少女は阻まれる
エルは高くそびえ立つ錬金術師の塔を見上げる。
「すごい、最上階は、雲の上にあるんだ」
「だな。なんでも、五百年以上も前に、魔法の技術を用いて作られたらしい」
塔の建設技術はすでに失われている。壊れたら、再建は不可能だと。
「イングリット、行こう」
「ああ」
すぐ近くに、キャロルがいる。きっと、エルやイングリットを助けてくれるだろう。
ここまできたら大丈夫。そう思っていたが――。
「は? 王女殿下? 証拠は?」
錬金術師の塔の出入り口を守衛は、王女の顔を知らない錬金術師であった。
年頃は十五、六くらいか。栗色の髪につり上がった瞳を持つ、生意気盛りといった感じの少年であった。
おそらく、見習い錬金術師が見張りをしているのだろう。
「王女を名乗られても、困るんだけれど」
「え、どうして、王女の顔を、知らないの?」
驚きのあまり、問いかけてしまう。
「え、だって、俺ら錬金術師は王族様や貴族様の催しなんか参加しないし。そんな無駄な場所に行っている暇があったら、研究しているほうがマシさ」
「ええっ……!」
基本的に、錬金術師は研究室に引きこもっている者がほとんど。社交をしているのはごく一部の、管理職の者達だけらしい。
「魔法騎士は、わたしが王女だとわかったのに」
「あいつらは、王族や貴族にペコペコして、ご機嫌伺いをしながら生きている犬っころだ。俺たちは、違う。自分達がやりたいことやって、自分達の信念のもとで研究を続けているんだ」
「そうなんだ」
同じ、王城の敷地内で働く者でも、魔法騎士と錬金術師では体質が大きく異なるらしい。
ただ、ふと思い出す。
大迷宮で出会ったキャロルは、国王陛下の命令で動いていたと。
「キャロルは国王陛下のお願いを聞く立場だから、管理職なのかな?」
「ああ、キャロル・レトルラインは魔法薬学部の部長だ」
「やっぱり、そうなんだ」
聞いてもいないのに、キャロルについてペラペラと喋り始める。
「キャロル・レトルラインは稀代の天才錬金術師なんだ。あの人が国家錬金術師になった途端、錬金術師の技術は百年進んだと言われている」
「へえ、そうなんだ」
「ただ、その天才でも、黒斑病の薬は作れないみたいだが」
黒斑病の薬と聞いて、エルの胸がツキンと痛む。
エルは作り方を知っている。それを、伝えていいのか悪いのか。判断できないでいた。
以前、イングリットが話していたのだ。
世界規模の流行病は、神の裁きであると。
人口が増えすぎると世界の魔力が減少し、均衡が崩れてしまう。
世界を守るために、神が天災や流行病で人口を調節するのだ。
それが、神の裁き。
仮にエルが介入してしまえば、世界の終焉に手を貸してしまう結果となる。
「最近、王都でも感染者が増えているらしい。それを利用して、怪しい商売をする奴らもいてさ、困っているんだ」
「そうなんだ。大変だね」
「他人事だな」
「……」
他人事なんかではない。黒斑病の問題は、常にエルに付きまとっている。
「あ、そうだ。黒斑病の治療で暗躍している奴らについて調査を手伝ってくれるなら、キャロル部長に話を通してやってもいいぜ」
「え?」
「このあと、調査に行くように言われていたんだ。俺に、協力しろ」
そんな話をしているうちに、交代の錬金術師がやってきた。
「おい、レイン、交代の時間だ――って、誰だ?」
「知り合い」
「ちょっと!」
レインと呼ばれた少年は、唇に手を当てた。黙っていろと言いたいのか。
イングリットを振り返る。眉尻を下げて微笑んでいた。
こうなったら、協力するしかないのか。
エルは盛大なため息を吐く。
「よし、行くか!」
「待って。わたし、この恰好じゃ目立つ」
ただでさえ、アルネスティーネの偽物として魔法騎士に追われているのだ。街中で調査なんて、絶対に無理である。
「あ、そうか。こっちに来い」
レインは近くにある休憩小屋へと誘い、錬金術師がまとっている外套を差し出した。
全身をすっぽりと覆うデザインで、頭巾を被ったら顔も見えない。
「え、これ、錬金術師じゃないのに着てもいいの?」
「別に構わない。だってこれ、錬金術師見習いの外套だし」
「あ、そうなんだ。だったら」
エルとイングリットは、錬金術師見習いの外套をまとう。これを着ていたら、街中を歩いても怪しまれないだろう。
「あ、そういや、名前を聞いていなかったな」
一応、アルネスティーネのふりをしている。けれど、今ここで名乗るのはどうかと思った。だから、別の名を伝えた。
「わたしは、ティーネ」
「うしろのでかいのは?」
「私はイングリットだ」
「ティーネにイングリットか。俺はレインだ。よし、行くぞ!」
本当に彼について行ってもいいのか。不安を覚えつつも、「わかった」と言葉を返した。