100
むかつく。
その思い込み? って言うの?
なんて言えばいいのかなんて知らない。でもむかつく。
世間で100って言えば、それは良い意味な事が多い。
テストで100点満点ですとか。
果汁100%ジュースですだとか。
完璧、完全、最強…。そんなイメージで使われる数字。それが100。
憎き数字…100。
「くそっ何が100%潤い肌じゃ。くそっくそっ…」
ふとしたCMにさえも…いや、だからこそイラっとくる。
ばりむしゃぼりと、ポテチを食う手も加速するってもんだ。
「………100」
「あ゛あ゛ん!!?!?」
私は、反射的に叫んでいた。
「そろそろ達成する?」
「こ…っの!!」
素早く立ち上がって、標的に向かって駆け出し、とっ捕まえる。
………そんなイメージの、ひとつめのところでそれは頓挫していた。
ソファから立ち上がった時には、既に標的がドア付近まで遠のいている。
「…ばーか」
「ぐっ…たかしぃいいいいいいいいい!!」
「うるっさいよ美穂!」
糞が糞が糞が糞が糞が!
なんで私が怒られなきゃならんのだ!!
私の名前は、桜井美穂。
なんてことない。普通の名字に、普通の名前。性格だって、普通だと思う。
「おっはよーさくらいさーん?」
登校中。どん、と…割と強めに身体を押される。
「あ、おはよー…」
しかし、そんな挨拶を返した時、既に同級生の姿ははるか先。
『あ、おはよー…だぁってー!』
『もーやめなってー!』
そんな話し声が聞こえてくる。大きな笑い声と一緒に…。
糞糞糞糞くそそそそっそそ!!
席に着く。椅子がギシリと音を立てた。
忌々しい…。
隠そうにも隠せない。
私は………、ほんの少しだけ、皆より…身体が……重い…。
その上、女子の中では背も高い方。
そのせいで、ちょっと……体重だけを言いたくは無い。せめて、身長もセットで…。
でも勘違いしないで欲しい!!
確かに!? それなりにそれなりな数字になっちゃってるかもしれない!
でも間違ったって、本当に3桁になった事なんて無い。たまにカウントダウンしかけてたって…それだけは無い! それなのに、家でも学校でも、それを引き合いに馬鹿にされる日々…。
私が、100って数字を嫌いな理由。
それは、そこが絶対に到達したくない境界線だからだ。
それにしてもムカつく!!
私が、でへへーとか、のっしのっしとか、むほーとかごっちゃんですとか考えてるとでも思ってんの?
身体みたいに、脳内までゆっくりしてると思うなよ!
…はー。自分で考えてて悲しくなってきた。
「おはよう」
「あ! おはよー!!」
「あよー」
「おーす」
あーはいはい。これはこれは…。
数々のラフな挨拶の前。最初にシンプルで、綺麗な挨拶を言い放った人物。居るクラスには居る、クラスの中心的人物。それが、彼だ。
名を、木村王子。
これは、冗談でもなんでもない。はっきり言って、この名前は完全にキラキラネーム。どこぞの御曹司ならまだしも、ごく普通の名字。事実ごく普通の一般家庭らしい。
それでも、こうしてクラスの中心に居る…。それには、当然理由がある。
こいつ…悔しいがイケメンなのだ。
その見た目、まさに王子。名を体であらわす…? だかなんだかって、こういう時に使うのかな。知らん。
とまあ、そんなネタネームを実現してしまった容姿をしているんよ。さらには性格もいい…。多少天然入ってるけど、それもまたいいとか言われてる。
それはもうモテるの何のって訳なのだ。
ケッ。いいですねー人生順風満帆で。
「おーい王子。昨日の話だけどさー、雑誌持ってきた。この中ならどの子よ?」
「うん?」
あー出ましたねよくあるやつ。雑誌のモデルやアイドルの写真で、どの子が好み? まあ私はそんなやり取りする友達居ないからした事無いけどねそんな話うんはい。
なんとなく、その様子を見続ける。周りも同じようにしてるから、そこまでは目立たないのだ。
特に大きく表情も変えず、やがて王子が出した答えは…。
「んー…。特に好みの子は居ないかなー」
「はー!?」
えー…。
「いやいや、お前このグループ、48人も居るんだぜ? 一人くらい、この中ならーって子居るっしょ!」
いや本当だよ。そういうのって、ノリ悪いーとか言われてハブられるんじゃないの? 知らんけど。
「でも、本当に居ないからなあ」
「マジかよー」
クラス全体の空気が弛緩する。主に女子だ。まあ、王子狙いの子多いみたいだしね…。
これも、よくある青春の1ページってやつなのかな。
私には、関係ないけど………。
ちょっとした教室の騒ぎも終わり、今日も憂鬱な授業へ…。そんな流れだった。
そこに、空気の読めない馬鹿が爆弾を放り投げやがった。
「じゃあ、このクラスには居ねえの? せめて一番マシなのはとかさー」
「え?」
お゛あ゛ああああああ!?!?
ギラリと、クラスの女子の何割かの瞳が光った気がした。
いや馬鹿じゃねえの馬鹿じゃん!?
そんなんわかるじゃん聞いちゃいけないやつじゃんこんな当人たちの居るところでさあ! なんでこう、男子ってたまに空気読めない訳?
いいかわかってるな王子。ただでさえ面倒な学校での人間関係なんだ。クラスの雰囲気を悪くしてくれるなよー…。
私は切に願った。もう視線は外してる。耳だけを傾けて、冷や汗をかきながら…それを聞いた。
「うちのクラスなら、桜井さんかな」
はい馬鹿ー!
はー…。こんな時に、天然発揮してんじゃねえよー居ないなーでいいじゃーん…。今なんてったっけ? さくらい…? あはー私と同じ名字じゃん惜っしーあっはっはーあー……。
………。
全身の毛穴から、一気に汗が吹き出た。
素早く、けれど出来るだけ音を立てずに机に突っ伏す。インキャの基本スキル、寝たふりの発動だ。そして…脳内の思考に戻った。
まず誰とも目を合わせちゃいけない。さらに、どんな表情も見せてはいけない。それは、死刑宣告を意味しているかもしれない。
王子…なんて言いおった?
恥ずかしながら、聞き間違えてしまったらしい。私にも、イケメンに好かれてみたいなんて欲があったんだなうん。
だって、そんなはずは無い。うちのクラスに、桜井は私しか居ないんだもん。
「…誰だって?」
そうそう、いいぞよく聞きなおした。これで一安心――。
「桜井さん」
……………。
教室が、凍った。
ぎゃああああああああ聞き間違いじゃないぃいいい!?
わかる…感じるぞ! クラスの女子からの射抜くような視線を! 顔を上げちゃだめだ。私は寝ている。今の王子の台詞は聞いていない。だからノーカウントだし思い上がったりする事も無い。そういう事にさせてくれ頼む。
でなきゃ…ヤられる!
「マジで!? どこがいいわけ桜井なんかの!」
うるっせえええええええぶち転がすぞおんどりゃああああ!!!?
「えーと…」
王子も答えようとしないでお願いお願いお願い。
「しっかり仕事してるところとかいいよね」
はあ!?
「あと、マイペースなところとか」
いやっおま。
「動物にも好かれるみたいだよ」
「へ、へー…」
なに何なのはあ!?
王子、私の事見すぎか!? 飼育委員の仕事とか放課後だろどこから覗いてやがったこいつ!
いやいや待て錯乱している場合じゃない!
「にしてもマジで言うとはな。さっすがー」
お前が言うな!!!
今このツッコミだけは、他の女子と心が一つになっていると思う。
しかしながら、このままではそんな同士達にハブられ…最悪虐められるのは火を見るより明らか! どうするどうするどうする――。
「え? このクラスの中ならでしょ?」
………。
事件発生が唐突なら、それが終わるのも唐突だった。
今度はすぐにって訳でもないけど、少しずつ教室内が緩んでいくのがわかる。
そうだよね。
今のはあくまで、このクラスならの話。好みに関する、例えの話。私が好きとか、そういう話じゃないんだ。
これでクラスの王子狙いの女子達は、性格のいいところアピールでも始めるんだろう。決め手がそこだとわかったのだから。王子が言ったのは、その程度の意味なのだ。
………。
もうすぐ…夏休みかー…。
あれから、落ち着いて考えてみた。
私は別に、王子の事を好きな訳じゃない。それでも、クラスで一番だと言われて悪い気はしなかった。某アイドルグループの中にすら、好みが居ないなんて言うイケメンからの評価なんだから、なおさら。結局、私もごく普通の女子なのだ。
「…なにやってんの」
「あ゛?」
「きも」
「うるっさい!」
「あんたの方がうるさいっての美穂!」
ちょっと喜んじゃったのは認める。はっきり言って浮かれてる。
でも、私は分を弁えてる。私は一番マシだと言われただけで、好きだと言われた訳じゃない。
それでも、こんな私の行動を見て、要するに性格を好きだと言ってくれた。
なら…。
それだったら…。
もうちょっとちゃんとしたら、もしかしたらって――。
馬鹿らしいって思ってた。
だって私は、ちょっと太りやすい体質ってだけ。
ポテチは1日1袋しか食べないし、ケーキも多くて3個までしか食べない。他の子達と似たようなもんのはず。
それなのに、体質のせいで我慢しなきゃいけないなんて。
そんなの納得できなかったし、耐えられなかった。
そのはずなのに、どうして私は走ったりなんかしてるんだろう。
毎日筋トレしてるんだろう。
ポテチを夏休みに入ってから食べていないんだろう。
わかんない…なんて言ってごまかせないよね。
夢見ちゃってるんだよ私。
もしかしたらこれが、人生最後のきっかけかもって思っちゃったんだよ。
苦っしい。
身体中筋肉痛だし。
なんか関節も痛めたし。
でも休まない。
休んだら、もう一度勢い付けるなんて無理。
男も女も、根性が大事…っ。
約、ひと月半………。
はは、やればできるじゃん私。
イメージ通りに身体が動く。
ほんの数ヶ月前までは、完全に妄想だった速度で。
新学期初日の、クラスからの視線は忘れられない。
「それで、桜井さん。話って…?」
「木村、王子君…」
女は、度胸も大事…!
「よかったら、私とお付き合いしてください」
「………」
確かに、私は他の子達みたいに、王子の事を好きな訳じゃなかった。
でもあんな事言われて、こんな…恥ずかしくない私になるきっかけをくれた人だ。いつの間にか、私にとっても気になる人になっていた。
だから…。
「お返事、聞かせてください」
待って。
待って。
待って…。
何秒なのか、何十秒なのかもわからない空白の後に…。
「…ごめん」
ああ…。
「……そっか」
わかってた。
うん、後悔は無い。
悔しいけど、痩せたって美人になった訳じゃないしね。王子のお眼鏡には、叶わなかった…って訳だ。
でも…でもやっぱり気になる。仕方ないじゃん。あんなに頑張ったんだもん…っ!
「理由…聞いてもいい?」
「…僕は」
理由を聞いて、ゆっくり自分に言い聞かせて…。そして、そのうち吹っ切ろう。
さあ、なんでもこい!
「身体の大きい人が好きなんだよね」
………。
…?
「夏休み前までの桜井さんは、かなり好みに近かったんだけど」
は。おい、ちょっと待て。
「出来ればこう…100キロくらいある子の方がー」
「あ゛あ゛!!?」
「ひっ!?」
完全に条件反射だった。
「あ、その…ごめんね?」
「…なに謝ってるの? 好きじゃないんだからしょうがないよー」
私は笑っている。笑うしか無いから笑っている。
というかこいつデブ専かよ結局見た目じゃねえか!!
何が性格を見てくれた♡ だボケてんじゃねえぞ私ぃ!?
それに。
それにぃ…またしてもお前か100ぅ…!!
これが、愚かにも若かった私が経験した、今年の夏の思い出だ。
仮にフラれたとしても、これで逃れられると思っていた100からの呪縛だったのに…。
やっぱり私にとって、100は憎み、嫌うべき数字であるようだ。