少女とダークエルフは、神速の炎槍を前に戦々恐々とする
イングリットは魔石バイクを止める。
突如として森に現れたのは――魔法騎士隊第一機動隊第三席、“神速の炎槍”ジョゼット・ニコル。
イングリットの工房を探りにやってきた、油断ならない人物である。
彼女の他に、人はいない。単独でやってきているようだ。
エルは深く被っていた頭巾の縁を、ぐいっと引っ張った。
ジョゼットとの距離は、十米突ほど。木々が深く生い茂っていたので、発見が遅れてしまった。
視力がいいイングリット曰く、ジョゼットはこちらに気づいていると。
「エル、どうする? 魔石バイクで全力疾走したら、彼女を撒けるけれど」
「止めたほうがいい。相手は、“神速の炎槍”だから」
どうしてジョゼットが神速と呼ばれているかは不明である。もしかしたら、高速移動の術を知っている可能性がある。
そうなった場合、逃走したのちに追いつかれたら、言い訳に困るだろう。
「だったら、無視、という形でいいか?」
「うん。いいと思う」
エルが今一度ジョゼットのほうを見たら、姿がゆらりと陽炎のように揺れた。
「げっ、エル、上だ!! つーか、歯を食いしばって、掴まっておけ!!」
イングリットはそう叫び、魔石バイクを起動させて急発進させた。
同時に、ドン! という音が鳴り、ビリビリと震えるような振動を感じた。
今までイングリットとエルが魔石バイクを停車させていた場所に、大きな穴が空いていた。中心に刺さっていたのは、真っ赤な槍。メラメラと、燃えていた。
木から何かが落下してくる。
「やっぱり避けたか」
チッという舌打ちが聞こえた。
「ま、避けると思っていたから、放ったんだけどね」
チラリとイングリットを見つめる瞳には、狂気がちらついているように見えた。
「はは。まさか、あのときの褐色の肌のメイドが、ダークエルフだったとはな。覚えているだろう? 下町での、愉快なやりとりを」
ジョゼットは問う。フォースター公爵が連れていた褐色の肌のメイドと、お嬢さんだろう? と。
「今日は、お嬢さんと、メイドが仲良くお出かけってわけ?」
工房に魔石バイクの設計図を回収に行ったとき、イングリットはメイドの扮装をしていた。エルフの耳が隠れるよう、深く被っていたので正体はバレていなかったのだ。
けれど、今はエルフの耳を露出させている。ダークエルフであることは一目瞭然だ。
「君達のせいで、私は主君に怒られてしまったんだよね」
ジョゼットはペラペラと喋っているが、隙は一切ない。逃げるのは不可能だろう。
魔石バイクを使ったとしても、一瞬で追いつかれる。
どういう術式を使っているのかわからないが、ジョゼットは風のように森を走り抜ける力を持っているようだ。
「やっぱり、フォースター公爵が怪しいという話になったんだが、相手は狡猾な“独裁者”だ。証拠なんて、残すわけがない。フォースター公爵の地位を引きずり下ろす機会だと喜んでいたようだけれど、何もなかったから、がっかりしていたよ」
どうやら、王宮にはフォースターの失脚を望む一派が存在するようだ。
敵はいるだろうと思っていたものの、こうもはっきり聞いてしまうと複雑な気持ちになる。
「ここには、調査にやってきたんだよ」
魔鉱石を採掘し過ぎた影響で、森が枯れかけている。このままでは、土地が死んでしまう。
原因となった魔技工士の工房長にどうにかしろと命じていたようだが、森に魔力を戻すのは不可能という結果しか得られなかった。
「魔法騎士隊でも、研究部を派遣したんだが、結果は同じ。しかし、その一ヶ月後、突如として森は復活した」
理由を探るために、ジョゼットが派遣されたらしい。
「もしも、人為的にやったとしたら、歴史的大発見だよ。その技術は、さまざまなことに活用できる。絶対に、連れて帰るように言われているんだ」
死にかけた森を助けたのは、エルで間違いない。今、彼女と出会ってしまったのは、不運としか言えなかった。
「つまらない任務だと思っていたけれど、君達がいた。森の魔力の復活に、関係しているのだろう? でないと、こんな辺鄙な場所に、くるはずがない」
「ペラペラペラペラと、よく喋るものだな」
「そんなことはどうでもいい。私の質問に答えるんだ」
「なんでだよ。私達は、洗熊妖精のところにやってきただけなのに」
「洗熊、妖精?」
ジョゼットが呟いた瞬間、ドタドタと何かの大群らしい足音が聞こえた。
『いたぞ、人間だ!』
『また、悪さをしにきたんだ!』
『追い出せ~~』
「は!?」
百体以上はいるだろうか。剣や槍を持ち、武装した洗熊妖精の大軍がやってくる。
「なんなんだ。妖精族が、あんなにたくさん」
さすがの“神速の炎槍”も、妖精族と争うつもりはないのだろう。
本日二度目の舌打ちをし、地面に突き刺さっていた炎槍を回収する。
そして、てんてんと二回後方に飛び、三回目には姿を消していた。
「逃げた?」
「ああ、そのようだな」
エルは体重のすべてを、イングリットの背中に預ける。
やっと息ができるような気がして、森の清浄な空気をめいっぱい吸い込んだ。
「洗熊妖精に感謝しないとな」
「うん」
ジョゼットは撤退した。ひとまず、安堵の息をはく。