少女は危機一髪となる
逆さ吊りにされていると、だんだんと具合が悪くなる。吊られて一分も経っていないが、目の前がぼんやりと霞んできた。加えて、蔓が巻きついた足首も、じくじくと痛みを訴えている。
涙が溢れ、ポロポロと流れていった。
地上では、たくさんの浣熊妖精に囲まれ、イングリットやヨヨ、フランベルジュが槍の先端を向けられている。プロクスはいまだ蔓を噛みついているが、なかなか千切れない。
『お前ら、我々の森の、魔鉱石を奪いにきたニンゲンだな!?』
『ニンゲンのせいで、俺たちは飢えているんだ!』
どうやら、浣熊妖精達は人間に住処を荒らされていたらしい。だからこのように、敵意を剥き出しにしていると。
エルが捕まえた罠も、対人間用のものだったのだろう。
『捕まえて、湖に沈めてやる!』
『それとも、火あぶりがいいか!』
ヨヨの話していたとおり、浣熊妖精は気性が荒い妖精族だったようだ。話したらわかると思っていたが、見当違いであった。
だんだんと、槍の切っ先がイングリットやヨヨに接近しつつある。相手は魔物ではなく、妖精だ。反撃するわけにはいかない。
『いっそのこと、このまま串刺しにしてやろうか?』
『ちょ、ちょっと待って! この人達は、悪い人間じゃないよ!』
ヨヨが前に飛び出し、訴える。
『人間と契約しているやつの言い分なんて、聞くものか!』
『そうだ、そうだ!』
『落ち着いてよ! こっちの女性はダークエルフだし、吊られている女の子は、純粋無垢なんだ』
『ダークエルフ、だと?』
『こんなところに、ダークエルフがいるわけ――』
イングリットは深く被っていた頭巾を外す。
すると、浣熊妖精はザザザ、と後退した。
ダークエルフだ、ダークエルフだと、口々に言う。
『皆の物、武器を下げい!』
背後より、声が聞こえる。すぐさま、槍は下へと下げられた。
誰かがきたようだ。浣熊妖精達は道を譲る。
のっしのっしと歩いて現れたのは、眼帯を付けた浣熊妖精であった。周囲にいる浣熊妖精よりも一回り大きく、ただ者ではない態度でいる。
『この者達は、先ほどやってきた客人の連れだ。丁重に扱うように』
『ハッ!』
『そこの少女も、解放するように』
そう命じた瞬間、蔓が足首から離れた。
「きゃっ!」
エルはそのまま、落下する――と思っていたが、中型竜に変化したプロクスが背中で受け止めてくれた。
「わっ!」
『ぎゃう!?(大丈夫!?)』
「うん、大丈夫。プロクス、ありがとう」
『ぎゃーう(どういたしまして)』
イングリットがホッとした表情をしながら手を差し出してくれたので握ったが、体に力が入らない。
「なっ!」
倒れそうになったが、イングリットが抱き留めてくれた。
「おっと!」
「な、なんで?」
「逆さ吊りにされていたんだ。体の感覚が狂っているのだろう」
イングリットがおんぶしようかと提案するも、なんだか悪い気がする。返事を躊躇っていたら、プロクスがしゃがみながらエルに言った。
『ぎゃうぎゃう、ぎゃうぎゃーう(私の、背中に跨がっていればいいよ)』
「プロクス、ありがとう」
プロクスの背中に跨がり、息をはく。まだ、視界がぼやけていた。
『村の者達が、失礼を働いた。代わって、謝罪させていただく』
「いや、私達も、どうやって接触していいのかわからずに、すまなかった」
互いに謝罪すると、ピリピリとした空気が和らいだ。
『俺は、村長だ』
「私は、フェルメータの森の者だ」
挨拶を交わすと、ついて来るようにと言われる。一行は浣熊妖精のあとについていった。
◇◇◇
浣熊妖精の村で、ネージュと再会した。
『ご主人様ーーーー!!』
「ネージュ! よかった!」
『ええ、ご心配をおかけしました』
エルとネージュは抱き合い、再会を喜ぶ。
なんでも、ネージュは森の中で意識を失っていたようだが、そのさいに浣熊妖精の若者に発見されたらしい。
『その後、この村に連行されていたようで』
ネージュは精霊としてではなく、魔石で動く魔技巧品だと思われていたらしい。
『村長様が、わたくしを精霊として、認めてくださって』
「そうだったんだ」
気になるのは魔石を命とする人工精霊であるネージュを、魔技巧品と言っていたことだ。いったい、どういうことなのか。
『説明は、我が家でしよう』
村長が、家に招いてくれた。
茅葺き屋根の内部は、人が住んでいるようなきちんとした造りとなっている。
玄関があり、家に上がると囲炉裏のような火口もあった。棚には、森で採ってきたであろう木の実や、木の枝、キノコなどが置かれている。
妖精といっても、生態はさまざまだ。ヨヨのように周囲を漂う魔力を糧とする妖精もいれば、野生動物と同じように木の実やキノコを糧とする妖精もいる。
浣熊妖精は後者のようだった。
村長の奥方がやってきて、薬草茶を出してくれた。茶請けなのか、乾燥させた木の実も添えてくれる。
村長はどっかりと腰を下ろし、鋭い瞳を向けながら話し始める。
『さっそく、本題へ移ってもいいだろうか?』
「ああ、頼む」
村長の口から語られたのは、思いがけないものだった。