イングリット自慢の鶉パイ
イングリットはプロクスと共に、台所に立った。
腕まくりをして、先日森の中で仕留めた首長鶉をさばく。
エルと共に森に移り住んで早くも一ヶ月経った。
街の喧騒から離れ、静かな森暮らしを始めたのだが、エルとイングリットは驚くほど早く馴染んでいった。
というのも、エルとイングリットは森暮らしが長かった。体が順応するのも早いわけである。
洗熊妖精に許可を取って建てたこの魔石工房は、ジェラルド・ノイマーから押収した聖樹で造られている。
魔法騎士隊が保管すると主張して聞かなかったものの、フォースター公爵が頑張って取り返してくれたのだ。
聖樹を失った洗熊妖精は人に対して怒りを覚えていたようだが、エルの説得でことなきを得た。
エルは聖樹を使って、森に新しい結界を造ったのだ。
周辺一帯には悪意を持つ者が近寄れない仕様となっている。
おかげで、魔石を必要とする善良な者しか工房にはやってこない。
さすがエルだと、イングリットは手放しに絶賛した。
『ぎゃう、ぎゃううううう!』
思考の波に飲み込まれていたら、監督のように調理を見守るプロクスが鳴いた。
エルがいないと、何を言っているのかわからない。
ただ、表情豊かなので、だいたい何を主張しているのか想像できる。
今のはきっと、手が止まっている! と言いたいのだろう。
「プロクス、すまない。ついつい、考え事をしてしまった」
『ぎゃう、ぎゃうう!』
「はいはいっと」
お腹を空かせたエルが待っている。手早く調理しなければならない。
イングリットは三日に一度、森で狩りをしてくる。大物は熊、小型はウサギと、食べるのに困らないほどの豊富な獲物がいるのだ。
熊相手でも、イングリットはひるまない。これまで相手にしてきた魔物のほうが凶暴で恐ろしかったから。熊なんて、魔物の赤子よりもたやすく仕留めることができる。
ただ、狩りに油断は禁物。たとえ小さな動物であっても、イングリットは魔物を対峙するときと同じ集中力で挑んでいた。
そんなわけで、本日の獲物は大ぶりの首長鶉である。
鶉には嘴の赤いものと、黒いものがいる。肉に癖がないのは赤いほうだ。
本日の鶉は、赤い嘴。脂が乗っていて最高においしいだろう。
首長鶉の熟成方法は、仕留めた姿のまま保冷庫でしばらく保管する。そうすれば、羽がむしりやすくなるのだ。
冷やして乾燥させたあとは、羽と腸を抜いて一日保冷庫の中で保存する。
熟成した首長鶉を、手に馴染んだナイフを使って解体していった。
イングリットの村に伝わる、首長鶉のパイを作る。
刻んだ肉をトマトとニンニク、香辛料を入れ、水分が飛ぶまでしっかり炒める。
「プロクス、これを炒めておいてくれるか?」
『ぎゃう!』
肉の加熱をプロクスに任せ、イングリットは生地を用意する。
パイといえばサクサクの折パイだが、イングリットの村では練りパイが主流だった。
昨日から仕込んでおいた練りパイを保冷庫から取り出して、パイの型に填め込んでいく。
底にチーズ、炒ったナッツを敷き詰め、プロクスが炒めてくれた肉を重ねる。それにさらにチーズを重ねて、肉を被せる。それを繰り返し、生地を上から覆うのだ。
最後に首長鶉の首から頭部に串を打ち、パイに突き刺す。
この状態で、しっかり焼いていく。
プロクスは戦々恐々としていたが、この形が正統派の首長鶉パイなので仕方がない。
窯には、プロクスが火を入れてくれた。
ここで、三十分ほど焼く。
途中で取り出し、首長鶉の頭部に油を塗ってパリッと焼けるようにするのも忘れてはいけない。
そして――首長鶉パイは焼き上がった。食卓に運び、パンと一緒に並べておく。
工房の奥にある作業場で仕事をしているエルに、声をかけた。
「おーい、エル! 夕食ができたぞ!」
「はーい」
手を洗ってやってきたエルは、首長鶉の頭部が突き出たパイを見て――くすくすと笑った。
「ちょっとイングリット、これ、何?」
「ダークエルフの村に伝わる、首長鶉パイだ」
「どうして頭が突き出ているの?」
「獲物は尾頭付きが縁起がいいって言われていたんだよ」
「そうだったんだ」
エルが声をあげて笑うのは珍しい。
いつまでも見ていたいと思うイングリットであった。
「イングリット、どうかしたの?」
「あ――いいや、なんでもない。食べよう」
全員で、食卓を囲む。
食事を取らないヨヨやフランベルジュも、椅子に座って会話を楽しむのだ。
イングリットはナイフでパイを切り分ける。頭部を食べるかとエルに聞いたが、すげなく断られてしまった。
仕方がないので、イングリットがいただく。
ドキドキしながら、エルが食べる様子を見守っていた。
驚くほど小さく切り分け、フォークに突き刺して頬張る。
エルはハッと目を見張り、瞳を輝かせた。
「イングリット、これ、おいしい」
「そうか。よかった」
安心したところで、イングリットも食べてみた。
幼いころ、家族と一緒に囲んで食べた、いつもの味である。
改めて、新しい家族と思い出の料理を食べることができて幸せだと思うイングリットであった。