少女と猫とそれから賢者と
魔力と呼ばれる活力は、世界になくてはならないものである。
すべての奇跡の力は魔力に在った。
この世すべての生命は魔力が体内に通うおかげで世界と繋がり、大地の草花も、魔力に呼応して芽吹くのだ。
魔力は人の生活にもなくてはならないものである。
火を熾して食事を作り、水を生んで生活水を得て、風を吹かせて服を乾かす。
ただ、人の持つ魔力はまちまちで、どんどん生活に使うと活力を失って動けなくなってしまう。
そんな中で生まれたのが、『魔石』である。
火の魔石は火を巻き熾し、水の魔石は豊富な水を湧かせ、風の魔石は小さな旋風を生む。
人々の生活に、魔石は深く根付くこととなった。
魔石は鉱山採掘者が『魔鉱石』と呼ばれる、魔力を付与できる石を採る。
魔鉱石は魔技巧士の手に渡って、魔力が付与されて完成。
最後に、魔技巧士が作った魔石を魔石売りが売るのだ。
人は魔石の恩恵を受け、豊かな暮らしを手にする。
魔石なしの生活はできないだろうと言われるまでに、広く普及していた。
◇◇◇
ある、地図にも載っていないような小さな村に、エルという名の魔石売りの少女がいた。
今年で十二歳になる。
背中を流れる銀の髪は絹のように輝き、新緑の瞳は深い春の森を思わせる。白い肌に整った目鼻立ち、さくらんぼのような唇、すらりと伸びた手足と、都会にいたら誰もが振り返るような美少女だ。
彼女は鉱山に出かけて魔鉱石を採り、自宅に持ち帰って魔鉱石を加工して魔石を作り、完成した魔石を売ることを生業としていた。
本来ならば分業で行われる流れを、一人で担っているのだ。
それを可能としていたのは、エルの天才的な能力である。
一度読んだり聞いたり、見たりしたものは忘れもせず、理解力も並外れている。加えて、高い魔力も彼女の能力を伸ばす助けとなっていた。
そんな天才少女エルは、物事ついた時から村から離れた森の奥地で父親フーゴと隠れるように暮らしていた。
父親は半年に一度、王都に出稼ぎに行く。一ヵ月ほど帰ってこない。
しかし、エルは一人ぼっちというわけではなかった。
なぜかといえば、森に住んでいたのはフーゴとエルだけではなかったから。
エルの自宅から一時間ほど歩いた先に、もう一軒家がある。そこには、七十を超える偏屈老人が住んでいた。
名をモーリッツ。彼は、猫の妖精ヨヨと二人暮らしをしている魔法使いだ。
フーゴが王都へ出稼ぎに行く際、幼いエルはモーリッツに預けられていた。
エルはモーリッツから、さまざまなことを習った。
森に自生する食べられる野草に木の実、罠の張り方。
それだけではない。魔法に薬草を使った薬学、医学についても少々齧り、それから、魔鉱石の採掘と魔石作りも習った。
エルの才能を最大限まで伸ばしたのは、他でもないモーリッツである。
かつて、国一番の賢者であった彼は、エルをただ一人の弟子とし、知る限りの知識を惜しみなく教えていた。
師と仰ぐ者として完璧なモーリッツであったが、口は悪く、ひねくれ者でもあった。
加えて人嫌いで、村に買い物に行くことはない。そのため、生活を送るのに必要な魔石は自分で作っていた。しかし、高齢のため魔鉱石を採りに行くことが辛くなる。
そこで、エルに魔石作りを教えることにしたようだ。
火の魔石は魔法で作った火で魔鉱石を炙り、魔力を付与させる。
水の魔石は魔法で作った水に魔鉱石を沈め、魔力を付与させる。
風の魔石は魔法で作った風を魔鉱石に吹かせ、魔力を付与させる。
魔石作りでもっとも難しいのは、魔力を付与すること。
付与魔法と呼ばれる魔法を習得するのに、エルは三年もかかった。
一人で魔石が作れるようになったのは、七歳になった春。
完成した魔石をモーリッツに持って行くと、銅貨一枚と交換してくれた。
手にした銅貨を見つめ、小首を傾げているとモーリッツは言う。
「それはお主が作った魔石の価値である。粗悪品の魔石なら、銅貨一枚。そこそこ良質な魔石なら、銀貨一枚。とっておきの魔石ならば、金貨一枚支払おう。ただし、お前の作る魔石は、私以外に売ってはならぬ。魔石を作れることも、口にしてはいけない。父親にもだ。約束してほしい」
エルは頷き、その日からモーリッツにだけ魔石を売る、魔石売りの少女となった。
それから何年も、エルは鉱山に行って魔鉱石を得て、魔石を作り、モーリッツに売った。
最初の一年は、魔石は銅貨一枚にしかならなかった。
二年目に、ようやく銀貨一枚で買い取ってもらう。
三年目に、ついに金貨一枚で買い取ってもらった。渾身の魔石だったので、涙が出るほど、嬉しかった。
貯めた金は、父親に内緒で貯蓄してある。いつか、モーリッツに新しい家を買ってあげようと考えていた。
モーリッツの家は、今にも崩壊しそうなほどボロだったのだ。
真面目に貯金するエルを見て、猫妖精のヨヨは『泣けるねえ』と呟いていた。
十歳になった秋──父フーゴは「王都に出かける」と言って旅立って行った。
いつものことなので、慣れっこだ。
フーゴは良家の生まれなのか、生活能力は皆無。
ここに引っ越してきた当初は、ヨヨに炊事洗濯をしてもらっていたらしい。
それを、エルが引き継いで家事を行うようになったのはいつだったか。
物心ついた頃から、エルは炊事洗濯ができていた。
王都から戻るフーゴは、手に抱えきれないくらいの土産や、小麦粉や、保存食なども馬車いっぱいに積んで帰ってくる。
これで、半年間生活するのだ。
モーリッツと同じく、フーゴもなるべく村に近づかないように言われていた。必要な物があったら、隣の町で買ってくるとも。
よくわからないが、村人たちは森に住む存在を忌み嫌っていたようだ。
今回も、一ヵ月後に馬車いっぱいに荷物を詰めて帰ってくるだろう。
そう思っていたのに、父フーゴは一ヵ月経っても戻らなかった。
エルは父親が戻らない間、モーリッツの家に身を寄せて暮らすこととなる。
ここ最近、モーリッツはほとんど寝たきりになって、面倒を見る必要があったからだ。
モーリッツは「フーゴは事故か何かに巻き込まれ、どこかでくたばっているのではないか」と言った。
一方で、エルはフーゴが死んだとは欠片も思っていない。
いつもみたいに、「エル、遅くなったな!」と笑って帰ってくるはずだ。
しかし、一年経ってもフーゴは戻って来なかった。