠ってしまった。
窓から太陽の光が差し込んで、エルは目覚める。
『エル、おはよう』
「おはよう。もう、朝なんだ」
ふわ~~っと、大きな欠伸をしてしまう。まだまだ眠れそうだった。
「なんか、ずっと眠ってばかり」
『魔力が回復していないからだよ。鳥仮面が村人に負わせた傷を、魔法で回復したでしょう? 何人くらい魔法をかけたの?』
「あんまり、覚えていない」
回復魔法は体の負担が大きい。ヨヨからあまり使わないように言われる。
「わかっている。先生にも、口を酸っぱくして言われていたし」
『そうだよ。気を付けてね』
「はいはい」
『はいは一回だからね』
「はい」
『それでよし!』
ヨヨがしたり顔で頷くので、エルは笑ってしまった。
ぐっと背伸びをして、起き上がる。
窓の外を覗くと、海に大きな氷が浮かんでいた。
「わ、すごい。ヨヨ、見て。海氷があるよ」
『あ、本当だ』
フーゴが話していたのだ。冬季になると、海水が氷結したものが漂っていると。
「こんなにたくさんある海が凍るなんて、不思議」
『本当に』
この氷が原因でとんでもない事件になることなど、この時のエルとヨヨは想像もしていなかった。




