少女は決意し、猫は応援する
翌朝、老夫婦は昨晩ヨヨが作ったスープを「おいしい、おいしい」と言って完食した。
食欲があるようで、ホッとする。それからぐっすり眠って、その翌日には起き上がれるようになった。
すっかり顔色もよくなり、斑点もだいぶ薄くなっていた。
あとは、数日安静にしていたら完治するだろう。
「なんと、お礼を言っていいものやら」
「ありがとうという一言だけでは、言い表せない」
「元気になってくれたから、それが最大のありがとうだと思う」
その言葉は、モーリッツがエルに言っていたものである。
今になって、その意味を理解することとなった。
あとは静かに過ごすばかり。そう思っていたところに、老夫婦の家に訪問者がやってくる。
ドンドン、ドンドンと乱暴に扉が叩かれた。
「誰だろうねえ」
「知り合いだったら、扉なんざ叩くわけがない。勝手に入って来るのだが」
ヨヨがエルに近づき、老夫婦に聞こえないように囁く。あれは、悪意がある者だと。
老婆が出ようとしたが、止めた。
「私が、おばあさんの振りをして出ます」
「いいのかい?」
「はい」
老婆の服を借りて、頭に古布を巻く。そうしたら、エルの銀の髪が老人の白髪頭に見えた。
昨晩、ヨヨと話をしすぎて声が嗄れていたのだ。ちょうどいいと思い、エルは老婆に扮する。
「はいはい、今、出ますよ」
エルの掠れた声は、ゆっくり喋ると老婆のようだった。顔が見えないよう、腰を低くして扉を開く。
やってきたのは、鳥仮面だった。「ヒッ!」と悲鳴をあげかけたが、なんとか呑み込んだ。
「おやおや、驚いた。救世主様ではありませんか」
「ここに、黒斑病になった者はいないか?」
「おじいさんもあたしも、元気でねえ」
「そうか」
黒斑病でないことを確認すると、感染しないよう助言を言い渡す。
「なるべく、外の空気は入れるな。黒斑病は、瘴気を吸って感染する。それから、水も汚染されている可能性もあるから、湯を浴びるな」
「はあ」
「今言ったことを守れば、黒斑病など恐れることはないだろう。ここ三日ほどで、村人が二十名も死んでいる。気をつけるように」
すべて、間違った情報である。エルは内心呆れていた。
最後に、鳥仮面は手を差し出す。
「はて?」
握手を求めてきたのか。革袋を嵌めていたので、握ろうとしたら叩かれてしまった。
「さ、触るな!」
「握手ではないのなら、この手はなんだろうか?」
「とぼけるな。貴重な情報を教えてやったのだ。銀貨一枚もらおうか」
「銀貨一枚なんて、とんでもない。銅貨一枚でさえ、あるかどうか」
貧しい生活をしている。魔石を買う金すらもないと、エル扮する老婆は訴える。
「ああ、そうだ。スープ一杯と交換でどうだろうか? とっても、おいしくできているんだよ」
「馬鹿を言うんじゃない!」
「だったら、家の中を捜すといい。銀の欠片ですらないから」
窓がなく、薄暗い部屋を開いて見せた。扉が、ギギギと不気味な音を立てている。
「さあ、どうぞ」
部屋の奥で、目がキラリと光る。ヨヨの目だった。
『にぎゃ~~ご』
「ヒッ!」
不気味な鳴き声を聞いた鳥仮面は、回れ右をして走って逃げた。
すぐさま扉を閉め、は~~と息を吐きだす。
「お嬢ちゃん、ありがとう」
「驚いたねえ。お婆さんの演技が上手で」
「絵本で読んだお婆さんを参考にしたんです」
「そうだったのかい。おかげで助かったよ」
「本当に」
鳥仮面は村の家を一軒一軒訪問し、治療と感染しないための情報を振りまいて金稼ぎをしているようだ。
治療も対策も、デタラメである。
「救世主様は、救世主様ではなかったんだねえ」
「わしらにとっての救世主は、お嬢ちゃんだ」
「どうしてそんなことができたのか?」と聞かれたので、祖父が医者だったことにしておく。
「それにしても、ここ三日で二十名も死んでいるだなんて……」
鳥仮面の言うことを守っていたら、感染拡大となるだろう。とんでもないことをしてくれたものだと、エルは内心憤る。
「お嬢ちゃんや、今度こそ、一刻も早くここの村から出て行ったほうがいい」
「そうだよ。こんなところにいたら、病気になってしまう」
「ええ……」
けれど病人が大勢いるこの地を、見捨てて出て行ってもいいのだろうかと自問する。
その昔、黒斑病が流行した時に村中の人々が感染してしまった時の国の対策が、村ごと焼いて感染拡大を食い止めるというもの。
モーリッツが発見した抗生物質のおかげで、村が焼かれることはなくなった。しかし、王都から離れたこの地に、抗生物質は伝わっていないようだった。
「あの、ここに村人は、何人くらいいますか?」
「百名もいないと思うけれど、それがどうしたんだい?」
百名のうち、黒斑病にかかっているのは半分と想定する。
それだけの人数分の抗生物質を作るには、三日ほど必要だ。
エルはしゃがみ込んで、そっとヨヨの耳元で問いかける。
「ヨヨ、どうしよう?」
『心はもう決まっているんでしょう? 僕はエルがやると決めたことを手伝うまでさ』
「うん」
ここの村人たちは、鳥仮面のせいで酷い目に遭った。このままでは、黒斑病の患者は全員死んでしまうだろう。
見捨ててこの地を発つことはできない。
エルは立ち上がって、老夫婦に宣言する。
「わたし、この村の黒斑病の患者を診る」
「え?」
「そ、それは」
「決めた。みんな、助ける」
見ず知らずの人達まで助ける必要はない。けれど、エルの中に存在する何かの意思が、助けろと訴えているのだ。
だから、エルは決めた。
この村の黒斑病患者をすべて救ってみせると。




