少女は贅沢な暮らしに、違和感を覚える
朝――エルは侍女に優しく声をかけられ、目覚める。
起き上がると、あつあつの紅茶を差し出され、ぼんやりとした意識を覚醒させるのだ。
そして、用意されていた美しいドレスを身に纏い、姿見が用意される。
「エルお嬢様、こちらでよろしいでしょうか?」
「うん」
身支度はいつも通り完璧である。が、鏡の向こう側に映るエルを見て、急にハッとしてしまう。
「エルお嬢様、何か、お気づきの点でも?」
「なんでもない。ありがとう」
侍女は深々と会釈し、下がっていった。
身支度は完璧なのに、強い違和感を覚えてしまったのだ。
エルは思う。こんなのは、自分ではないと。
もともと、森の深い場所で育ったエルは、誰かに傅かれるような存在ではない。
それなのに、それをいつの間にか当たり前のように受け入れていたのだ。
どうしてこうなってしまったのか。
きっかけは、父フーゴの失踪と、師匠であるモーリッツの死であった。
独りぼっちとなったエルは、どうにか生きる術を模索していた。
近くの村に、魔石を売りに行こうと頑張ってはみたものの、森の変わり者と認識されていたために、取り合ってもらえなかった。
偶然、黒斑病の症状が出ている村人を発見し、薬を分けてあげようとしたのに、拒絶されてしまったのだ。
黒斑病は、いつしか村で蔓延するようになる。
その原因を、森に住むエルたちの仕業だと思われ、家に火を放たれてしまったのだ。
炎に呑み込まれる前に、ヨヨが起こしてくれたので、エルは命からがら逃げることができた。
それからのエルとヨヨの旅路も、決して順調ではない。
黒斑病が蔓延する村に立ち寄り、無茶苦茶な治療を行う鳥仮面の集団を発見したり、乗船した船が巨大な氷山にぶつかりそうになったり、馬車でフォースターに出会ったり。
王都にたどり着いてからも魔石がインチキだと言われたり、傭兵の男に追いかけられたりと散々だった。
不思議な現象も体験する。それは、フーゴから送られたウサギのぬいぐるみが、人工精霊だったのだ。ネージュと名付けた人工精霊は、エルを守る騎士となってくれる。
旅する中で最大の幸運は、イングリットに出会ったことだろう。
イングリットは魔技工士で、エル同様、生まれ育った森を飛び出してやってきた女性だった。
イングリットを森から連れ出した魔技工士、ジェラルド・ノイマーに騙され、数々の発明をしたにもかかわらず、報酬が支払われていなかったのだ。
イングリットはエルに同情してくれたのか、いつもいつでも優しくしてくれる。
エルはそんなイングリットと手を組み、今までにない魔技工品『魔石バイク』を完成させたのだ。
それが、王都で大ヒットし、生産が追いつかないほど注文があるという。
売れたら売れるほど、イングリットには大金が入るようになっている。そういう契約を、客船で出会った少女シャーロットの父であるグレイヤード子爵が結んでくれたのだ。
遊んで暮らせるほどではないが、数年生活に困らない程度の金がイングリットのもとへ転がり込んできた。
魔技工士として成功を収めたイングリットであったが、最近元気がない。
どうかしたのかと聞いても、「いや、なんだろうな、この空っぽな感じは」と返すばかりであった。
おそらく、イングリットは打倒ジェラルド・ノイマーを目標とし、魔石バイク作りを行ってきた。
達成してしまったので、無気力状態になっているのだろう。
新しく、目標を立てたほうがいいのかもしれない。
エルは以前から考えていた野望を、話してみることにした。
◇◇◇
「エル、どうしたんだ? 話があるなんて」
「うん。ちょっと前から、考えていたの」
イングリットは居住まいを正し、エルの話を聞く姿勢を取った。
「ねえ、イングリット。ここを出て、どこかの森に、わたし達の工房を作らない?」
「え!?」
イングリットは目を大きく見開き、エルを見つめている。
「王都との行き来は、プロクスができるから、生活には困らないと思うの」
「まあ、そう、だな」
「畑を作って野菜を育てたり、森でベリーを摘んだり。罠を張って、野生の獣を捕ることだってできる」
今、エルとイングリットに必要なのは、生まれ育った森と似たような環境なのだろう。
「たぶん、わたし達は、都会の暮らしに、疲れているんだと思う」
「たしかに、言われてみれば、そうだな」
エルは新しい家で、やりたいことがある。それは、イングリットの協力なしには、できないものであった。
「なんだ、エルのやりたいことって?」
「自動魔石機を作りたいの」
職人が一つ一つ手作業で行っていた魔石作りを、魔技工品で自動化するのだ。
「それは、可能なのか?」
「イングリットとわたしが力を合わせたら、作れる気がするの」
「エルがそう言うんだったら、そうなんだろうな」
「でしょう?」
ここでやっと、イングリットは笑顔を見せる。
「しかし、エル。ここでの暮らしは、いいのか?」
「うん。もともと、合っていなかったんだと思う。イングリットも、そうでしょう?」
「まあな」
何もかもが揃っている都会よりも、必要な品は自分で用意するような森暮らしが性に合っているのだ。
「ただ、フォースター公爵は反対するだろうな」
「そうかも」
計画に移る前に、フォースターに家を出る許可をもらわなければならないのだ。
まだ、対面すらしていないのに、エルはうんざりしてしまった。